第11話:救済
意識が、戻った。
レオンが額から手を離すと、トーマスが——目を開けた。
「……」
しばらく、天井を見つめていた。
レオンは、何も言わなかった。
*
静かに、待った。
どれくらい経っただろう。
トーマスが——深く、息を吐いた。
「……軽い。痛みは——まだ、ある。でも——」
トーマスは、自分の胸に手を当てた。
「呼吸が——できる」
「三年ぶりに、ちゃんと息ができる」
涙が、頬を伝った。
「トーマスさん」
レオンは、静かに言った。
「施術の内容を——報告します」
「ああ」
「マルコさんの記憶は——全て、残しました」
「……ありがとう」トーマスの声が、震えた。
「あなたを苦しめていた記憶は——取り除きました」
「ただ、敵兵を殺したという事実は——残しています。しかし——詳細は、もう思い出せないはずです」
トーマスは、自分の記憶を探った。
何があったかは——覚えている。
でも——鮮明には、思い出せない。
「……ああ」
「ありがとう」
「それから——」
レオンは、続けた。
「もう一つ——消した記憶があります」
「もう一つ?」
「あなた自身も——気づいていなかったものです」
トーマスは、レオンを見た。
「……何を、消したんだ」
「息子さんと——敵兵が、重なっていました」
トーマスの目が、見開かれた。
「……何だと」
「帰還した日から——息子さんの顔を見ると、理由も分からず苦しくなっていましたね」
トーマスは——記憶を辿った。
確かに——。
エリックの顔を見ると、苦しかった。
なぜか、分からなかったが。
「それは——無意識の連鎖でした」
レオンは、静かに言った。
「その連鎖を、断ち切りました」
「……そう、だったのか」
「だから——エリックの顔を、まともに見られなかったのか」
トーマスの手が、震えた。
「その重なりも——消しました」
レオンは、静かに言った。
「もう——息子さんを見ても、苦しくならないはずです」
トーマスは、窓の外を見た。
庭で、子供たちが遊んでいる。
「……さっきまで——エリックの顔を、まともに見られなかった」
「遠くから見るだけで——胸が苦しくなった」
「でも——今は——」
トーマスは、エリックの姿を見つめた。
「エリックの顔を……ちゃんと見ることができる」トーマスの目から、涙が溢れた。
「……ありがとう」
トーマスは、レオンを見た。
「お前が——見つけてくれなければ」
「俺は——一生、気づかなかっただろう」
*
レオンは、少し間を置いてから——言った。
「トーマスさん」
「ん?」
「施術の中で——マルコさんの最期を、見ました」
トーマスの手が、止まった。
「彼は——最期まで、笑っていました」
「……ああ」
「苦しみながらも——あなたを見て、笑っていました」
レオンの声が、静かに響く。
「俺は——これまで、多くの人の記憶を見てきました」
「死の瞬間、人は——様々な表情をします」
「恐怖、後悔、怒り、絶望——」
トーマスは、レオンを見つめた。
「でも——」
「最期に笑う人もいます」
「それは——」
レオンは、続けた。
「大切な人を守れたと、分かった時です」
「自分の命が、誰かの未来になったと、確信した時です」
トーマスの目から、涙が溢れた。
「マルコさんは——あなたが生きて帰ることを、望んでいました」
「そして——あなたが撤退命令を出した時」
「彼は——それが正しい選択だと、分かっていました」
レオンの声が、優しくなる。
「あなたが生きて帰る」
「それが——マルコさんにとって、何よりも嬉しいことだったんです」
「だから——笑えたんです」
トーマスは、赤い石を握りしめた。
「……そうか」
「マルコは——」
声が、震える。
「俺が生きて帰ることを——嬉しいと思ってくれたのか」
「はい」
レオンは、頷いた。
「間違いありません」
「これは——俺の経験から言えることですが」
レオンは、自分の左手首の青いリボンに、一瞬触れた。
「大切な人を失った時——俺たちは、自分を責めます」
「なぜ守れなかったのか」
「なぜ自分だけが生き残ったのか」
トーマスは、レオンを見た。
「でも——」
レオンは、少し間を置いてから言った。
「守ってくれた人は——こう思っているはずです」
「『あなたが生きていてくれて、良かった』と」
トーマスの目から、涙が溢れた。
