■第4話「初めての賞状、初めての涙」──前編
【六月・梅雨入りの頃/放課後・書道部室】
ぽたぽた……と、窓を叩く雨の音。
湿気にじんわり包まれた空気の中、墨の香りがいつもより濃く感じられる。
「ふふふ……ついに、ついに来ましたよ!」
部長・つばさが、ビニールの袋から何かを取り出しながら高らかに宣言した。
「“市内高校書道コンクール”の募集要項!」
「……あ、あの、部長。それって、いわゆるガチのやつでは……?」
沙耶がそっと手を上げた。
「そう、ガチ中のガチです。でも今回は、“初参加歓迎・ビギナー部門”があるんですよ」
「おっ、それなら私たちでもワンチャンある感じ?」
紅葉がノリ気で前のめりになる。
「ふむ。公式の場に出すということは、自分の“書”に他人の評価が加わるということ……」
琴音は腕を組み、やや神妙な顔つき。
「その緊張感もまた、青春の味ということで!」
「“青春”って便利な言葉ですね……」
沙耶はため息まじりに微笑んだ。
「締切まであと3週間。部内から1人だけ、代表作を提出します。
選考はもちろん、部内コンペ方式!」
「えぇ~~!? ガチで勝負するんですかっ」
「うわー、うちは“平和な日常系部活”でやっていくつもりだったのにぃ……」
「それ、“部室ラブコメ路線”に完全に舵切ってたの紅葉さんだけですよ」
「“勝負に強い青春”もまた、悪くないでしょ?」
つばさが静かに言ったその言葉に、沙耶は一瞬、胸がざわついた。
(“勝負”……“誰かよりも上手い”って、どうやって決めるんだろう……)
【翌日/昼休み・図書室】
沙耶は、ふと手に取った書道の作品集をめくっていた。
(……すごい。どれも、圧倒される)
ページをめくるたびに、まるで“文字がしゃべってくる”ような感覚。
叫んでる字。泣いてる字。眠ってるような字。
(わたしの書は……こんな風に、人の心に届くのかな……?)
そんな時、机に誰かが静かに座った。
「……沙耶さん」
「こ、琴音さん!?」
「あなた、悩んでいますね。作品の方向性ですか?」
「……はい。わたし、自分の“好き”で書いてるだけで……技術とか、伝統とか、全然自信なくて」
琴音はしばし黙って、沙耶の前に一冊の本を置いた。
「これは、私が一番最初に影響を受けた書家の作品集です。
“好き”で書いていた人が、やがて“本物”になった記録です」
沙耶はページを開く。
どの字にも、熱と余白があり、“不器用な真剣さ”がにじんでいた。
「うわ……すごい。でも、どこか……近い気もする」
「“好き”という気持ちは、きっと一番強い原動力です。
技術はあとから、ついてきますから」
琴音がやわらかく微笑んだのを、沙耶は少し意外そうに見ていた。
(いつも厳しくて、ちょっと怖かったけど……)
(この人も、きっとずっと、書と向き合って悩んできたんだ)
【部室/コンクールに向けた制作期間・中盤】
「よーし、今回は真面目に書くぞーっ!」
紅葉はめずらしく、黙々と墨をすっていた。
「“本気の紅葉”、怖いですね……」
「“遊んでるほうが逆に強そう”って言われるタイプですから」
「いや真面目にやってもそこそこ強いタイプです私!」
つばさは沙耶の字を見て、何度もうなずいた。
「……いい感じ。“間”が生きてきてます。気持ち、ちゃんと筆に乗ってる」
「え、えへへ……」
(でも、まだ“誰かに選ばれる”ほどじゃないかも……)
沙耶の笑顔の奥に、不安がゆれる。
──その不安は、やがて“ある出来事”を呼び込む。