第41話:再会
言葉は、なかった。ただ、立っていた。二人とも。夕日の中で。
ガロウは、俺を見ていた。俺も、ガロウを見ていた。何年も、会っていなかった。死んだと思っていた。
でも——目の前に、いる。
「……」
ガロウの口が、動いた。声は、出なかった。俺も、同じだった。喉が詰まって、何も言えなかった。
夕日だけが、二人の間を照らしていた。
*
記憶が、蘇った。
ガロウの顔を見た瞬間——簡易キッチン。
コーヒーの匂い。ガロウが、カップを受け取る。一口飲んで、顔をしかめた。
『お前のコーヒーは不味いな』
『だから自分で淹れろと言っただろう』
『不味いが——』
ガロウは、もう一口飲んだ。
『なぜか、落ち着く』
俺は、笑った。ガロウも、笑った。無骨な笑顔だった。
『明日、終わったら——お前の故郷の話を聞かせてくれ』
『故郷?特に語るようなこともないが……』
『いや、お前がたまに見せる、あの穏やかな表情』
『何か、大切なものを思い出してるような顔だ』
俺は、自分の左手首を見た。青いリボンが、街灯の光を受けて微かに光っている。
『……そうだな。明日が終わったら、話すよ』
『約束だぞ』
ガロウは、拳を差し出した。俺は笑って、その拳に自分の拳を合わせる。
『ああ、約束だ』
*
——その「明日」は、来なかった。少なくとも、俺の記憶では。
部隊は全滅した。ガロウは死んだ。俺だけが、生き残った。そう、記憶している。でも——ガロウは、ここにいる。生きている。
「……馬鹿野郎」
ガロウの声が、聞こえた。低い声だった。震えていた。
「生きてやがったか……」
俺は、やっと声を絞り出した。
「ガロウ……お前こそ……」
「ああ」
ガロウが、頷いた。
「生きている」
沈黙が流れた。俺の目が、熱くなった。生きている。ガロウは、生きている。
「お前は……」
声が掠れた。
「お前は……死んだはずだ……」
「あの戦場で……部隊が……」
ガロウの表情が、変わった。
困惑。
「……戦場?」
「ああ……あの作戦で……部隊が全滅して……」
「待て」
ガロウが、俺の言葉を遮った。眉をひそめていた。
「部隊? 何のことだ」
「……え?」
「俺は……」
ガロウは、言葉を切った。何かを思い出そうとするように、眉間に皺を寄せた。
「……分からない」
「お前と部隊にいた記憶は……ない」
世界が、揺れた。
「何を……言っている……」
「俺も分からないんだ」
ガロウの声が、低くなった。
「お前の顔は……知っている」
「なぜか、懐かしい」
「だが——どこで会ったのか、思い出せない」
俺は、言葉を失った。ガロウも——覚えていない?
俺の記憶では、ガロウは隊長だった。一緒に戦場に立った。約束を交わした。でも——ガロウは、それを覚えていない。
「最近……」
ガロウが、続けた。
「おかしいんだ」
「断片的に……何かを思い出す」
「コーヒーの匂い。誰かと話した記憶。約束……」
ガロウの目が、俺を見た。
「今、お前を見て……少しだけ、蘇った」
「だが、全体が繋がらない」
「俺の記憶には……穴がある」
穴。記憶の穴。俺にも——あるのか。
そもそも、俺が覚えている「戦場」は、本当にあったのか。ガロウが覚えていないのは——なぜだ。
「お前は……」
ガロウが、俺を見つめた。
「お前の記憶は……どうなっている」
「俺は……」
声が震えた。
「俺は……覚えている」
「お前が隊長だった。一緒に戦った。部隊が全滅した」
「でも——」
言葉が、詰まった。
「お前が覚えていないなら……俺の記憶は……」
沈黙。ガロウは、俺を見つめていた。やがて、口を開いた。
「俺たちの記憶は——」
低い声だった。
「おかしい」
「どちらも……何かが、欠けている」
「誰かに——」
その時だった。ガロウが、言葉を止めた。俺も、気づいた。気配。路地の向こう。足音。複数。
ガロウの表情が、変わった。警戒。緊張。
「……まずい」
小さく、呟いた。
「最近、誰かに見られている気がする」
「見られている……?」
「分からない。だが——今は、話せない」
ガロウは、身を翻した。
「待ってくれ——」
俺は、腕を伸ばした。
ガロウは、振り返った。
「また会う」
「必ず、また会う」
「ガロウ——」
「それまで——」
ガロウの目が、俺を捉えた。
「何も信じるな」
「お前自身の記憶さえも」
その言葉が、俺の胸を刺した。ガロウは、路地の奥へ走り出した。
「待て——!」