「マルコさんが最期に望んだのは——」
「あなたが自分を責め続けることじゃなかった」
「あなたが生きて、家族の元に帰ることです」
「そして——」
レオンは、窓の外を見た。
庭で遊ぶ、子供たち。
「あなたが、また笑えるようになること——だったと思います」
トーマスは——赤い石を両手で包んだ。温かい。確かに——温かい。
「……マルコ」
トーマスは、呟いた。
「三年間——あなたを苦しめていたのは」
「マルコさんの想いじゃありません」
「あなた自身が——自分を許せなかっただけです」
「でも——もう、いいんです」
「マルコさんは——あなたが生きていることを、喜んでいます」
「あなたが家族と笑うことを——望んでいます」
トーマスは、深く息を吐いた。
「……ああ」
「分かった」
「俺は——生きる」
「マルコの分まで——生きる」
*
ドアが、静かに開き——奥さんが、入ってきた。
「……終わった、の……?」
「ああ」
トーマスは、奥さんを見た。
三年間——まともに見られなかった顔。
「……すまなかった」
「ずっと——心配かけて」
奥さんの目から、涙が溢れた。
「……馬鹿」
「謝らなくて、いいの」
トーマスは、立ち上がった。
そして——奥さんを、抱きしめた。
三年ぶりに——ちゃんと。
「……もう——大丈夫だ」
奥さんは、トーマスの胸に顔を埋めて、泣いていた。
*
しばらくして——奥さんが、顔を上げた。
「……コーヒー、淹れてくるわね」
「ああ」
「レオンさんも——飲んでいってくださいね」
「いえ、俺は——」
「お願いします」
奥さんは、微笑んだ。
「夫を——救ってくれたんですから」
レオンは、少し戸惑った。
「……では、いただきます」
*
奥さんが、コーヒーを持ってきた。
トーマスと、レオンに、それぞれカップを渡す。
トーマスは、一口飲んだ。
「……美味いな」
その言葉に——。
奥さんの目から、また涙が溢れた。
「……久しぶりに——そう言ってくれた——」
トーマスは、奥さんの手を握った。
「ありがとう。三年間——俺を、支えてくれて」
奥さんは、涙を拭いながら、微笑んだ。
トーマスは、窓の外を見た。
庭で、子供たちが遊んでいる。
「……少し、外に出てもいいか」
レオンは、頷いた。
「もちろん」
トーマスは、立ち上がった。
庭に続く窓を開け——外に、出た。
「パパ!」
アンナが、振り返った。
「パパ、出てきた!」
しかし——アンナは、すぐには駆け寄らなかった。
三年間——父親の様子を見てきた子供だ。
「今日は大丈夫か」を、確認している。
トーマスは、微笑んだ。
「アンナ、おいで」
その声を聞いて——。
アンナの目が、大きく見開かれた。
「……パパ?」
「おいで」
トーマスが、両手を広げた。
アンナは——走り出した。
「パパ!」
トーマスの胸に、飛び込んだ。
「パパ、笑ってる!」
「ああ」
「パパの目、いつもと違う!」
「そうか?」
「うん!怖くない!」
トーマスは、アンナを抱き上げた。
「……ごめんな、アンナ」
「ずっと——怖い顔してて」
アンナは、首を横に振った。
「いいの!」
「パパが笑ってるから、いいの!」
トーマスは、アンナを抱きしめた。
「もう——逃げない」
「ちゃんと——お前たちと、向き合う」
「約束する」
アンナは、トーマスの胸に顔を埋めた。
「うん……!」
庭の隅で——エリックが、立っていた。
木にもたれて、腕を組んでいる。
トーマスは——エリックの方へ、歩いていった。
三年間——近づけなかった。
でも、今は——。
トーマスは——エリックの顔を、じっと見つめた。
三年分の成長が、そこにあった。背が伸びた。顔つきが大人びた。
——俺は、これを見逃していたのか。
「……エリック」
「……なんだよ」
「心配かけて、すまなかったな」
トーマスが、息子の前に立った。
エリックは——目を逸らした。
「……別に」
ぶっきらぼうな声。
でも——その目が——少しだけ、潤んでいる。
「でも——もう、大丈夫だ」
「それだけだ」
エリックは——顔を背けた。
しばらくして——。
「……うるせえな」
「謝んなくていいっつの」
そして——小さな声で。
「……おかえり……親父」
トーマスは——息子の言葉を、噛みしめた。
「……ああ」
トーマスは、息子の肩に手を置いた。
「ただいま」
*
