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忘却術師は透明になる 〜記憶を消して人を救う代わりに、俺は誰からも忘れられる〜  作者: 黄昏
第2章:忘却術師と仲間と世界と

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26/66

第25話:また明日

【この話について】

本話には、大切な人を亡くした悲しみや自責の念についての描写が含まれます。

同様のご経験をお持ちの方は、ご自身の状態に合わせてお読みください。


もし今、つらい気持ちを抱えている方がいらっしゃいましたら、

一人で抱え込まず、相談窓口にご連絡ください。


◆いのちの電話:0120-783-556

◆よりそいホットライン:0120-279-338

◆こころの健康相談統一ダイヤル:0570-064-556


2025/12/22 (お知らせ)第24話を少し改稿して思い出の品を追加しました。


——光が、溢れていた。


記憶の世界。アレックスの心の中。

俺は、その中に立っていた。


  *


最初に見えたのは、教室だった。

小学校の教室。午後の光が、窓から差し込んでいる。


休み時間。みんなは外に遊びに行った。一人だけ、教室に残っている子供がいた。


アレックスだ。まだ幼い。小学生の頃。

机に座って、本を読んでいる。でも、ページはめくられていない。文字を追っているふりをしているだけだ。


寂しそうな目。ここに来たのは、間違いだったのかもしれない。そんな顔をしている。


「なあ」


声がした。

アレックスが、顔を上げた。

男の子が立っていた。茶色い髪。人懐っこい笑顔。同い年くらい。


「一緒に帰ろう」


それだけだった。何の前触れもなく。ただ、それだけ。


「……え?」

「一緒に帰ろうぜ。お前、帰り道こっちだろ?」

「……うん」

「じゃあ決まり。俺、ダン」

「……アレックス」

「アレックスか。よろしくな」


ダンが、笑った。眩しい笑顔。

アレックスの目に、涙が滲んでいた。

これが、始まりだ。アレックスとダンの、始まり。この記憶は、消さない。


  *


——場面が、変わった。


校庭。青い空。白い雲。サッカーボールが、転がっている。

二人の少年が、走っていた。中学生くらいに成長している。

アレックスと、ダン。サッカーのユニフォームを着ている。二人とも、手首に青と白のミサンガをつけていた。


「アレックス!」

ダンが、叫んでいる。

「パス出すぞ!」


ボールが、飛んでくる。アレックスが、走っている。ボールを受けて、ゴールに向かって——

シュート。

ネットが、揺れた。


「やった!」


ダンが、走ってくる。アレックスに抱きついて、笑っている。


「お前、最高だよ!」


眩しいほどの笑顔。


「お前がゴールを決めろって言っただろ」

「だから決めた」

「だから最高なんだよ!」


二人で笑っている。幸せな記憶。輝く記憶。

この記憶も、消さない。


  *


——場面が、変わった。


夕焼けの帰り道。高校生になった二人が、並んで歩いている。


「なあ、アレックス」

「ん?」

「お前は、俺の親友だ」


アレックスが、ダンを見た。少し驚いた顔。


「……何言ってんだよ、当たり前だろ」


ダンが、笑った。


「また明日」

「ああ、また明日」


二人が、手を振っている。夕日が、二人の影を長く伸ばしている。

これが、最後の会話。「また明日」が、最後の言葉。

この記憶も——消さない。辛い記憶だけど、大切な記憶だ。ダンとの最後の時間。


  *


——暗転。


記憶の世界が、暗くなった。

そして、見えた。

灰色の記憶。重く、冷たく、鋭い記憶。


朝。学校への道。人だかり。サイレンの音。白い布。

アレックスの世界が、崩れていく記憶。


——俺のせいだ。


その声が、何度も何度も響いている。

この記憶が、アレックスを縛っている。この記憶が、何度も何度も蘇って、アレックスを壊している。

記憶は、糸の形をしていた。灰色の糸。冷たく、重く、鋭い糸。アレックスの心に深く食い込んでいる。


俺は、手を伸ばした。

糸に、触れる。

冷たい。痛い。アレックスの苦しみが、伝わってくる。

——これを、消す。

俺は、心の中で言った。


ダンが死んだという事実は、消えない。

お前は、それを知っている。

でも、この光景は——消す。


糸を、掴んだ。


  *


その時だった。


別の糸が、光った。青と白の糸。温かい糸。

ミサンガの記憶だ。ダンとお揃いの、青と白のミサンガ。二人の絆の証。

その糸に導かれるように——光が見えた。


金色の糸の向こうに、誰かが立っている。

ダンだ。

茶色い髪。明るい笑顔。いつもの、眩しい笑顔。手首には、青と白のミサンガ。

声は聞こえない。でも、口が動いている。何かを言っている。


——お前がゴールを決めろ。


そう、言っているように見えた。

ダンが、笑った。最後に、手を振った。


——また明日。


そう言っているように、見えた。

光が、薄れていく。ダンの姿が、消えていく。


俺は、頷いた。

そして、灰色の糸を——切り離した。


  *


