第15話:ポポと一緒に
光が——収まった。
エマは——眠っている。
穏やかな寝顔。
テディベアを、抱きしめたまま。
俺は、静かに待っていた。
ミラが、隣に立っている。
「……レオン伍長」
「ん?」
「エマさんの表情が……変わりました」
ミラの言う通りだった。
施術前——エマの顔には、苦しみがあった。
眉間に皺が寄り、唇を噛みしめていた。
今は違う。
穏やかだ。まるで、温かい夢を見ているように。
「……ああ」
俺は、エマの様子を見守った。
*
エマの瞼が——震えた。
ゆっくりと——目が開く。
「……」
ぼんやりとした目。天井を見つめている。
「……ここ、どこ……?」
小さな声。
「エマ」
俺は、優しく声をかけた。
「……お兄ちゃん……?」
エマは、俺を見た。
「私……寝ちゃってた……?」
「ああ。少しだけな」
エマは、ゆっくりと身体を起こした。
そして——。
腕の中のテディベアに気づいた。
「……ポポ」
エマは、テディベアを見つめた。
しばらく——じっと。
それから、ゆっくりと、胸に抱き寄せた。
ぎゅっと。
俺は、息を止めた。
エマの顔を見つめる。
——痛みは、来るか。
エマは、目を閉じていた。
テディベアを、抱きしめたまま。
数秒。
エマの目が——開いた。
不思議そうな顔。
首を傾げる。
もう一度テディベアを抱きしめる。
今度は——もっと強く。
自分の頭に、手を当てた。確かめるように。
「……痛くない」
小さな声。
「痛く……ない……」
エマは、テディベアを見た。
「ポポ……」
抱きしめた。
頭に手を当てた。
「……本当だ」
その目が——大きく見開かれた。
「痛くない……」
声が——震えていた。
*
エマは、テディベアを見つめていた。
じっと。何かを確かめるように。
「……パパ」
小さな声。
「パパのこと……覚えてる……」
エマは——テディベアを抱きしめた。
「パパがポポをくれたこと……覚えてる……」
「パパが絵を褒めてくれたこと……覚えてる……」
「全部……覚えてる……」
エマは——自分の胸に手を当てた。
「でも……」
首を傾げる。
「前は……パパのこと思い出すと……苦しかったのに……」
エマは、テディベアを見た。
「今は……苦しくない……」
そして——。
エマの目に——涙が浮かんだ。
「……温かい」
囁くような声。
「ポポ抱きしめたら……パパがいる気がする……」
エマは、テディベアに顔を埋めた。
小さな肩が、震えている。
「パパ……大好き……」
その声は——痛みではなく、愛おしさに満ちていた。
*
俺は、静かに、立ち上がった。
「エマ」
「……うん?」
エマは、涙を拭いながら、俺を見た。
「お母さんのところに、行こうか」
「……うん」
エマは、テディベアを抱きしめたまま、立ち上がった。
ドアに向かって歩き出す。
エマが途中で、振り返った。
「お兄ちゃん」
「ん?」
「ありがとう」
小さな声。
「もう……痛くないよ」
エマは——笑った。
七歳の少女の——無邪気な笑顔。
俺は頷いた。
「良かったな」
エマはドアを開けた。
*
廊下でマリアが待っていた。
エマがドアから出てきた瞬間——。
マリアの目が——大きく見開かれた。
「エマ……」
エマは、母親を見上げた。
テディベアを——抱きしめたまま。
「ママ」
エマは、笑っていた。
「もう……痛くないよ」
その言葉を聞いた瞬間——。
マリアの目から——涙が溢れた。
「エマ……」
マリアは、娘の前にしゃがみ込んだ。
「本当に……?」
「うん」
エマは、テディベアを持ち上げた。
「ポポ抱きしめても……痛くないの」
「パパのこと思い出しても……苦しくないの」
エマは、テディベアを胸に抱いた。
「……温かいの」
マリアは言葉を失っていた。
涙が——止まらない。
「ママ……どうして泣いてるの……?」
エマは小さな手で、母親の涙を拭った。
「エマ、もう痛くないよ……?」
「だから……泣かないで……?」
マリアは——首を横に振った。
「違うの……」
声が震えている。
「嬉しいの……」
「エマが……笑ってるから……」
「ママ……嬉しいの……」
マリアは、娘を抱きしめた。
強く。強く。
「よかった……」
「本当に……よかった……」
エマは、母親の腕の中で、テディベアを抱きしめていた。
「ママ……」
「私ね……ポポ、大切にする」
「パパとの約束だから」
マリアは娘の頭を撫でた。
「……そうね」
「大切にしようね」
エマは——にっこりと笑った。
「うん!」
*
マリアが俺たちのところに来た。
目はまだ赤い。でも、笑っていた。
「ありがとうございます」
深く、頭を下げた。
「エマが……あんな風に笑ったのは……」
「三年ぶりです……」
声が震えている。
「本当に……ありがとうございます」
俺は、首を横に振った。
「俺は……手伝っただけです」
「エマが、強かったんです」
「強かった……?」
「ああ」
俺は、エマを見た。
エマは、テディベアを抱きしめながら、壁の写真を見ている。
父親と、母親と、幼いエマ。
三人で、笑っている写真。
「あの子は、痛くても、テディベアを手放さなかった」
「父親との繋がりを守り続けていた」
「その強さが、あの子を支えていたんです」
マリアは、娘を見つめた。
「エマ……」
小さな声。
「強い子ね……」
*
俺たちは——エマの家を後にした。
玄関で、エマとマリアが見送ってくれた。
「お兄ちゃん」
エマが、俺を見上げた。
テディベアを抱きしめながら。
「ありがとう」
「ああ。元気でな」
エマは、少し考えて、テディベアを持ち上げた。
俺の目の前に。
「ポポ」
エマは、テディベアに話しかけた。
「お兄ちゃんに、ありがとうして」
テディベアの頭を、ぺこりと下げさせた。
「……ポポも、ありがとうだって」
俺は思わず、小さく笑った。
「ポポにもよろしくな」
エマは嬉しそうに笑った。
「うん!」
そしてテディベアの手を持って、振らせた。
「ばいばい!」
俺も手を振り返した。
「ああ。ばいばい」
エマは笑っていた。
テディベアを抱きしめながら。
——もう、あの子は苦しまない。
ポポと一緒に父親のことを、思い出せる。
温かい記憶として。
その笑顔は三年ぶりの——本当の笑顔だった。
*
石畳の道を歩く。
夕暮れが近づいていた。
空が、オレンジ色に染まり始めている。
「レオン伍長」
「ん?」
「エマさんは……幸せそうでした」
「ああ」
俺は左手首のリボンを見た。
青い古いリボン。
エマにとってのテディベアのように——俺にとっても、大切なもの。
誰がくれたのかは分からない。
でも——このリボンを見ると、温かい。
「……悪くなかった」
「え?」
「今日のこと」
俺は空を見上げた。
「悪くなかった——と、思う」
ミラは少し驚いた顔をした。
そして——微笑んだ。
「はい」
「私も……そう思います」
夕日が街を染めている。
俺たちは、施設へ向かって、歩き続けた。




