第45話:届かない光
眠れなかった。
何度も、目が覚めた。そのたびに、あの少女の顔が浮かぶ。栗色の髪。茶色の瞳。赤いリボン。儚い笑顔。
『また……会いに来て……』
『待ってる……』
『ずっと……待ってるから……』
目を開けると、窓の外が白んでいた。
俺は起き上がり、左手首を見た。青いリボン。まだ、温かい。昨日から、ずっと。
「……今日も、行ってみよう」
*
朝食を済ませ、すぐにメモリアルタワーへ向かった。ミラが、隣を歩いている。何も言わず、ただ寄り添ってくれている。
タワーの入り口で許可証を見せ、エレベーターに乗り込んだ。昨日と同じように、深く、深く降りていく。
*
扉が開いた。
暗い空間。無数の光の粒子が、ゆっくりと漂っている。昨日と、同じ光景。
俺は、一歩踏み出した。
「……」
光を、見渡す。どれも同じように見える。温かく、静かに、揺らめいている。
「いるんだろう」
声をかけた。
「俺だ。昨日、会った」
返事は、ない。光は、漂い続けている。集まる気配は、ない。
俺は、手を伸ばした。目の前の光の粒子に。指先が、触れる——
すり抜けた。
温かさも、冷たさも、何も感じない。もう一度。
また、すり抜けた。何度やっても、同じだった。
「……」
掴めない。届かない。すぐそこに、いるはずなのに。
*
一時間が過ぎた。
二時間が過ぎた。
光の粒子は、変わらない。時折、青いリボンが温かくなる。微かに、熱を持つ。
「いる」のは、分かる。どこかに、いる。でも——姿を見せてくれない。
「レオン伍長」
ミラの声。静かな声。
「……何だ」
「推測ですが……」
ミラは、漂う光を見つめていた。
「あの方は、長い間この場所にいたはずです」
「昨日の具現化で、何かを消耗したのかもしれません」
「……消耗」
「はい。あくまで推測ですが……」
ミラは、俺を見た。
「姿を見せたくても、見せられないのかもしれません」
俺は、拳を握った。
*
その日は、結局、何も起きなかった。翌日も、タワーを訪れたが、同じだった。光は漂い、青いリボンは時折温かくなる。でも、少女は現れない。
三日目の夜。俺は、ベッドに横たわっていた。眠れない。目を閉じても、暗闇の中に光の粒子が浮かぶ。手を伸ばす。すり抜ける。何度も、何度も。
目を開けた。天井を、見つめた。
「……」
左手首を、持ち上げた。青いリボン。月明かりに、淡く光っている。
「お前は、誰なんだ」
呟いた。
「俺の、なんなんだ」
「なぜ——こんなに、会いたいと思うんだ」
答えは、ない。リボンは、ただ温かいだけだ。
「……明日こそ」
目を閉じた。
「明日こそ、会えるかもしれない」
*
四日目も、五日目も、変わらなかった。
光の中に立ち、手を伸ばす。すり抜ける。声をかける。返事はない。毎日、同じことの繰り返し。
でも、俺は通い続けた。あの子が、待っていると言ったから。ずっと待っていると、言ったから。
五日目の夕方。タワーを出ると、空が赤く染まっていた。ミラが、隣にいる。
「レオン伍長」
「……ん」
「今日も、会えませんでしたね」
「……ああ」
俺は、空を見上げた。夕日が、眩しい。
「俺は——」
言葉が、詰まった。
「俺は、毎日会いに来ている」
「でも——何もできない」
拳を、握った。
「俺は、ただ——待っていることしかできない」
ミラは、何も言わなかった。ただ、俺の隣に、いてくれた。
*
その夜、俺は、忘却堂を訪れた。
扉を開けると、コーヒーの香りがした。
「おや」
カウンターの向こうで、マルコが顔を上げた。
「珍しいな。こんな時間に」
「……話がある」
俺は、カウンターの前に座った。ミラも、隣に。マルコは、俺の顔をじっと見た。
「……焦ってるな」
「……」
「何があった」
俺は、しばらく黙っていた。どこから話せばいいのか、分からなかった。
「メモリアルタワーの深部で」
ようやく、口を開いた。
「少女を、見た」
マルコの眉が、動いた。
「深部で。光の粒子が集まって……人の形を取った」
「赤いリボンをつけた、少女だった」
マルコは、黙ってコーヒーを淹れ始めた。
「深部に何かがいる、という話は聞いたことがある。噂程度だがな」
「誰も確かめた者はいない。入れる者が、限られているからだ」
カップを、俺の前に置いた。
「お前が、初めてかもしれん」
「……」
「それで?」
俺は、コーヒーには手をつけなかった。
「一度だけ、会えた」
「話もした。でも、名前を聞く前に、消えてしまった」
「それから毎日、通っているが、会えない」
俺は、左手首を見た。
「このリボンが、時々温かくなる」
「『いる』のは、分かる」
「ただ、姿を見せてくれない」
「……それと」
俺は、少し迷った。でも、話すことにした。
「カイ大佐に、言われたことがある」
「……俺の記憶は、操作されていると」
マルコの目が、細くなった。
「……そうか」
*
マルコは、自分のカップを手に取り、一口飲んだ。
「色々と、辻褄が合うな」
「……何がだ」
「お前のことだ」
マルコは、カップを置いた。
「お前は、最初から何かがおかしかった」
「一級の術師が、突然現れた。過去の記録もなく」
「俺は深く聞かなかったがな」
俺は、黙っていた。
「それで、どうしたい」
「……どうしたい?」
「お前は、どうしたいんだ」
俺は、言葉に詰まった。
「待ってるだけか?」
マルコの声は、穏やかだった。でも、どこか鋭い。
「毎日タワーに通って、会えるのを待つだけか?」
「……」
「それで、何か変わるか?」
俺は、答えられなかった。
「お前も、薄々分かっているんだろう」
「あの少女が、お前の過去に関係していることくらい」
「……ああ」
「なら、やるべきことは一つだ」
マルコは、立ち上がった。
「動け、レオン」
「調べろ。探せ。答えを、見つけに行け」
「待ってるだけじゃ、何も変わらん」
*
帰り道。
夜空に、星が瞬いていた。ミラが、隣を歩いている。
「……マルコの言う通りだ」
俺は、呟いた。
「俺は、待っていただけだった」
「会いに行っているつもりで、何もしていなかった」
足を、止めた。タワーが、夜空に聳えている。白い壁が、月明かりに照らされていた。
「調べよう」
声に、力を込めた。
「俺の過去を。あの少女のことを。カイ大佐が隠していることを。徹底的に」
ミラが、俺を見た。
「レオン伍長……」
「待っているだけじゃ、何も始まらない」
俺は、拳を握った。
青いリボンに、触れた。温かい。まるで、「待ってる」と、言っているように。
「……ああ。もう少しだけ、待っていてくれ」
「必ず、また会いに行く」
「何度でも——届くまで」
風が、吹いた。冷たい、夜の風。
でも、左手首だけは——温かかった。




