■第9話「冬の校庭で、叫んだ文字」──後編 ──副題:そのままの名前で呼ばれたい
【翌朝・登校前/つばさの部屋】
窓の外はうっすらと雪化粧。
制服に袖を通しながら、つばさは机に置かれた筆箱に手をのせる。
(“誰かのために”って、難しいと思ってた。
でも、あのときの3人は──ただ“わたし”のために、言葉を描いてくれた)
(あんな文字が、書けたらいいな)
【放課後/書道部室】
「お、つばささん早いね! 今日は“部長のつばさ”じゃなくて、
“書道部員のつばさ”って感じ?」
紅葉が軽口を飛ばしながら部屋に入ってくる。
沙耶と琴音も続いて、それぞれの席につく。
「……みんな、ありがとう。昨日は、ほんとに……」
「いいっていいって!」
「誰かの心が雪に沈んだときは、筆で救うのが私たちですから」
琴音のその言葉に、つばさは笑って、うなずいた。
「……だから、今日、ひとつ書いてみた」
つばさは、机の上に一枚の半紙を置いた。
そこに書かれていたのは、力強く、でもどこかやさしい筆致の一文字。
「名」
「名前の“名”? 珍しいね」
紅葉がのぞきこむと、つばさは静かに答える。
「“部長”じゃなくて、“つばさ”って名前で呼ばれたときに、
なんか……“自分が、自分でいていい”って思えたんだ」
「……いい字ですね」
沙耶が微笑む。
「わたし、いつか“沙耶”って字を書いたとき、つばささんみたいな気持ちになるかも」
「じゃあ今度、“お互いの名前”書き合ってみる?」
「きゃー、それちょっと照れるやつ!」
「書道ってラブレターだね! ……あ、でも“こじらせ書道”だわ私たち!」
部室に、明るい笑い声が広がる。
──冬の雪が、夕焼けのなかで静かに溶けていく。
“名前で呼び合う”ように、“心で書き合う”ようになった彼女たちは、
またひとつ、筆に新しい意味を見出していた。
誰かのためじゃなく、自分の言葉で、自分の気持ちで。
その文字は、冷たい雪のなかでも、たしかに熱を持っていた。
(第9話・完)