■第8話「一人、書けない」──中編 ──副題:名もない詩が、名指しのように
【翌日・放課後/書道部室】
琴音は、いつもより早く部室に来ていた。
“今日は、墨の匂いが少しやさしく感じる”
そんな気がしていたから。
引き出しを開けると、一枚の半紙が折られて差し込まれているのを見つける。
(……これは?)
そっと広げたその詩には、署名もなく、ただ静かな言葉が綴られていた。
あなたが書けなくても
私はあなたを覚えている
あなたの字を
あなたの間を
あなたの沈黙を
だから大丈夫
書かなくても、ここにいる
琴音は、それを見て息を止めた。
(……私の、沈黙を?)
(“覚えている”なんて、誰かがそう思ってくれるなんて、思っていなかった)
【その日の部活/机を囲む4人】
「部長、今日ちょっと、目の色違いません?」
紅葉が言い、つばさがじっと琴音の表情を見る。
「……何か、あったんですか?」
琴音は、小さく首を振ったあと、ぽつりと答えた。
「少しだけ、“書いても意味があるかもしれない”と思えました」
「うん、うん、そうだよ! 私なんていつも意味のないことしか書いてないけど、それでも誰か笑うから! それでいいじゃん!」
「紅葉さん、それフォローのようで失礼では……」
「ええ〜〜〜?」
沙耶は何も言わなかった。ただ、ほっとしたように小さく息をついた。
【夜・琴音の部屋】
琴音は机に向かい、筆を握っていた。
いつぶりだろう、まっさらな半紙に対して“自分の言葉”を投げるのは。
(この詩を書いたのが、誰かは分からない)
(でも、もし“誰にも見せないまま”書かれたなら──)
私も今夜は、“誰にも見せないまま”書いてみよう。
──自分のために。
そして、誰かが自分の“書けない”を気づいてくれたように。
筆が走る。
“書けるかどうか”より、“書きたいと思うかどうか”。
それだけで、心が少しだけ軽くなる。
書かれた詩の最後に、琴音は小さく、丸い句点を打った。
(それが、私の“ありがとう”)
(後編につづく)