第40話:追跡
朝。
俺は、夜明け前に目を覚ました。眠れなかった。何度も目が覚めた。そのたびに、同じ顔が浮かんだ。
ガロウ。今日こそ、見つける。今日こそ、会う。
そして——聞く。何が起きたのか。なぜ生きているのか。俺の記憶は、何なのか。
*
部屋を出ると、ミラが待っていた。
「おはようございます、レオン伍長」
「……ああ」
俺は、コートを羽織った。
「今日は、一人で出かける。確かめなければならないことがある」
「私も、ご一緒します」
ミラが、一歩前に出た。
俺は、首を振った。
「いや。これは俺自身の問題だ。お前を巻き込みたくない」
ミラは、しばらく俺を見ていた。何か言いたそうだった。でも、言葉を飲み込んだ。
「……分かりました」
小さく、頷いた。
「でも——必ず、戻ってきてください」
俺は、少し驚いた。ミラの目が、真っ直ぐに俺を見ていた。
「……ああ。必ず、戻る」
*
朝、カイ大佐の執務室へ謝罪に向かった。
「次はないと思え。依頼人を待たせることが何を意味するか、お前なら分かるはずだ」
厳しい叱責だった。苦しんでいる人を待たせることが、どれだけ辛いことか。分かっている。
でも——今は、無理だ。
俺は、執務室を出た。
やるべきことがある。
*
街に出た。
俺は、軍の関係者がよく利用する場所を回ることにした。ガロウは、元軍人だ。この街にいるなら——そういう場所に顔を出しているかもしれない。
最初に向かったのは、東区の酒場だった。
「鉄の盾」という名前の、古い酒場。軍の関係者がよく利用することで知られている。昼間でも、何人かの客がいた。
俺は、カウンターに座った。
「何にする」
「……エールを一杯」
店主が、グラスを置いた。俺は、一口飲んだ。
「……実は、人を探している」
店主は、俺を見た。目を細めている。
「……どんな人間だ」
「スキンヘッド。筋肉質。右頬に傷がある」
店主は、首を振った。
「知らないな」
俺は、グラスを空けた。代金を置いて、店を出た。次の酒場に向かった。
*
二軒目の酒場。同じように聞いた。スキンヘッド。筋肉質。右頬に傷。店主は、少し考えていた。
「……そういう男なら、見たことがあるかもしれない」
心臓が、跳ねた。
「本当か。どこで見た」
店主は、俺を見た。何かを探るような目だった。
「……あんた、その男の何だ」
「昔の……知り合いだ」
「……」
店主は、グラスを拭きながら言った。
「悪いことは言わない。関わらない方がいい」
「……なぜだ」
「知らん。ただ——嫌な予感がする。それだけだ」
店主は、それ以上何も言わなかった。俺は、店を出た。
嫌な予感。ガロウに、何かあるのか。分からない。でも——関わらないという選択肢は、ない。
*
三軒目の酒場を出た後、俺は路地裏で立ち止まった。
ガロウの顔を、思い出そうとした。霧がかかっていた記憶が、少しずつ晴れていく。作戦前夜。簡易キッチンで淹れたコーヒー。
『不味いが……なぜか、落ち着く』
あの時のガロウは、笑っていた。
『明日、終わったら、お前の故郷の話を聞かせてくれ』
その「明日」は、来なかった。少なくとも、俺の記憶では。でも、ガロウは生きていた。なら、あの「明日」は、まだ、来ていないだけなのか。
俺は、歩き出した。会いたい。会って、話がしたい。あの「明日」を——取り戻したい。
*
午後になった。
四軒目、五軒目と回った。どこでも、答えは同じだった。知らない。見たことない。焦りが、募っていく。
その時——人混みの中に、スキンヘッドの男が見えた。心臓が跳ねた。俺は、走り出した。
「待ってくれ!」
男が振り返った。
——別人だった。
顔が、違う。傷もない。
「……なんだ、あんた」
男が、怪訝な顔で俺を見た。
「……すまない。人違いだった」
俺は、頭を下げた。落胆が、全身を覆った。
*
夕方になった。日が、傾いていく。
俺は、路地裏の壁にもたれかかった。
今日は——無理だ。どこにもいない。誰も知らない。昨日見たのは、幻だったのか。記憶がおかしくなって、見たいものを見ただけなのか。
「……」
分からなくなっていた。自分の記憶が、自分の目が、信じられなくなっていた。
——帰ろう。
今日は、もう無理だ。明日、また——いや。明日も、見つからないかもしれない。明後日も。その次も。もう二度と、会えないかもしれない。
俺は、重い足を引きずって、帰り道を歩き始めた。
*
広場を通り過ぎ、路地裏に入った時だった。
前方に、人影が見えた。夕日が、路地に差し込んでいた。オレンジ色の光の中に、影が一つ。
俺は、足を止めた。
——スキンヘッド。
心臓が、止まった。広い肩幅。筋肉質の体格。無骨な歩き方。
……また、空振りか。
そう思った。でも——男が、こちらを振り向いた。目が、合った。右頬に——傷。
世界が、止まった。音が、消えた。夕日だけが、二人の間を照らしていた。
男の目が、大きく見開かれた。驚いている。俺を見て、驚いている。
俺も、動けなかった。声が、出なかった。
何秒経っただろう。何分経っただろう。
男が、口を開いた。
「……レオン、か」
低い声だった。
聞き覚えのある声。何度も聞いた声。作戦前夜に、一緒にコーヒーを飲んだ時の声。
でも——今、その声には、震えがあった。
「……ガロウ」
俺は、やっと声を出した。
喉が、詰まった。目が、熱くなった。
「お前……」
言葉が、震えた。
「お前……生きていたのか」
ガロウは、俺を見ていた。複雑な表情だった。驚き。困惑。そして——安堵?
「……ああ」
ガロウが、小さく頷いた。
「生きている」
その言葉が、俺の胸を打った。
生きている。ガロウは、生きている。死んだはずの男が——目の前に、いる。
俺は、立ち尽くしていた。言葉が、出なかった。聞きたいことは、山ほどあった。なぜ生きているのか。なぜ今まで会えなかったのか。俺の記憶は何なのか。
でも——何も言えなかった。
ただ、ガロウが目の前にいる。それだけで——今は、それだけで良かった。
夕日が、沈んでいく。路地裏で、二人の男が向き合っていた。
言葉は、なかった。
でも——それで良かった。




