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忘却術師は透明になる 〜記憶を消して人を救う代わりに、俺は誰からも忘れられる〜  作者: 黄昏
第1章:透明になる忘却術師

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第3話:ブローチに宿る想い


記憶の世界に、入った。


無数の糸が見える。エリカの記憶。まず、金色の糸に触れた。特別に大切な記憶。映像が、流れ込んでくる。


  *


広場。


小さな男の子が、泣いていた。しゃがみこんで、肩を震わせている。周りの大人たちは、忙しそうに通り過ぎていく。誰も、足を止めない。


そこに、幼い女の子が歩いてきた。


男の子の前に、しゃがんだ。小さな手を、握った。


「大丈夫だよ」

「一緒にいるからね」


男の子は、顔を上げた。


涙でぐしゃぐしゃの顔。でも、その目が少しだけ安心したように揺れた。


「おねえちゃん……」

「お母さん、きっと来るよ。それまで一緒にいよう」


女の子は、ずっとその手を握っていた。


しばらくして、お母さんが走ってきた。男の子は飛びついた。泣きながら、抱きついた。お母さんは、女の子を見た。


「あなたが、一緒にいてくれたの?」

「はい」

「ありがとう……本当に、ありがとう……」


男の子も、女の子を見た。涙で濡れた顔。でも、笑っていた。


「おねえちゃん、ありがとう」


これが、二人の始まりだった。


  *


場面が、変わる。


男の子が、女の子に何かを差し出している。顔が、真っ赤だ。手が、少し震えている。


不格好な、花の形のブローチ。木を削って作ったような、素朴なもの。


「俺が作った。あの時のお礼」

「下手くそだけど……いらなかったら、捨てていい」


女の子は、両手で受け取った。

大事そうに、胸に抱えた。


「いらなくなんかない!」

「すごく嬉しい。大切にする」


男の子の目が、輝いた。照れくさそうに、笑っている。


あのブローチだ。エリカが、ずっと胸元に付けていた。あの不格好なブローチは、この子が作ったものだったのか。


  *


場面が、変わる。


少し成長した二人。夕日の下、並んで歩いている。笑い合っている。女の子の胸元には、あのブローチが輝いている。


「エリカ」


男の子が、真っ直ぐな目で言った。


「お前が誰かを助ける時、俺がお前を守る」

「だから、俺は強くなる。絶対に」


その目は、真っ直ぐだった。子供の頃から。ずっと、真っ直ぐだった。


  *


また、場面が変わる。朝の街角。


「今日の夜、話したいことがあるんだ」


カイルの顔は、真剣だった。耳が、真っ赤だった。


「……分かった。待ってる」

「夜、待ってるから」


エリカの胸は、高鳴っていた。


幸せな記憶。金色の糸。これは、絶対に傷つけてはいけない。


  *


俺は、さらに記憶を辿った。すると、赤い糸の塊を見つけた。


激しく脈動している。トラウマだ。俺は、その糸に触れた。


  *


視界が、一変した。


轟音。

爆発。

悲鳴。


「エリカ!!」


カイルの声。走ってくる。

エリカを、突き飛ばす。

瓦礫が、降り注ぐ。


「カイル!!」


血だらけの顔。でも、笑っている。


「エリカ……」

「ありがとう……」

「ありがとう、エリカ……」

「俺……お前のこと……」


声が、途切れる。目が、閉じていく。


「カイル!!」


悲鳴。

涙。

絶望。


俺は、その記憶の中に立っていた。


エリカの苦しみが、伝わってくる。彼女が毎日、何を感じているのか。「ありがとう」という言葉を聞くたびに、この瞬間が蘇る。


何度も、何度も。終わらない、地獄。


その時、俺は気づいた。エリカの胸元から、糸が伸びている。ブローチから。あの不格好な、花の形のブローチから。


一つではない。二つの、橙色の糸。


一つは、柔らかな橙色。もう一つは、深い橙色。


  *


俺は、まず柔らかな橙色の糸に触れた。


カイルの想いが、流れ込んでくる。ブローチを作っていた時の、彼の心。


  *


(うまく作れない)

(不格好だ)

(でも、エリカに渡したい)


小さな手が、木を削っている。何度も、何度も。失敗して、やり直して。


(あの時、お前が俺の手を握ってくれた)

(あの時から、俺は)


ブローチが、完成した。不格好な、花の形。でも、精一杯の想いが込められている。


(エリカ)

(俺は、お前のことが)

(好きだ)

(ずっと、好きだった)

(だから、守りたい)

(お前が誰かを助ける時、俺が、お前を守る)

(ずっと。ずっと)


  *


カイルの想いが、ブローチに宿っている。


次に、俺は深い橙色の糸に触れた。カイルの、最後の想いが流れ込んできた。


  *


瓦礫の下。血が、流れている。痛みが、ある。でも、それよりも。


(エリカ)

(無事で、よかった)


エリカの顔が、見える。泣いている。胸元に、ブローチが光っている。


俺が作った、ブローチ。エリカが、ずっと大切にしてくれている。


(泣かないでくれ)


カイルは、笑おうとした。


(エリカ)

(俺は、お前のことが)

「ありがとう……」


声が、出た。


「ありがとう、エリカ……」

(あの日、お前が俺の手を握ってくれた)

(あの時から、俺の世界はお前だった)

「俺……お前のこと……」

(愛してる)

(ずっと、愛してた)


でも——声が、出ない。


(言いたかった)


目が、重い。意識が、遠くなっていく。


(エリカ)

(幸せに、なれ)

(笑って)

(子供たちと、笑ってくれ)

(愛してる——)


