第52話:カイへの直談判
翌朝。
俺は、メモリアルタワーの前に立っていた。
見上げる。青白い光を放つ巨大な塔。削除された記憶が保管される場所。そして——カイ大佐の執務室がある場所。
今日は、一人で来た。ミラには、待っていてくれと言った。これは、俺とカイ大佐の問題だ。
昨日、アリアに言われた言葉が頭をよぎる。
『存在率。また、下がってる』
『今、どれくらい?』
『……62%くらいだ』
時間は、あまりない。だからこそ、今日、聞かなければならない。タワーの深部にいる、あの少女のこと。俺の記憶に出てくる、赤いリボンの少女のこと。
彼女は、名前すら思い出せないと言っていた。でも、カイ大佐なら何か知っているはずだ。
*
長い廊下を歩く。靴音だけが響く。
俺が調べて分かったこと。シャドウ部隊。エラー体の排除。ガロウとの任務。ニナを救った過去。そして、何かをして、記憶を消されたということ。記憶を消したことは、カイ大佐自身が認めた。
でも、分からないことがある。シャドウ部隊の記憶を消すだけなら、なぜ、あの少女との記憶まで消えている?
幼い頃、施設で誰かと遊んでいた。あの断片的な記憶。それは、シャドウとは関係ないはずだ。
*
執務室の前。深呼吸をする。
ノックした。
「……入れ」
低い声。
俺は、ドアを開けた。
カイ大佐は、デスクに座っていた。書類から顔を上げ、俺を見る。
「何の用だ」
「聞きたいことがあります」
俺は、真っ直ぐカイ大佐を見た。
「タワーの深部にいる少女のこと」
「俺の記憶に出てくる、あの少女のこと」
カイ大佐の目が、一瞬だけ揺れた。
「……座れ」
向かいの椅子を示された。俺は、腰を下ろした。二人、向かい合う。
「何を知っている」
「俺がシャドウ部隊にいたこと」
俺は、調べたことを並べた。
「エラー体の排除任務をしていたこと」
「ガロウと一緒だったこと」
「そして——記憶を消されたこと」
カイ大佐は、黙って聞いている。
「でも、分からないことがあります」
俺は、左手首のリボンを見た。
「シャドウの記憶を消すだけなら、幼い頃の記憶まで消す必要はないはず」
「なのに、俺は何も覚えていない」
「あの少女のことも。……幼い頃、施設で誰かと遊んでいた——あの記憶の断片も」
「なぜですか」
長い沈黙。
カイ大佐は、窓の外を見た。
やがて、口を開いた。
「……リア、か」
*
心臓が、跳ねた。
「リア……」
俺は、その名前を口にした。知らないはずの名前。彼女自身も思い出せなかった名前。なのに——胸の奥が、震えた。
「名前を……知っているんですか」
「ああ」
カイ大佐は、俺を見た。
「あの少女は——俺の娘だ」
*
息が、止まった。
「……娘」
「ああ」
カイ大佐の声は、平坦だった。
「リア・エルドリッジ。俺の一人娘。20年前に……失った」
失った。その言葉の重さが、胸に落ちた。カイ大佐は、それ以上何も言わなかった。窓の外を見ている。その横顔からは、何も読み取れない。
「俺と……リアは……」
声が、震えた。
「どういう関係だったんですか」
カイ大佐は、ゆっくりと俺を見た。
「幼なじみだ」
胸が、締め付けられる。
「施設で、一緒に育った」
カイ大佐は、言葉を選ぶように続けた。
「お前は孤児だった。施設で暮らしていた」
「リアは……俺が仕事で忙しい時、施設に預けていた」
「二人は、いつも一緒だった」
いつも一緒。その言葉が、胸に刺さる。
覚えていない。何も、覚えていない。
「青いリボン」
カイ大佐が、俺の左手首を見た。
「それは……リアがお前にあげたものだ」
「リアが……」
「ああ」
カイ大佐は、静かに言った。
「『忘れないで』と言って」
忘れないで。その言葉が、胸を貫いた。
俺は、リボンを見た。青い、少し色褪せたリボン。ずっと外さなかった。理由は分からなかった。でも、外せなかった。
「リアが……くれたのか」
声が、かすれた。
「『忘れないで』と……」
なのに、俺は、忘れてしまった。リアのことを。名前すら、覚えていなかった。
「なぜ……」
俺は、顔を上げた。
「なぜ、俺の記憶を消したんですか」
「シャドウの記憶だけじゃない。リアとの記憶まで」
「なぜですか」
カイ大佐は、黙っていた。
長い沈黙。
窓から差し込む光が、ゆっくりと動いていく。
