狂い咲き
十二月初旬。夕方から降り始めた雪が夜の街を白く変えている。
ザッザッ。薄く積もった雪が足音を際立たせる。草履の音というよりは、雪同士が擦れた音だ。
(七…いや八人か)
久兵衛は、腰に付いている刀の柄を撫でた。幼い頃父の友人に造ってもらってから、もう何十年も共に生きた戦友だ。
しかし、かつては金が施されて綺羅びやかだった頭もつばも、今は錆びついている。
ザザッ。
八方位で笠を被った男たちが刀を抜いて構えている。男たちの顔はよく見えない。着物もただ青いだけで、家紋もない。
久兵衛はゆっくりと刀を抜く。キンと乾いた金属音が、凍てつく空気を切り裂くかのように響いた。
ザッ。
八人のうち四人が向かってくる。ほかの四人は刀は構えながらも控えているだけだ。おそらく時間差で攻撃する方法だろう。
(戦い慣れている)
前方、後方、左右。既に背後を取られている。
久兵衛は左足を軸に右回りをしながら後方の男を斬った。あまり深くは斬れていないが、動きを止めることはできている。
そのまま流れで左側にいくと見せかけて、右側の男を突く。これは肩に刺さったようだ。刀を持つ腕を負傷すれば、動きも鈍くなるはずだ。
しかし、二人を斬る間に残りの二人に間合いを詰められている。最初前方にいた男は、低姿勢で懐に入り込もうとし、もう一人は大きく刀を振り上げている。
刀を抜き、前方にいた男へ相打ち覚悟で刀を下ろす。
相手の入りが浅かったことが功を奏したのか、脇腹を掠っただけに収まった。
気づくと、残りの四人の男たちが刀をおさめ始めている。加勢するまでもないと思ったのだろう。
刀を振り上げていた男はおそらく真っ向斬り。ならば一文字斬りで横をつけばいい。久兵衛は刀を軽く持ち直し、右に勢いよく刀を振った。
しかし、そこに斬るものは無かった。
代わりに久兵衛の右肩から腰にかけて刀が振り下ろされた。
(真っ向斬りと見せかけた袈裟斬り、か)
身体が一瞬浮いたように軽くなった。これだけ斬られてはまず助からない。
(だからといって諦める気もない)
久兵衛は思い切り左足を踏み込み、先ほど袈裟斬りをかました男に刀を落とし込む。間髪入れず、振り向きざまに一文字斬りを入れる。
そのとき、久兵衛の視界を赤いものがよぎった。そしてそれは久兵衛が刀を振るたびに増え、宙を舞った。
おびただしい数の椿が、咲き乱れている。そう久兵衛は思った。
久兵衛は嘲笑した。
(どこの誰だか知らないが粋なやつだ。椿は春にしか咲かないというのに)
赤い。紅い。朱い。緋い。どの表現が正しいのだろうか。本来は華やかな紅を持つ椿が、赤黒い妖艶さを放っている。
そのとき、右肩に何かが刺さる衝撃を感じた。
(…上、だと?)
私の落ち度だ。まさか弓取りがいるとは。
(四肢が痺れている。神経毒か)
久兵衛は肩の矢を抜き、その場に放り投げた。
久兵衛の心はひどく高揚していた。
聞こえるものは、強く速く波打つ鼓動だけ。もはや傷の痛みも感じない。高揚感のためか、意識は朦朧としている。しかしそれでも、視界は澄み渡っている。まるで身体中に目があるかのように、すべてがわかる。
そして、それを静かに見る自分がいることもわかる。
この感覚はどう考えても常軌を逸している。そうわかっても、身体を止めようとする自分はいない。
「ははっ」
(そうか。私はまだ戦いたいのか)
久兵衛は、思い出した。刀を持ち、人を斬る。その誇りを。
数多の人を殺めて登りつめた地位。豪華な食事。美人ばかりの女中。身なりを整えずとも寄ってくる女たち。
何を手に入れても、どんな面を被ろうとも、私は昔のままだ。ただただ戦うことを好む、狂った男だ。
男たちは刀を鞘におさめ、屋根の上の弓取りに手を挙げて合図をしている。
この男たちは私が表に出なければ屋敷を襲っていたのだろうか。あの弓取りは女だった。この屋敷には、女など数え切れないほどいる。簡単に忍び込めたはずだ。
とうに決着はついていた。しかし久兵衛は斬り続けた。
流れのままに振るう刀に手応えはない。斬っても斬っても、相手との距離は詰まらない。
それでも、振るうほかなかった。たとえ空を切るだけだとしても、そこに誰もいなくとも、この激情が尽きるまで斬らなければいけなかった。
翌朝。彼の横にはひとつの花が残っていた。
朽ちて色褪せた椿が。