灰色の糸が、ほどけていく。アレックスの心から、離れていく。

あの朝の光景が、消えていく。

でも、残った。

金色の糸。温かい糸。思い出の糸。


「一緒に帰ろう」という声。

一緒に走った校庭。

お揃いのミサンガ。

「お前がゴールを決めろ」という言葉。

「また明日」という最後の約束。


これは、消えない。これが、アレックスとダンの絆だ。これが、二人の宝物だ。


その時だった。


——ノイズ。

世界が、一瞬だけ揺れた。

何だ。今のは。

記憶の世界の端に、何かが見えた気がした。歪み。ズレ。この世界の——

まるで、画面が乱れたような。一瞬だけ、別の何かが見えた気がした。

数字の羅列。文字の断片。意味の分からない記号。


「——!」

意識が、引き戻された。


  *


目を開けた。

アレックスの家のリビング。窓から、夕日が差し込んでいる。


「……」


今のは、何だったんだ。記憶の世界で、何かを見た気がする。でも、思い出せない。

気のせいか。疲れているのかもしれない。


「レオン伍長」


ミラの声が、聞こえた。


「大丈夫ですか?」

「……ああ」


俺は、頷いた。

アレックスを、見た。


「……」


アレックスが、ゆっくりと目を開けた。


  *


「……あれ」

アレックスが、呟いた。

「俺……」

涙が、頬を伝っている。でも、さっきまでとは違う。苦しみの涙じゃない。


「ダンのこと……覚えてます」


アレックスが、俺を見た。


「初めて話しかけてくれた日」

「一緒にサッカーした日」

「『お前は俺の親友だ』って言われた日」

「全部、覚えてます」


アレックスが、胸に手を当てた。


「でも……何か、軽くなった気がする」

「胸のあたりが……前より、楽になってる」

「何が変わったのか、よく分からないけど……」

「息が、しやすい」


俺は、アレックスを見た。


「……ダンが、見えた」

俺は、静かに言った。


「え……」

「お前の記憶の中で、ダンが見えた」

「笑ってた。いつもの笑顔で」


アレックスの目が、大きく見開かれた。手が、ポケットの中の切れたミサンガを握りしめた。


「ダンが……」

「ああ。声は聞こえなかったけど、口が動いてた」

「『お前がゴールを決めろ』って」

「そう言ってるように、見えた」


アレックスの息が、止まった。


「それから、手を振っていた」

「『また明日』って」

「そう言ってるみたいだった」


沈黙が、流れた。


アレックスは、しばらく何も言わなかった。ただ、ポケットの中のミサンガを握りしめていた。


「……お前がゴールを決めろ」


アレックスが、呟いた。


「ダンは……いつもそう言ってた」


涙が、頬を伝った。


「いつも俺にパスをくれて」

「俺にシュートを打たせて」

「俺がゴールを決めると、誰より喜んで」


アレックスの声が、震えた。


「自分は目立たなくていいって」

「俺が点を取れればいいって」

「そう言ってた」


アレックスが、顔を上げた。


「……俺に、前に進んでほしかったのかな」

「ずっと……そうだったのかな」


俺は、黙って聞いていた。


「『また明日』……」


アレックスが、ポケットから切れたミサンガを取り出した。色褪せた青と白を、じっと見つめた。


「ダンは、最後にそう言った」

「また明日って」

「明日を……信じてたんだ」


涙が、止まらなくなっている。


「俺にも……明日を生きてほしいのかな」

「ダンは……俺に生きてほしいのかな」


アレックスが、切れたミサンガを握りしめた。


「……そうだよな、ダン」

「お前、いつもそうだった」

「俺のこと、応援してくれてた」

「俺に、前に進んでほしかったんだ」


アレックスが、天井を見上げた。まるで、空を見上げるように。


「……分かったよ、ダン」

「俺、ちゃんと生きる」

「お前の分も」


涙が、溢れた。でも、さっきまでとは違う涙だった。


「また明日……か」

アレックスが、小さく笑った。泣きながら、笑った。


「俺、明日も生きるよ」

「その次の日も」

「ずっと」


アレックスが、切れたミサンガを大切そうに見つめた。


「これ、ずっと持ってる」

「捨てないよ」

「ダンとお揃いだから」

「切れても……ずっと、一緒だから」


ミサンガを、そっとポケットに戻した。今度は、隠すためじゃない。大切にしまうために。


  *


しばらく、アレックスは泣いていた。

俺とミラは、黙って見守っていた。この涙は、必要な涙だ。止める必要はない。

やがて、アレックスは涙を拭いた。


「……ありがとうございました」


顔を上げた。目は赤いけど、昨日とは違う。光が、戻っている。


「明日から……学校に行ってみます」

「そうか」

「部活も……また行ってみます」

「みんな、待ってるだろうな」


アレックスが、少し笑った。


「ダンのこと、みんなで話せるかもしれない」

「辛い話だけじゃなくて」

「楽しかった思い出とか」

「ダンがどれだけすごい奴だったかとか」


俺は、頷いた。


「それがいい」

「ダンも、喜ぶだろう」


アレックスが、俺を見た。


「あなたも……仲間を亡くしたって言ってましたよね」「ああ」

「……辛いですよね」

「ああ」

「でも……あなたも、生きてる」


