■第2話「“自由”と“伝統”のあいだ」──前編
【放課後/書道部室】
「──それ、ちょっとやりすぎじゃない?」
琴音の声は、静かだけど、はっきりと“棘”があった。
「えー? そう思う? 私は、全然ありだと思ってるけどな」
紅葉が、半紙の上にドンと筆を置く。
彼女が書いたのは、ダイナミックな『愛』の文字。
……に、ハートマークが添えてある。
「書道に絵文字って……ふざけすぎです」
「ふざけてないよ。“愛”って言葉に私が感じたのは、あの“ときめき”だったの。それをそのまま書いただけ」
「書道は“感情”ではなく、“型”です。
あなたが書いたそれは、“文字”ではなく“気分”でしょう?」
「あれ? なんでそんなに怒ってんの?」
「怒ってなど──!」
琴音が言いかけて、言葉を飲み込んだ。
けれどその眉間には、はっきりと怒りと戸惑いがにじんでいる。
「そもそも、書道部として発表する作品がそんな……お遊びみたいな文字でいいんですか?
外部の目もあるんですよ? 評価を受けるんですよ? 私たちがどんな部か、見られるんです!」
「……へぇ。
琴音ちゃんって、“外の目”にそんなにビビってるんだ?」
「ビビってなんか──!」
「部活なんて、もっと自由でよくない? 誰かの評価を気にして、思ってもない字を書くとか、意味あるの?」
「あります。伝統というのは“継承”です。自分勝手な解釈は、歴史を冒涜する行為です」
紅葉はにやっと笑って、でもその目はまっすぐだった。
「じゃあさ。あんたは誰のために書いてるの?」
「……!」
琴音の手が、ぴくりと震える。
「“誰かのため”に書くことが、そんなに悪いことなんですか?」
「悪いとは言ってない。でも、自分の気持ちを筆に込めるのが“自由”ってもんでしょ?」
「それは、“逃げ”です。“好きに書く”って言えば、すべてが許されると思ってるんですか?」
「逆だよ。全部ぶつけて書くのって、超こわいんだよ?」
「……!」
紅葉と琴音の視線がぶつかる。
部室が、なんとも言えない緊張に包まれる。
そして──
「う、うう……け、喧嘩……ですか……?」
沙耶が、おそるおそる顔を出す。
部室の片隅でおとなしく練習していたが、今のバチバチ空気にはもう無理。
「い、いえ……これはあくまで、“討論”です。
ね、朝比奈さん?」
「うん。私は別に、琴音ちゃんのこと嫌いになったわけじゃないし~。
ちょっと面倒くさいだけで」
「はっ、こっちのセリフです」
「はいはーいストップストップ! ふたりとも“筆を交える”前に一旦座ってください!」
部長・つばさが、やっと事態を制止に入る。
「というか、これはむしろチャンスです! 文化祭もあることですし、次のテーマを**『自由と伝統』**にしましょう!」
「えぇぇぇぇぇ!?」
「いい案だと思いますよ? それぞれのやり方で作品を書いて、展示して、見た人に“感じて”もらう。
紅葉さんの自由な書も、琴音さんの正統派も、どちらも“書道”ですから」
「むぅ……」
「……まぁ、いいけど。私、負ける気しないし?」
「私だって、あなたに“伝わる書”の意味を教えてさしあげます」
その瞬間、ふたりの間に“書道バトル前哨戦”の空気が走った。
沙耶がぽつり。
「……あの、でも、どっちも……素敵だと思いますよ?
正直、昨日の“影”って文字も、今日の“愛”も、どっちも自分じゃ書けないですし……」
沙耶の言葉に、ふたりともふっと力が抜ける。
「……ありがと、沙耶ちゃん」
「ふん……あなたが言うと、妙に説得力ありますね」
こうして、書道部は新たなテーマに挑むことになる。
それぞれの信じる“文字”の姿を、筆に込めて――
(中編につづく)