第46話:ガロウからの伝言
朝だった。
窓から差し込む光が、部屋を照らしている。
「レオン伍長」
扉の向こうから、ミラの声が聞こえた。
「入ってよろしいですか」
「ああ」
扉が開く。ミラが入ってきた。その手に、封筒を持っている。
「先ほど、街で声をかけられました」
「見知らぬ男性に、これを渡してくれと」
「見知らぬ男……?」
「はい。少し怪しい気もしたのですが、すぐにどこかへ行ってしまったので返すこともできず、レオン伍長に判断いただこうと思い、お持ちしました」
俺は、封筒を受け取った。表には、俺の名前だけが書かれている。
「大柄な男でした。短い髪に、白髪が混じっていて……」
俺は、息を呑んだ。
「……おそらく、ガロウだ」
「……以前お話しされていた方ですか」
封を開けた。中には、短い手紙。
『話がある。この間の続きだ。今日の夕刻、南区の廃倉庫で待つ』
それだけだった。署名もない。二週間前、街で再会した。記憶が食い違っていた。話の途中で、誰かの気配を感じて別れた。
『また会う。必ず、また会う』
ガロウは、そう言っていた。
*
夕刻。
南区の外れ。人気のない通りを歩いた。ミラは連れてこなかった。「危険かもしれない」と言ったが、俺は一人で行くことにした。
廃倉庫が見えてきた。戦争で使われていた補給拠点の跡地。今は誰も使っていない。
入り口に立つ。中は暗い。埃っぽい空気。
「……来たか」
声が、聞こえた。奥から、影が現れる。大きな体躯。短い黒髪に白髪が混じっている。ガロウだった。
「二週間ぶりだな」
ガロウは、俺を見た。鋭い灰色の瞳。でも、どこか優しさがある。
「話の続きだ」
*
倉庫の奥。埃を被った木箱に、二人で腰を下ろした。
夕日が、壊れた窓から差し込んでいる。オレンジ色の光が、ガロウの顔を照らしていた。
「あの後」
ガロウが、口を開いた。
「色々と、思い出した」
「思い出した……?」
「ああ。断片的だが」
ガロウは、自分のこめかみを指で叩いた。
「俺の記憶には、穴があった。お前に会って、それが少しずつ埋まってきた」
「お前を見た瞬間——何かが、蘇り始めた」
「……」
「俺たちの記憶は、誰かに書き換えられている」
ガロウの声が、低くなった。
「俺も。お前も」
「……ああ」
俺は、頷いた。
「実は——カイ大佐に、聞いた」
「俺の記憶は、操作されていると」
ガロウの目が、細くなった。
「……そうか。やはり、あの男か」
沈黙が流れた。
「俺が覚えている『ガロウ隊』は」
俺は、言った。
「存在しなかった。カイ大佐が、作り上げた記憶だと」
「……そうか」
ガロウは、目を閉じた。
「俺の方は——お前の顔は知っていた。懐かしいとも思った」
「だが、どこで一緒だったのか——それが思い出せなかった」
「部隊にいた記憶が、すっぽり抜け落ちていたんだ」
ガロウは、目を開けた。
「だが、最近になって……断片的に蘇ってきた」
「お前と、コーヒーを飲んだ記憶」
「約束を交わした記憶」
「それが、どこでのことなのか……まだ、はっきりしない」
ガロウは、俺を見た。
「だが、一つだけ確かなことがある」
「確かなこと?」
「俺たちは、戦場で会ったんじゃない」
*
俺は、息を呑んだ。
「戦場じゃない……?」
「ああ」
ガロウは、頷いた。
「俺の記憶に、戦場はない。でも、お前との記憶は——ある」
「なら、どこで……」
「『シャドウ』」
ガロウが、その名前を口にした。
「お前は……『シャドウ』を覚えているか」
シャドウ。その言葉を聞いた瞬間、頭の奥が疼いた。何かが、引っかかる。でも、掴めない。
「シャドウ……?」
「特殊部隊だ」
ガロウの声が、低くなった。
「『エラー体』を排除する任務を持った部隊」
「エラー体……」
「規律から外れた存在だ。秩序を乱すもの」
「俺たちは、それを排除していた」
「俺は……」
声が、震えた。
「俺は、そこにいたのか……?」
「ああ」
ガロウは、俺を見た。
「お前は、シャドウの隊員だった」
「俺は、隊長だった」
*
世界が、揺れた気がした。シャドウ。特殊部隊。エラー体の排除。俺が。その部隊に。
「思い出せないか」
ガロウの声が、遠く聞こえる。
「……思い出せない」
俺は、首を横に振った。
「何も……思い出せない」
「やはり、消されているんだな」
ガロウは、溜息をついた。
「俺の記憶も、大部分が消えている」