「……お前は」
カイ大佐は、静かに言った。
「俺にとっても、大切な存在だった」
「……」
「リアが心を開いたのは、お前だけだった」
「リアが笑うのは、お前といる時だけだった」
カイ大佐の声が、少しだけ低くなった。
「だから、お前が壊れていくのを、見ていられなかった」
「壊れる……?」
「お前は……リアを失った後、壊れかけた」
カイ大佐の声には、感情がない。事実だけを述べている。
「眠れない。食べられない。誰とも話さない」
「ただ、リアの名前だけを、繰り返していた」
胸が、痛い。覚えていない。何も、覚えていない。でも——体の奥が、震えている。この痛みを、知っている気がする。
「あのままでは、お前は、死んでいた」
カイ大佐は、俺を見た。
「だから、消した」
「リアとの記憶を。全て」
「お前を、守るために」
沈黙が、落ちた。俺は、何も言えなかった。リアを失って、壊れかけた。だから、記憶を消された。
守るために。それが——真実。
「……正しかったのか」
カイ大佐が、呟いた。その声は、初めて聞く、弱い声だった。
「俺にも、分からない」
俺は、カイ大佐を見た。窓の外を見ている横顔。その目が、揺れている。
「お前から、リアを奪った」
「記憶も。思い出も。全て」
「それがお前のためだったのか」
「それとも——俺自身が、耐えられなかっただけなのか」
カイ大佐の声が、小さくなった。
「リアの名前を呼び続けるお前を見ているのが——」
言葉が、途切れた。
「……分からないんだ。20年経っても」
*
長い沈黙が流れた。
俺は、立ち上がった。
「全てを……教えてください」
「まだ、全ては話せない」
カイ大佐は、いつもの声に戻っていた。冷たく、平坦な声。
「だが……いずれ、全てを話す時が来る」
俺は、カイ大佐を見た。
「……分かりました」
そう言って、続けた。
「でも、あなたが話さない部分は——自分で見つけます」
カイ大佐は、俺を見た。その目に、何かがよぎった。
「……そうか」
微かに、口元が緩んだ。
「行け」
「はい」
俺は、踵を返した。ドアに手をかける。
「レオン」
振り返る。カイ大佐は、俺を見ていた。
「リアは……お前に会いたがっていた」
「ずっと、待っていた」
「……」
「それだけは、覚えておけ」
俺は、頷いた。
それだけが、精一杯だった。
*
タワーの外に出た。夕暮れの光が、目に染みる。
「レオン伍長」
ミラが、待っていた。俺の顔を見て、何も聞かずに、隣に立った。
「……帰ろう」
「はい」
二人で、歩き出す。しばらく、無言だった。
「リア」
俺は、呟いた。
「あの少女の名前だ」
ミラが、俺を見た。
「カイ大佐の……娘だった」
「……」
「そして、俺の幼なじみだった」
俺は、リボンを見た。
「このリボンは、リアがくれたものだった」
「『忘れないで』って」
声が、震えた。
「でも俺は——忘れてしまった」
長い沈黙。
やがて、ミラが静かに言った。
「レオン伍長」
「ん」
「あなたは……リボンを外しませんでした」
俺は、ミラを見た。
「記憶がなくても」
「理由が分からなくても」
「ずっと」
ミラは、真っ直ぐ俺を見ていた。
「……」
俺は、リボンを握りしめた。
そうだ。覚えていなかった。名前も、顔も、何も。
でも——このリボンだけは、外せなかった。
「……ああ、そうだったな。」
小さく、頷いた。
*
夕暮れの街を歩く。オレンジ色の光が、全てを染めている。
「ミラ」
「はい」
「俺は——リアに会いたい」
俺は、空を見上げた。
「あの子は、ずっと一人で待っていた」
「俺のことを、覚えていてくれた」
「なのに俺は、名前すら忘れていた」
拳を、握りしめた。
「もう二度と、忘れない」
「そして、必ず、また会いに行く」
ミラは、静かに頷いた。
「私も、一緒に行きます」
「……ああ」
俺たちは、歩き続けた。
カイ大佐は、まだ全てを話していない。リアを「失った」理由。俺の記憶に残る、あの断片的な映像の意味。まだ、分からないことだらけだ。
でも、一つだけ、確かなことがある。
リアは、待っている。ずっと、待っていると言った。
「待っていてくれ、リア」
小さく、呟いた。
「必ず——また会いに行く」
夕日が、街を包んでいた。
青いリボンが、夕日を受けて、淡く光っていた。