俺は、追いかけようとした。しかし——足が、動かなかった。ガロウの背中が、遠ざかっていく。夕闇の中に、消えていく。
「ガロウ……!」
叫んだ。返事はなかった。足音も、いつの間にか消えていた。
俺は、一人残された。
*
どれくらい、立ち尽くしていただろう。夕日は完全に沈み、空は暗くなっていた。街灯が、ぽつぽつと灯り始めている。俺は、壁にもたれかかっていた。頭が、混乱していた。
ガロウは、生きていた。でも——俺の記憶と、違う。俺は「ガロウ隊」にいたと記憶している。ガロウは「部隊にいたことはない」と言う。コーヒーの思い出は——本当にあの戦場の前夜のことだったのか。
何が、本当だ。何が、嘘だ。
『何も信じるな。お前自身の記憶さえも』
ガロウの言葉が、頭から離れない。俺自身の記憶。それさえも——信じられないのか。
「……」
ふと、空を見上げた。揺らいでいる。また、揺らいでいる。世界が、歪んでいる。俺の記憶も、歪んでいるのか。誰かに——歪められたのか。
「……カイ大佐」
その名前が、浮かんだ。カイ大佐は、俺を救ってくれた人だ。心が壊れかけた俺を、忘却術師として生かしてくれた。
信頼していた。尊敬していた。
でも——俺の記憶が、おかしいなら。誰かが、操作したとしたら。それができるのは——
「……」
考えたくなかった。考えたくなかったが——考えずにはいられなかった。
*
気づくと、歩いていた。目の前に、メモリアルタワーがあった。白く、半透明に光っている。忘れられた者の記憶を保管する塔。
俺の記憶も——ここにあるのか。俺が忘れている記憶が。俺が忘れさせられた記憶が。
「……」
タワーを、見上げた。答えは、ここにあるのかもしれない。俺の本当の過去。
俺が知らない——俺自身のこと。
*
部屋に戻ると、ミラが待っていた。
「レオン伍長」
俺の顔を見て、ミラの表情が変わった。
「……何か、あったのですか」
俺は、答えなかった。答えられなかった。
「レオン伍長……」
ミラが、近づいてきた。
「顔色が、良くありません」
「……ああ」
俺は、椅子に座った。深く、息を吐いた。
「ミラ」
「はい」
「俺は——俺のことを、どれだけ知っている?」
ミラは、首を傾げた。
「どういう意味ですか」
「俺の過去。俺の記憶。俺が、どこから来たのか」
「……」
ミラは、黙った。
「私は……レオン伍長の部下として、配属されました」
「それ以前のことは、知りません」
「……そうか」
当然だ。ミラは、最近配属されたばかりだ。俺の過去など、知るはずがない。
「レオン伍長」
ミラが、俺を見た。真っ直ぐな目だった。
「何があったか、分かりません」
「でも——」
ミラは、一歩近づいた。
「私は、あなたの味方です」
「……」
「何があっても」
「あなたが何者でも」
「私は、あなたの味方です」
俺は、ミラを見た。銀色の髪。真っ直ぐな瞳。この子は、俺を信じてくれている。俺が何者か分からなくても。俺の記憶が本物か分からなくても。
「……ありがとう」
俺は、小さく笑った。
笑えた自分に、少し驚いた。
「ミラ」
「はい」
「明日——カイ大佐に、会いに行く」
「聞きたいことが、ある」
ミラは、頷いた。
「お供します」
*
窓の外を、見た。夜空に、星が輝いている。本物の星なのか。それとも——
左手首の、青いリボンを見た。誰がくれたのか、分からない。でも——温かい。このリボンを見ると、温かい気持ちになる。理由は、分からない。
でも——確かに、感じる。この温かさだけは——嘘じゃない。
俺の記憶が、どれだけ歪んでいても。この温かさだけは——本物だと、信じたい。
ガロウは、また会えると言った。その時まで——生き延びる。
そして——全てを、知る。
俺の記憶の真実を。
俺の存在の意味を。
この世界の、本当の姿を。
*
夜が、更けていく。
俺たちは——生きている。お互いに、死んだと思っていた。記憶が、食い違っている。何が本当か、分からない。でも——生きている。
ガロウも、俺も。
その事実だけが、今は確かだった。
次章予告
第3章「過去との再会」
カイ大佐を問い詰めるレオン。
明かされる、記憶の真実。
メモリアルタワーで出会う、謎の少女。
青いリボンと、赤いリボン。
「君は……誰だ……」
「私……名前が……思い出せない……」
レオンの過去。リアの正体。
シャドウ部隊の真実。
世界の秘密が、明かされる。
第3章「過去との再会」——開幕。