「だが、お前に会って——少しずつ戻ってきた」
「何かが、俺たちの記憶に干渉している」
*
沈黙が流れた。
夕日が、さらに傾いていく。倉庫の中が、薄暗くなっていく。
「もう一つ」
ガロウが、口を開いた。
「思い出したことがある」
「……何だ」
「お前は——誰かを逃がした」
心臓が、跳ねた。カイ大佐も、同じことを言っていた。『削除すべき存在を、逃がした』と。
「俺も、そこにいた気がする」
ガロウは、眉間に皺を寄せた。
「誰だったのか……思い出せない。だが、お前は——命令に逆らって、誰かを逃がした」
「……」
「それが、お前の『罪』だった」
俺は、拳を握った。誰を逃がしたのか。なぜ逃がしたのか。何も、思い出せない。
「カイ大佐も……同じことを言っていた」
「そうか」
ガロウは、頷いた。
「なら、事実なんだろう」
「お前は、誰かを救おうとした」
「命令に逆らってでも」
ガロウの目が、俺を捉えた。
「お前は——そういう奴だった」
*
その言葉に、胸が熱くなった。覚えていないのに。何も思い出せないのに。でも、ガロウの言葉には、確信があった。
「俺は……」
「お前を覚えている」
ガロウが、言った。
「記憶は曖昧だ。でも——お前がどんな奴だったか、それだけは分かる」
「お前は、優しい奴だった」
「誰かを放っておけない奴だった」
「だから——」
ガロウは、立ち上がった。
「俺は、お前を信じる」
*
ガロウの目が、俺の左手首で止まった。
「……そのリボン」
「……」
「お前は、前からそれを大切にしていた」
「覚えているのか……?」
「ああ。はっきりとは思い出せないが——」
ガロウは、目を細めた。
「お前がそれを見つめる時、何か大切なものを思い出しているような顔をしていた」
「だから——ずっと、気になっていた」
俺は、左手首を見た。青いリボン。温かい。
「誰に、もらった」
「……分からない」
「分からない?」
「いつからあるのかも、思い出せない」
ガロウは、黙った。
しばらくして、口を開いた。
「誰かが、お前にそれを渡した」
「その誰かを、お前は忘れている」
「いや——忘れさせられている」
ガロウの目が、鋭くなった。
「そこに、答えがあるかもしれない」
俺は、青いリボンに触れた。温かい。いつも、温かい。
あの少女。メモリアルタワーで会った、赤いリボンの少女。青いリボンと、赤いリボンが——共鳴した。
「……心当たりは、ある」
俺は、呟いた。
「心当たり?」
「まだ、確信はない。でも……」
俺は、ガロウを見た。
ガロウは、頷いた。
「そうか」
*
外から、物音が聞こえた。ガロウの表情が、一瞬で変わった。
「……来たか」
低く、呟いた。
「今日は、ここまでだ」
「待ってくれ——」
俺は、立ち上がった。
「まだ、聞きたいことが——」
「次がある」
ガロウは、振り返った。
「連絡方法を作ろう」
「……忘却堂という店がある」
俺は、答えた。
「信用できる男がいる。伝言を残すなら、そこがいい」
「場所は」
「南区の路地裏だ。看板が出ている」
ガロウは、頷いた。
「分かった。次は、そこに連絡を入れる」
ガロウは、倉庫の奥へ向かった。別の出口があるらしい。
「レオン」
背中越しに、声が聞こえた。
「カイ大佐から、なんとかして聞き出すしかない」
「あの男は、全てを知っている」
「……ああ」
「そして——」
ガロウは、振り返った。
「シャドウには、もう一人いた」
「もう一人……?」
「お前の、同僚だ」
ガロウの目が、俺を捉えた。
「名前は……まだ思い出せない。だが、女だった」
「その女も——お前のことを、覚えているかもしれない」
*
ガロウの姿が、闇の中に消えていった。俺は、一人残された。倉庫の中。薄暗い。夕日は完全に沈み、外は暗くなっていた。
頭の中で、ガロウの言葉が繰り返される。
『お前は、誰かを救おうとした。命令に逆らってでも』
——俺は、そういう奴だったのか。
シャドウ。エラー体の排除。誰かを逃がした。覚えていない。何も、思い出せない。
でも——
左手首の青いリボンに、触れた。温かい。
『お前がそれを見つめる時、何か大切なものを思い出しているような顔をしていた』
誰かが、俺にこれを渡した。その誰かを、俺は忘れさせられている。
俺は、倉庫を出て、夜の街を、歩き始めた。
この温かさの意味を——俺は、知りたい。