アレックスが、小さく笑った。


「俺も、頑張ります」


俺は、少し黙った。

この子は、強い。こんなに辛い経験をして、それでも前を向こうとしている。


「……頑張れ」

俺は、言った。

「でも、無理はするな」

「辛い時は、誰かに話せ」

「一人で抱え込むな」


アレックスが、頷いた。


「はい」


  *


玄関に向かった。


「母さんに、連絡しておきます」

「ああ」

「きっと喜ぶと思います」


アレックスが、少し笑った。さっきまでとは、全然違う顔だった。


「……ありがとうございました」

「また何かあったら、いつでも来い」

「はい」


ドアが、閉まった。


  *


家を出た。

夕日が、街を染めている。オレンジ色の光。


——ダン。

俺は、心の中で呟いた。

——お前の親友は、ちゃんと生きようとしてる。

——だから、見守ってやってくれ。


「レオン伍長」

「ん?」

「……優しかったです」


ミラが、俺を見ていた。


「アレックスさんに、寄り添っていました」

「……そうか」

「はい」


俺は、空を見上げた。


「あの子の気持ちは、分かるから」

「仲間を失った時の、あの苦しさ」

「自分を責め続ける、あの地獄」


ミラが、黙って俺を見ている。


「でも……」

俺は、歩き出した。

「一人じゃないって、知ってほしかった」

「誰かに話していいんだって」

「頼っていいんだって」


ミラが、俺の隣を歩く。


「レオン伍長」

「ん?」

「あなたも……一人じゃないですよ」


俺は、ミラを見た。


「私が、います」

「いつでも、話を聞きます」

「だから……」


ミラが、小さく微笑んだ。


「あなたも、一人で抱え込まないでください」


俺は、少し黙った。


「……ああ」

頷いた。

「ありがとう、ミラ」


  *


帰り道。


パン屋の前を通りかかった。以前、ミラが「寄りませんか」と言っていた店だ。結局、あの時は寄らなかった。


「……寄るか」

「え?」

「パン屋。前に寄りたいって言ってただろ」


ミラが、目を丸くした。それから、嬉しそうに笑った。


「はい」


店に入った。焼きたてのパンの匂いがする。温かい匂い。


「いらっしゃいませ」

店員が、ミラに声をかけた。俺の方は——見ていない。


「レオン伍長、これ美味しそうです」

「……クリームパンか」

「はい。二つ、買いましょう」


俺は、財布を取り出した。レジに向かう。


「クリームパンを二つ」


俺が言った。

店員は、反応しない。俺の声が、聞こえていないみたいだった。俺の方を見ているはずなのに、視線が俺を通り抜けている。


「……」

「あの、クリームパンを二つください」


ミラが、言い直した。


「はい、二つですね」


店員が、ミラにだけ笑顔を向けた。俺は、最初からいなかったみたいに。

会計を済ませて、店を出た。


「……すみません、レオン伍長」

「いい」

「でも……」

「慣れた」


俺は、空を見上げた。

聞こえなかったか。俺の声は、届かなかった。すぐ隣に立っていたのに。


「……進んでるな」

小さく、呟いた。


存在希薄化。忘却術を使うたびに、俺の存在は薄くなっていく。人々の認識から、消えていく。

ミラが、クリームパンの袋を持っている。少し、悲しそうな顔。


「……帰ったら、一緒に食べよう」

「……はい」


ミラが、小さく頷いた。

俺は、また歩き出した。

こういう時間が、大切なんだ。たとえ、俺の存在が薄くなっていっても。こういう小さな幸せが、俺を繋ぎ止めている。


  *


その夜。


部屋に戻り、ベッドに横になった。

今日の施術を、思い出す。アレックスの記憶。ダンの笑顔。青いリストバンド。切り離した、灰色の糸。


そして——

あのノイズ。

記憶の世界で、何かを見た気がする。歪み。ズレ。数字の羅列。文字の断片。この世界の——何か。


「……」


考えすぎか。疲れているだけだ。

目を閉じた。

左手首のリボンに、触れた。温かい。今日も、温かい。

眠りに落ちていく。


  *


——夢を見た。


暗い場所。誰かが立っている。


「……順調だ」

声が聞こえる。知っている声。カイ大佐の声。


「レオンは、よくやっている」

「感情共鳴ログの蓄積も、順調だ」

「もう少しで——」


声が、途切れた。

別の声が聞こえた。女の声。知らない声。


「大佐。本当に、これでいいのですか」

「……何がだ」

「彼は——レオンは、何も知らない」

「知る必要はない」

「でも——」

「エヴァ。お前は、自分の仕事をしろ」


沈黙。


「……了解しました」


足音が、遠ざかっていく。

カイ大佐の声が、呟いた。


「もう少しだ……」

「もう少しで……リア——」


  *


目を開けた。

朝だった。


何か、夢を見た気がする。でも、思い出せない。誰かの声が聞こえた気がするけど、霧の向こうに消えてしまった。


窓から光が差し込んでいる。穏やかな光。


左手首のリボンに触れた。

温かい。今日も、温かい。


——でも、どこかで、冷たい風が吹いた気がした。


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