レオンは、リビングから、その光景を見ていた。
トーマスが、アンナを抱きしめている。
エリックが、照れくさそうに笑っている。
奥さんが、涙を拭いている。
家族。守りたかったもの。
レオンは、左手首の青いリボンに触れた。
温かい。いつも——温かい。
「……」
レオンは、奥さんの方を向いた。
「奥さん」
「あ、レオンさん」
「そろそろ、失礼します」
「えっ、もう帰られるんですか」
「はい。もう——俺の役目は終わりましたから。それに、せっかくの家族の時間を邪魔したくないですし」
奥さんは、深く頭を下げた。
「本当に——ありがとうございました」
「夫を——家族の元に、戻してくれて」
「いえ——」
レオンは、首を横に振った。
「戻ってきたのは——トーマスさん自身の力です」
「俺は——少し、手伝っただけです」
奥さんの目から、涙が溢れた。
「でも——あなたがいなければ——本当に——ありがとうございます」
レオンは、小さく頷いた。
「お元気で」
「トーマスさんにも——よろしくお伝えください」「あ、レオンさん——」
奥さんが言いかけた時——。
玄関の方から、足音が聞こえた。
トーマスが、追いかけてきていた。
「帰るのか」
「はい」
「そうか」
トーマスは、レオンの前に立った。
「礼を——言わせてくれ」
「いえ——」
「お前のおかげで——俺は、戻れた」
トーマスは、レオンを見つめた。
「同じ痛みを持つ者として——お前に会えて、良かった」
レオンは、小さく頷いた。
「俺も——あなたに、会えて良かった」
トーマスは——。
拳を、胸に当てた。
「——ありがとう」
レオンは——その仕草を、見つめた。
マルコとの、合図。
トーマスにとって、大切な意味がある。
レオンも——静かに、拳を胸に当てた。
「——お元気で」
「ああ」
*
家を出て、ミラと二人で、歩き始めた。
夕暮れ。
オレンジ色の光が、街を染めている。
「レオン伍長」
「ん?」
「……大丈夫ですか」
レオンは——少し、考えた。
施術中に見た、トーマスの記憶。
マルコの最期。
敵兵のペンダント。
エリックとの重なり。
全てが、自分の過去と重なった。
マークの最期。
ガロウとの約束。
守れなかった——仲間たち。
「……ああ」
レオンは、答えた。
「同じ痛みを——持っていた」
それ以上は、言わなかった。
でも——。
少しだけ——楽になった気がした。
一人じゃない。同じ痛みを持つ者がいる。
それが分かっただけで、胸の重さが、少しだけ、軽くなった気がした。
*
空を、見上げた。
夕焼けが——美しかった。
「ミラ」
「はい」
「……ありがとう」
「……?何がですか」
「いや——」
レオンは、微笑んだ。
「いつも、助けてくれて」
ミラは——少し、驚いた顔をした。
そして——。嬉しそうに、微笑んだ。
「……大丈夫です。私は——ずっと、ここにいます」
二人は——並んで、歩き続けた。
夕日が——沈んでいく。
◇ ◇ ◇
——その夜。
トーマスの家では、家族四人が、リビングに集まっていた。
「ねえパパ、今度キャンプ行こうよ!」
アンナが言った。
「キャンプ……」
トーマスは、少し息を呑んだ。
三年前——最後の家族キャンプ。
マルコも、一緒だった。
その記憶が、蘇る。
マルコ、お前がいないキャンプなんて……。
でも——。
「……ああ」
トーマスは、頷いた。
「行こう」
「やったー!」
アンナが、飛び跳ねた。
「エリックも来るよね!?」
「……うるせえな。行くっつの」
エリックは、そっぽを向いた。
でも——口元が、少しだけ緩んでいる。
奥さんが、微笑んでいる。
「ねえパパ」
アンナが、言った。
「リリィも呼ぼうよ」
トーマスは——息を呑んだ。
リリィ。マルコの、娘。
三年間——マルコの家族とも、まともに会えていなかった。
「……ああ」
トーマスは、頷いた。
「今度——ソフィアさんとリリィも、呼ぼう」
「やったー!」
アンナが、飛び跳ねた。
「リリィに会いたかったんだ!」
「久しぶりだね、リリィと遊ぶの!」
トーマスは、その笑顔を見つめた。
マルコ、見えるか。
俺は——やっと、戻れたよ。
お前の分まで——生きる。
お前の家族も——俺が、見守る。約束だ。
窓の外——。
夜空に、星が輝いている。
トーマスは——静かに、拳を胸に当てた。
また、な。
マルコ。




