第35話:トムの事情
あの日、消えかけた日から、一週間が、過ぎた。
存在率は71%で安定している。ミラが繋ぎ止めてくれたおかげだ。事務仕事は再開していた。でも、依頼はまだ控えている。ミラが許してくれない。
「レオン伍長」
ミラが、窓の外を見ていた。
「今日は天気がいいですね。少し、外を歩きませんか」
俺は頷いた。
*
街は、穏やかだった。
市場を抜けて、広場に出る。昼下がりの静かな時間。人通りはまばらだった。
「あ」
ミラが、足を止めた。
「トム君」
広場のベンチに、トムが一人で座っていた。足元には買い物袋。俯いて、ぼんやりしている。いつもなら俺たちを見つけたら駆け寄ってくるのに、今日は気づいてもいない。
「トム君」
ミラが近づいていった。
「……あ」
トムが顔を上げた。
「ミラ姉ちゃん……」
笑顔がない。いつもの元気がない。
「買い物ですか?」
「うん。母ちゃんに頼まれて」
「偉いですね」
「……別に」
トムは、買い物袋を見た。
「帰る途中なんだけど、ちょっと疲れて」
ミラが隣に座った。俺も反対側に腰を下ろす。
「……おじさんも来たの」
「ああ」
「……そ」
それだけ。いつもなら「薄いね」とか言ってくるのに。
「トム君。何かあったんですか?」
ミラが優しく聞いた。トムは、しばらく黙っていた。
「……別に、大したことじゃないよ」
「……」
「ただ、今日も遊べなかったなって」
「遊べなかった?」
「うん。最近ずっとこんな感じ。買い物とか、家のこととかで」
トムは、空を見上げた。
「母ちゃん、身体弱くて寝込むことが多いんだ。父ちゃんは仕事で帰りが遅いし。だから俺が買い物行ったり、洗濯物畳んだり」
「……」
「別に嫌じゃないよ。母ちゃんのためだし」
トムは、小さく笑った。
「でも、たまには遊びたいなって。友達と鬼ごっこしたり、ボール蹴ったり。そういうの、最近全然できてないから」
素直な言葉だった。不満でも、愚痴でもない。ただ、正直な気持ち。
「偉いですね、トム君」
ミラが言った。
「お母様のために、頑張っているんですね」
「別に偉くないよ。当たり前のことだし」
「当たり前ではありません。十歳で、それだけのことができるのは、すごいことです」
トムは、少しだけ顔を上げた。
「……そうかな」
「はい」
ミラは、トムを見ていた。何かを考えている顔。
「トム君。少し待っていてください」
「え? どこ行くの?」
「すぐ戻ります」
ミラは立ち上がり、小走りで広場を横切っていった。パン屋の方へ。
*
トムと俺が残された。しばらく、沈黙。
「……ねえ、おじさん」
「何だ」
「おじさんは、子供の頃、遊んでた?」
「……あまり。年下の面倒を見てたから」
「面倒?」
「ああ。俺は孤児でな。施設にいた。小さい子がたくさんいて、その世話をしてた」
トムが、目を丸くした。
「孤児って、お父さんもお母さんもいなかったってこと?」
「ああ」
「……ずっと?」
「ずっとだ」
トムは、黙った。
「……寂しかった?」
「……まあな」
「……大変だったんだね、おじさん」
「……まあな」
「でも、小さい子の面倒見てたんだ」
「ああ」
「……俺と似てるね」
トムが、小さく笑った。
「俺も母ちゃんの面倒見てるから。おじさんは小さい子で、俺は母ちゃんだけど」
「……そうだな」
トムは、買い物袋を見た。
「だから頑張らないとって思うんだ。俺がやれることは、やらないと」
「……」
「でも、たまに疲れる」
小さな声だった。
「……ミラ姉ちゃんに会えて、なんか嬉しい」
俺は、その言葉を聞いて、口を開いた。
「……トム」
「何?」
「困った時は、俺たちを頼れ」
「……え?」
トムが、俺を見た。
「ミラも、俺も。話くらいは聞ける。一人で抱え込むな」
自分でも驚いていた。こんなことを言う自分がいるとは。でも、言わずにはいられなかった。トムは、しばらく俺を見つめていた。
「……おじさん、たまにいいこと言うね」
「たまにか」
「うん。普段は薄くて暗いから」
「……」
「でも、ありがと」
トムが笑った。今度は、本当の笑顔だった。
「おじさんも、頼っていいんだ」
「ああ」
「じゃあ、今度また話しに来ていい?」
「いつでも来い」
「約束だよ」
「約束だ」
*
ミラが戻ってきた。
「お待たせしました」
手には紙袋。中から甘い香りがする。
「クリームパン、三つ買ってきました。一緒に食べましょう」
「一緒に?」
「はい。三人で」
トムの顔が明るくなった。
「いいの?」
「もちろんです」
ベンチに並んで座り、パンを分けた。トムが、クリームパンを頬張る。
「……うまい」
「美味しいですか?」
「うん」
トムは、もう一口。
「……誰かと一緒に食べると、美味しいな」
「そうですね」
「いつも一人で食べてたから。母ちゃんは寝てるし、父ちゃんは帰り遅いし」
「……」
「でも、今日は美味しい」
トムが笑った。
「ありがとう、ミラ姉ちゃん。おじさんも」
「どういたしまして」
「ああ」
トムはパンを食べ終えると、立ち上がった。
「そろそろ帰る。母ちゃん待ってるから」
「はい。お母様によろしくお伝えください」
「うん」
トムは買い物袋を持ち上げた。
「じゃあね、ミラ姉ちゃん!」
「はい、また」
「おじさんも!」
「ああ」
トムは走り出して、途中で振り返った。
「約束、忘れないでね!また話しに来るから!」
そして、走り去っていった。
*
帰り道。夕日が街を染め始めていた。
「レオン伍長」
ミラが言った。
「トム君に、いいことを言っていましたね」
「……聞いていたのか」
「少しだけ」
「……そうか」
「嬉しかったです」
俺は黙って歩いた。
「トム君、頑張っていますね」
「ああ」
「でも、まだ子供です。甘えられる場所があるといいと思うのです」
「……甘えられる場所」
「はい。頑張ることは大切です。でも、子供は甘えていいと思うのです」
俺は、ミラを見た。
「……お前は、いい先輩だな。トムにとって」
「先輩、ですか」
「ああ」
ミラは少し考えて、微笑んだ。
「私だけではありません。レオン伍長も、トム君にとって大切な人になったと思います」
「……そうか」
俺も昔はそうだった。誰にも頼れなくて、一人で抱え込んで。でも今は、ミラがいる。トムにも、そういう存在がいればいい。
俺たちが少しでもその一人になれたら。
そう、思った。




