第62話:再会への道
システムコアを後にして、俺たちはタワーの中を歩いていた。
カイ大佐の言葉が、頭の中で響いている。リアは、断片化した意識。このタワーに、保存されている。青いリボンが、彼女を繋ぎ止める鍵。
「こちらです」
ミラが、先を歩く。システムコアは、タワーの最下層だった。リアがいるのは、そこより少し上。感情共鳴ログアーカイブ層。何度も訪れた場所。
初めてここに来た時、光の粒子の中で、リアに会った。それから何度も通った。でも、あの時以来、姿を見せてくれなかった。手を伸ばしても、すり抜けた。名前も、聞けなかった。
でも——今日は違う。
「……」
左手首の青いリボンに、触れた。温かい。いつもより、ずっと温かい。
*
通路を進む。
青白い光が、壁を照らしている。以前来た時より、光が強い気がする。データの流れのようなものが、薄く見える。俺の存在が、さらに薄くなっているせいだろうか。
空気が、変わった。
重くなった——というより、濃くなった。何かが、満ちている。記憶の残滓。感情の痕跡。この場所には、無数の想いが漂っている。
「近づいています」
ミラの声。
青いリボンが、さらに温かくなった。熱い、と言ってもいい。脈打つように、温もりが伝わってくる。
その時——
「……っ」
頭の奥で、何かが弾けた。
*
——古い建物。
——薄暗い部屋。
——窓から、光が差し込んでいる。
映像が、流れ込んでくる。断片的な。でも、鮮明な。
少女が、レオの前に立っていた。栗色の髪。赤いリボン。目が、潤んでいた。
「……レオ」
震える声。
「私、明日……ここを出なきゃいけないの」
レオは——何も言えなかった。
「だから……これ……」
小さな手が、青いリボンを差し出した。
「あげる」
少女が、手首にリボンを巻いてくれた。丁寧に。ゆっくりと。
「お揃いだよ」
少女が、微笑んだ。泣きながら、微笑んだ。
そこで——映像が、途切れた。
*
「——伍長」
ミラの声で、意識が戻った。
「……っ」
立ち止まっていた。いつの間にか。壁に手をついている。
「大丈夫ですか」
ミラが、心配そうに俺を見ている。
「……ああ」
声が、掠れた。
「思い出した」
青いリボンを、見た。色褪せた布。ほつれた端。でも——確かに、ここにある。
「リアが……くれたんだ」
胸が、締め付けられる。
「このリボンを」
あの日の光景が、まだ目の奥に残っている。薄暗い部屋。窓からの光。泣きながら微笑む少女。
「ごめん……リア……」
小さく、呟いた。
「ずっと……忘れてた……」
ミラは、何も言わなかった。ただ、静かに待っていてくれた。俺は、深く息を吸った。
「でも——もう大丈夫だ」
顔を上げた。
「……行こう」
俺は、歩き出した。
*
通路は、さらに深くへと続いていた。空気が、変わっていく。温かくなる。光の密度が、増していく。
無数の光の粒子が、漂い始めた。感情共鳴ログアーカイブ層が、近い。リアが、待っている。
俺は、ようやく全てを知った。そして——会いに来た。
左手首が、熱くなった。青いリボンが、淡く光り始めた。
その時——別の記憶が、流れ込んできた。
*
——暗い。
——路地。
——走っている。
別の記憶だ。これは——シャドウの頃か。
俺は、誰かを抱えて走っていた。小さな身体。軽い。震えている。
「逃げろ」
俺の声。低い、大人の声。
「俺が、時間を稼ぐ」
腕の中の存在が、俺を見上げた。小さな顔。怯えた目。涙が、頬を伝っている。
「お兄ちゃん……」
幼い声。震える声。
「お兄ちゃんも、一緒に……」
「いいから、行け」
俺は、その子を下ろした。安全な場所に。
「でも……!」
「大丈夫だ」
振り返らずに、言った。
「俺は、大丈夫だから」
嘘だった。大丈夫じゃなかった。でも——この子を、逃がさなきゃいけない。小さな手が、俺の服を掴んだ。
「お兄ちゃん……」
「行け」
俺は、その手を振り払った。
「生きろ」
そして——走り出した。追っ手を、引きつけるために。背後で、小さな足音が遠ざかっていく。
良かった。逃げてくれた。俺は——
*
「——レオン伍長!」
ミラの声。強い声。
「……っ」
膝をついていた。いつの間にか。
息が、できない。胸が、締め付けられる。額に、汗が滲んでいる。手が、震えている。
あの子の顔が——まだ、目の奥に焼きついている。怯えた目。涙。小さな手。
「大丈夫ですか……!」
ミラが、俺を支えてくれている。
「……ああ」
声が、荒い。心臓が、激しく打っている。
「また……思い出した」
あの子は、誰だ。「お兄ちゃん」と呼んでくれた、あの子は。俺は——何をしたんだ。
「……」
分からない。まだ、全部は思い出せない。でも——確かに、俺は誰かを逃がした。ニナが言っていた。「何かをして、消えた」と。あれが——そうなのか。
「行けますか」
ミラの声。
「……ああ」
立ち上がった。足が、少し震えている。でも——止まれない。
リアが、待っている。
*
通路の先に、扉があった。古い扉。でも、光を放っている。隙間から、温かな光が漏れている。
青いリボンが、強く光った。熱い。燃えるように、熱い。
「ここです」
ミラが、言った。
「感情共鳴ログアーカイブ層」
俺は、扉に手をかけた。
初めてここに来た時。光の粒子の中で、リアに会った。手を伸ばしたけど、すり抜けた。名前も聞けなかった。
それから何度も通った。でも、会えなかった。今度こそ——
「……リア」
小さく、呟いた。
「会いに来たよ」
扉を、開いた。
*
光が、溢れた。無数の光の粒子が、漂っている。蛍のように。星のように。温かい。優しい。懐かしい。
以前と、同じ光景。でも——何かが違う。光の粒子が、動いている。俺に向かって。集まってくる。
青いリボンが、眩く光った。そして——空間の奥で、光が集まり始めた。
人の形に。
少女の形に。
栗色の髪。
茶色の瞳。
赤いリボン。
「——」
声が、出なかった。
リアが、俺を見ていた。以前より、輪郭がはっきりしている。表情が、見える。微笑んでいた。涙を流しながら。
「——来て、くれたんだね」
リアの声。途切れ途切れじゃない。はっきりと、聞こえる。
「待ってた……」
リアが、一歩、近づいた。
「ずっと……待ってたよ」
俺は——言葉が、出なかった。
ただ、一歩、踏み出した。