その想いが、ブローチに流れ込んでいく。


橙色の、光。最後の祈り。愛。感謝。


全てが、ブローチに。


  *


俺は、その想いを見ていた。


カイルの想いが、ブローチに宿っていた。

作った時の想いと、死の瞬間の想い。二つが、重なって。このブローチには、カイルの全ての愛が込められている。


俺は、決めた。


生々しい記憶。血の匂い。恐怖。瓦礫の感触。死の瞬間の鮮明な映像。カイルの最後の言葉の詳細。「ありがとう」という言葉を聞いた時の、フラッシュバックを引き起こす連想回路。


それだけを、切り離す。


カイルとの思い出は、残す。彼の笑顔も、声も、温もりも。このブローチに宿った想いも。彼が最後まで、エリカを愛していたという事実も。全て、残す。


ただ——あの瞬間の、生々しい苦痛だけを。


俺は、赤い糸に手を伸ばした。


慎重に。

丁寧に。

俺は、糸を切り離した。


視界が、白くなった。そして、現実に戻った。


  *


エリカは、目を開けた。

深く、息を吸った。

しばらく、天井を見つめていた。


そして、ゆっくりと記憶を辿るように。


「カイルのことは……」


涙が、溢れた。


「覚えてます」


彼との思い出。手を握った日。ブローチをもらった日。一緒に歩いた道。全て、温かな記憶として残っている。


「あの日のことも……」


エリカは、記憶を辿ろうとした。建物が崩れて。カイルが私を守って。


でも。靄がかかったように、ぼんやりしている。詳細が、見えない。


「はっきり……思い出せない……」


エリカは、首を傾げた。最後に、大切な何か。


エリカの手が、震えた。


「私……お願いしましたよね」

「苦しみを……消してほしいって……」


俺は、静かに頷いた。


「はい」

「でも……」


エリカの声が、震える。


「忘れちゃいけない大切な何かも……忘れてしまったような……」


俺は、優しく言った。


「あの瞬間の、生々しい記憶を切り離しました」

「血の匂い」

「恐怖」

「鮮明な映像」

「そして、カイルが残した最後の言葉も。残しておくと、あなた自身が危なかった」


エリカは、俯いた。長い、沈黙。胸が、痛い。カイルの最後の言葉を、もう思い出せない。永遠に。


でも。エリカは、棚を見た。子供たちの絵。


“エリカせんせい だいすき”


前は、この絵を見るだけで苦しかった。呼吸ができなくなった。崩れ落ちた。


でも、今は。


エリカは、立ち上がった。ゆっくりと、絵に近づく。手が、震えている。絵に、触れた。


震えが、止まった。


フラッシュバックが、起きない。呼吸が、できる。心臓が、落ち着いている。


「苦しく……ない……」


エリカは、絵を抱きしめた。涙が、溢れた。


「子供たちに……」

「また……会える……」


俺は、静かに言った。


「施術の中で」

「カイルの想いを、見させていただきました」


エリカは、俺を見た。


「このブローチに」


俺は、彼女の胸元を見た。


「想いが、宿っていました」

「想い……?」


エリカは、ブローチを見る。


「二つの、想いが」


俺は、優しく続けた。


「一つは」

「カイルがこれを作った時」

「あなたを喜ばせたい」

「守りたい」

「愛している」

「そんな想いが、込められていました」


エリカの涙が、溢れた。


「そしてもう一つ」


俺は、静かに続けた。


「最後の瞬間」

「カイルがあなたと、このブローチを見つめながら」

「想ったこと」


「『幸せになってほしい』」

「『笑ってほしい』」

「『子供たちと、笑う姿を見たい』」

「『愛している』」


「その想いが」


俺は、ブローチを見た。


「ここに、宿っています」

「この世界では、記憶が物質に宿るんです。カイルの想いも、ちゃんと宿っています」


エリカは、ブローチを握りしめた。


温かい。確かに、温かい。


前から、このブローチを持っていると。何となく、温かい気がしていた。カイルが側にいてくれるような。でも、それが何なのか分からなかった。


今、分かった。


これは、カイルの想い。見えなくても。聞こえなくても。ここに、確かにある。


「カイル……」


涙が、止まらなかった。


「最後の言葉は……思い出せない……」

「でも……」


ブローチを、両手で包む。


「カイルの想いは……消えていないんですね……」

「ここに……ずっと……」

「はい」


俺は、静かに答えた。


「これからも」

「その想いは」

「あなたと、一緒に」


エリカは、頷いた。

涙を拭った。

そして、絵を見た。


“エリカせんせい だいすき”


「……私」


エリカは、微笑んだ。


「保育園に……また行けます」

「子供たちに……会えます」


俺は、頷いた。


「はい」


  *


俺たちは、エリカの家を後にした。


「本当に……ありがとうございました」


エリカは、玄関で言った。穏やかな、笑顔だった。胸元のブローチが、陽の光に輝いている。


「カイルのことは……これからも、大切にします」

「彼との思い出……覚えています」

「このブローチも……ずっと、大切にします」

「カイルの想いが……ここにあるから」


俺は、頷いた。


「カイルは、あなたの中で生き続けています」

「そのブローチと一緒に。ずっと」


  *


帰り道。


俺は、自分の手を見た。指先が、また少し揺らいでいる。


ミラが、隣を歩いている。


「レオン伍長」

「ん?」

「エリカさんは……笑っていましたね」

「……ああ」


俺は、空を見上げた。


夕日が、街を染めている。オレンジ色の光が、長い影を作っている。


マーク。

ガロウ。


お前たちのことも、俺は忘れない。最後の言葉を、俺は聞けなかった。


でも、お前たちの想いは消えていない。俺の中に、ずっとある。


そう、信じたい。


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