時計台
三題噺もどき―ななひゃくじゅうに。
真っ白な雪が降り始めていた。
外を舞うその白は、ふわふわと柔らかそうに見えた。
あれのせいで、寒さに拍車がかかっているのに、触れてみたいと思った。
「……」
空には満月が浮かび、大きな穴をあけている。
今にもこの世界のすべてを飲み込もうと、空が大口を開けているようにも見えて。
―いっそそうなってしまえばいいのになんて思ってしまう。
「……」
暗い、暗い、部屋にいた。
灯りなんてものは1つもなく、鉄格子から差し込む月の光がぼんやりと照らしている。
それもほとんど頼りない。すぐに雲に隠れて、部屋には重苦しい暗さが居座る。
「……」
それでも視界に不良はない。
夜を生きる化物として生まれたのだから。
暗い部屋なんて、むしろ視界良好なくらいだ。
「……」
そのはずなのに、視界がぼやけている。
頭が働いているような感覚がない。
ただ、起きているから、動いているだけというような。
意味もなく訳も分からず、ただ生きているだけのような。
死んでいるはずなのに、生きているだけのような。
「……、」
突然、空気が震えたような感覚があった。
視界も少し、揺れただろうか。
あぁ、もうそんな時間なのか。
「……」
ここは、下に住む人間たちには、時計台と呼ばれている。
巨大な鐘が鳴り、時間を告げる、それだけのモノ。
鐘が鳴れば、起きたり、寝たり、帰ったり、仕事に行ったり、そんなことをするのだと。
「……」
生憎、麻痺しきったこの体は、その音を聞くことが出来ないが。
どうせ、うるさいばかりで、聞くに堪えないようなものだろう。なっただけで、これだけ空気が震えるのだから、相当なうるささだ。
「……」
音なんて、必要なモノだけ聞こえればいい。
―1人の声さえ、聞こえれば、それで。
「……」
この鐘の鳴る時は、あの人が来る時だ。
真っ赤な口紅を引いて、三日月のように笑い、犬歯をのぞかせ、冷ややかな手で撫でてくる。
鋭くとがった爪で頬に赤く線を引き、毒の入った食事を口に運び、太陽の光の入るこの部屋に、1人置き去りにしていく。
少しでも嫌がれば、拘束されて、何日も何日も、太陽の元にさらされる。焼けては生きかえり、死んでは蘇る。曇りの日なんて、半端に焼けるから、楽に死にも出来ない。
最近は、晴れた日でも死にづらくなっていて、どうにも。
「……、」
何かが昇ってくるような気配がした。
冷え切ったこの部屋に、あの人以外の誰が来よう。
まだ聞こえていた頃から、あなたのためだと言い聞かせ続けているあの人以外に。
「……寒いですね、ここは」
「……」
そういいながら、狭い扉をくぐってきたのは、あの人ではなく。
聞こえない声のあの人ではなく。
「……行きましょうか」
「……」
そういいながら、手に持っていたらしい毛布を掛け、そのまま勢いで抱えられた。
ぼやけた視界に映ったのは、私と揃いの瞳に、すらりとした目鼻立ち。美しいとはこれを言うのかと思う程に、全てが整った顔。
赤い口紅でも、鋭い爪でも、私とは違う瞳でも、冷たい手でもない。
「……どこに」
「……どこへでも」
応えた声は、心地よく耳朶を叩く。
この声だけは、聞いていたいと、そう思った。
「おはようございます」
「……おはよう」
「冷房の点けっぱなしも考えものですね」
「……そうだな」
お題:雪・時計台・口紅