表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
忘却術師は透明になる 〜記憶を消して人を救う代わりに、俺は誰からも忘れられる〜  作者: 黄昏
第2章:忘却術師と仲間と世界と

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

29/66

第28話:見えない綻び


その夜、眠れなかった。


ベッドに横になっても、目が冴えている。今日は忙しい一日だった。アリアとの共同作業。トムとの出会い。新しい顔ぶれが増えた。


でも、頭に残っているのは別のことだった。アリアが言っていた。


「存在、かなり揺らいでたわよ」


分かっている。自分でも。施術のたびに、少しずつ薄くなっていく。それは、覚悟の上だ。でも、それとは別に、最近気になることがある。


施術中に見える、あの揺らぎ。記憶の世界に入るたびに、視界の端に何かがよぎる。数字のような。文字のような。記憶の糸とは違う、別の何か。


以前は気のせいだと思っていた。疲れているだけだと。でも、頻度が増えている。


「……」


俺は、起き上がった。


  *


外に出た。


夜風が、頬に冷たかった。街灯が、石畳を照らしている。人通りはほとんどない。ミラは、宿舎で休んでいる。一人で歩くのは久しぶりだ。


夜の街は、静かだった。


建物が整然と並んでいる。煉瓦の壁。木製の看板。等間隔に並ぶ街灯。いつも見ている風景。でも、夜だと少し違って見える。


「……綺麗だな」


呟いた。


綺麗だ。綺麗すぎる。街灯は一本も切れていない。壁にひび割れもない。石畳は一枚も欠けていない。この街はいつもそうだ。整っている。まるで、誰かが毎日修復しているかのように。


「……」


気のせいだろう。戦争が終わって三年。復興が進んでいるだけだ。そう思おうとした。


その時。


視界の隅で、何かが動いた。路地の壁。煉瓦の壁面が、一瞬だけ揺らいだ。テクスチャが剥がれるように、表面がちらついた。


「……?」


立ち止まった。


壁を見つめる。煉瓦。普通の煉瓦だ。手を伸ばして、触れた。固い。冷たい。確かに、そこにある。


気のせいか。


いや。今のは、はっきり見えた。壁の表面が一瞬、格子状のパターンに変わった。碁盤の目のような、規則正しい線。そしてすぐに、元の煉瓦に戻った。


心臓が、少し速く鳴っている。


「……何だ、今のは」


もう一度壁に触れた。何も起こらない。ただの壁。


俺は、手を下ろした。


歩き始める。意識が、鋭くなっている。今まで気にしていなかったものが、目につく。街灯のひとつひとつが、まったく同じ高さにある。電球の明るさも、寸分違わない。建物の窓。夜中だというのに、明かりが灯っている家と消えている家の配置が、妙に規則的だ。明、暗、明、明、暗。それが次の通りでも同じパターンで繰り返されている。


「……偶然、か」


偶然だろう。考えすぎだ。でも、一度気づくと、目が止まらなかった。


広場に出た。噴水がある。昼間は子供たちが遊んでいる場所だ。


噴水の水面に、月が映っている。水面が、揺れた。風もないのに。揺れた水面の向こうに、一瞬だけ何かが見えた。光の格子。水の下に、幾何学的な模様が浮かんでいた。


「……!」


身を乗り出した。水面を覗き込む。何もない。ただの水だ。月が映っているだけ。


「……」


俺は、しばらくその場に立ち尽くした。


見間違いじゃない。施術中に見える揺らぎと、同じものだ。記憶の世界だけじゃない。この街そのものに、何かがある。


  *


宿舎に戻ると、ミラが待っていた。


「レオン伍長」


廊下に立っている。眠れなかったのか。それとも、俺が出て行ったことに気づいたのか。


「すまん。起こしたか」

「いえ。ただ、お姿が見えなかったので」


ミラの目が、俺を見ている。心配しているような。確かめているような。


「……ミラ」

「はい」

「聞きたいことがある」


俺は、言った。


「この街は、おかしくないか」


ミラの表情が、微かに変わった。目が一瞬だけ揺れた。


「おかしい、とは」

「街灯が一本も切れていない。壁にひび割れもない。石畳は一枚も欠けていない。夜中の窓の明暗が、通りごとに同じパターンで並んでいる」

「……」

「さっき、路地の壁が揺らいだ。格子状のパターンが見えた。噴水の水面にも。施術中にも、似たものが見える」


俺は、ミラの目を見た。


「お前は何か知っているか」


長い、沈黙があった。


ミラは、俯いた。口を開きかけた。閉じた。また、開きかけた。何かを言おうとしている。でも、言葉が出てこないように見えた。


「ミラ」

「……申し訳ありません」


ミラの声が、小さくなった。


「その件についてのご質問には……お答えすることが、できません」

「できない?」

「はい」

「知らないのか。それとも、言えないのか」


ミラは、俺を見た。その目に、苦しみのようなものが浮かんでいた。答えは、明らかだった。知っている。でも、言えない。


「……誰に止められている」


ミラは、答えなかった。でも、その沈黙が答えだった。


「……分かった」


俺は、それ以上追及しなかった。ミラを困らせたいわけじゃない。でも、確信した。この街には、何かがある。ミラは知っている。そして、何かの制約で、俺に伝えることができない。


「すまなかった。もう休め」

「……はい」


ミラは、小さく頷いた。

部屋に戻りかけて、立ち止まった。


「レオン伍長」

「ん?」

「……気をつけてください」


それだけ言って、ミラは自室に戻った。


気をつけてください。その言葉が、胸に残った。


何に気をつけろと言っているのか。聞き返すことはしなかった。きっと、それも答えられないのだろう。


俺はベッドに横になった。

天井を見つめる。


この街は、おかしい。ミラは何かを隠している。隠さざるを得ない。


「……」


左手首の青いリボンに、触れた。暗い部屋の中で、リボンが月光を受けてかすかに光った気がした。


答えは、まだ見えない。


でも、探さずにはいられなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