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4輪②

 その日から、勧誘活動にも変化が生まれていった。若菜ともう一人、和音か心春が持ち回りで勧誘に入るようになり、他のメンバーでミニコンサートの準備をするようになったのだ。

 若菜も和音も当初よりは気後れせず声を張れるようになり、勧誘が二人でも事足りると判断されたことは大きかった。一方で菫もまたそこに加わろうとしたが、当の菫の気質や、合唱経験者でもある先輩に勧誘のほうを優先させるのは気が引ける、とする和音の配慮もあり、結果的に菫と紗耶香は勧誘活動のローテーションから外されたのだった。

「第二音楽室でミニコンサートをやります! 合唱に興味のある方、お聴きになりたい方、ぜひいらしてください! 一緒に合唱同好会を作りましょう!」

 この日の勧誘担当は、若菜と和音。授業が終わってから一時間半ほど、時折賑やかさを増す人通りへ、立て札を掲げて定期的に声を上げる。同好会の結成後に想定されていた、互いの間柄にまつわる懸念がなくなったことで、二人は一段と勧誘に精を出せていた。

 和音はその最中、人通りが一度途切れたタイミングで、若菜に耳打ちした。

「い、今までよりは、気にしてくれる人も多い……かなあ?」

「ああ。きっと大丈夫だよ」

 噛み合わない返しだと理解しつつ、若菜はそう答えた。

 事実、若菜から見ても、関心を寄せる生徒やビラを受け取る生徒は増えたように感じられていた。だが、結局メンバーとして加入を希望する人物でなければ、目的は達成されない。興味本位で足を止めただけの生徒がどの程度かも分からなければ、数回のミニコンサートで魅了される誰かがいるとしても、実際に合唱の魅力そのものを感じ取るかは不確かでもあった。

 だが、だからと言って不安を煽る訳にもいかない。若菜が無心になって再び声を張り上げようとした、その時だった。

「あのー。ミニコンサート、ってやつ? これはいつやるんですか」

 一人の生徒がそこに駆け寄り、若菜へ訊ねてきた。

「はい、ミニコンサートはまず明日一回やります! その後にも何度か計画してますので、興味があればぜひ!」

 その生徒は、和音からビラを渡され、それに目を通しながら歩いてその場を通り過ぎていった。角を曲がって見えなくなった後、和音は嬉しそうに呟いた。

「あんなに興味もってくれる人も……嬉しいね、若菜ちゃんっ」

 若菜もそれに頷き、足を止める生徒、声に振り向く生徒、ビラを手に取る生徒、一人一人に感謝と願いを込め、和音と共に勧誘を続けた。その甲斐あってか、若菜が後ろの壁際に置いていたビラを見ると、本来予備として用意してあった束までが半分ほどにまで減っていた。

「結構、受け取ってもらえてたんだな……和音が頑張ったから」

「私一人じゃ、こうはならなかったよ。若菜ちゃんもいてくれたおかげだよっ」

 二人は笑い合うと、事前に打ち合わせていた通り、人通りがほとんどなくなる時間帯を見計らって第二音楽室への移動を始めた。意気揚々と談笑し、ミニコンサートにもより力を入れようと改めて確認し合っていた。

 そうして、部屋の前までやって来た、その時だった。中から聞こえてくる心春たちの歌声を耳にした途端、若菜は立ち止まり、呆然と立ち尽くした。

「この曲——」

 どうしたのか、と心配する和音に耳も貸さず、上の空となった若菜は第二音楽室の中で鞄を取ると、そのまま足も止めず、うわ言のようにごめんなさいとだけ繰り返し、そのままの勢いで学校を出た。

 あの時、心春たちが歌っていたのは、部活動で身体だけでなく心にも傷を負った中学生の頃の若菜が、入院先の病室でテレビを通して聴いた合唱曲だった。校門を出、駅まで走り続け、電車に乗って下車駅に着いた若菜は、自分の頬を涙がつたっていたことに、そこでようやく気づくと、顔を周囲の目から隠し、声を押し殺してホームの壁へ寄っていた。

 和音や心春たちの中に加わって、合唱をしたい。しかしそれをするとなれば、彼女たちの見たくない一面を見てしまうかもしれない。相反するその思いの間で、若菜はしゃくり上げ、咽び続けた。


 次の日。申し訳なさを抱きながら第二音楽室での打ち合わせに参加していた若菜は、話の中で幾度となくごほごほと咳をし、周囲から不安そうに見つめられていた。

「わかなちゃん……大丈夫かしら?」

「む、無理しないでね」

 とりわけ若菜を気にかけていたのは、菫と和音。その気遣いへ感謝をすると同時に、また心を痛めもした若菜は、笑顔を作って見せた。

「気にせず、話を進めてもらって」

 若菜は前の日にあった出来事を、冷え込みによる体調不良の様子見だと誤魔化していた。実のところ、日没後の肌寒い場所に留まり続けた悪影響も確かに大きかったのだが、個人的な事情をそれのみで直隠しにした若菜は、少なからず忍びなさを感じたのだった。幸いにして熱も朝には下がっており、憂慮されるほど不調な訳ではなかったのもあり、相変わらず勧誘に勤しむつもりだと若菜は担当を買って出た。

 そうして打ち合わせが終わってから、若菜はその日もまた購買前へ繰り出していた。最低限入り用な荷物を壁際に置き、定位置に立って声を出していく。

「この後四時四〇分から、第二音楽室でミニコンサートをやります!! 興味のある方はぜひどうぞ!」

 風邪気味なせいで、普段と同じ声の出し方はできない若菜。しかし、同好会のメンバーに頼らず勧誘活動を行うその状況は、若菜にとって都合が良いものでもあった。昨日の今日で四人の合唱に立ち会うことが、自分自身の正常な判断を失わせてしまいかねない、と若菜自身直感していたからだ。

「合唱同好会を結成しようとしている四人の、ミニコンサートです! 合唱をやってみたい方、興味のある方はぜひ——」

 ひとまずは、何を置いても最初の目的を達成しよう。そんな若菜の意図とは裏腹に、その日の勧誘活動は芳しくなかったのだった。一目見て、お世辞にもビラは調子良く減っていると言えず、こちらに注目する生徒も明らかに少ない。一人で勧誘をしていること、声を思うように張れないでいることを差し引いても、これほどまでに結果が変わるのかと肩を落とした。

 それでも気を取り直して勧誘を続けていた若菜。だが、それから続けて何度も勧誘の文句を廊下へ響き渡らせた後、ふと嫌な可能性に行き当たってしまった。

 新学期も半月が過ぎ、他の一年生たちの大半が既に部活動や同好会の加入を決めていたとしたら。もしそうであれば、そもそも放課後の人通り自体が少しずつ減少に転じていたりはしないか。この仮説が正しければ、若菜自身の体調不良以前の話として、勧誘活動で合唱に興味のある生徒を見つけることも難しくなってくる。

 そんな若菜を、目の前を通りかかった生徒たちが更に焦らせた。

「いいの? 最後まで聴かなくて。合唱」

「練習、ついていけるか不安になっちゃって……」

 人混みの中のその言葉に聞き耳を峙てると、声の主はつい一日前にミニコンサートへの関心を示してきた生徒だったのだ。


 勧誘を気に止める生徒たちが減っている憶測は自分の杞憂で、合唱にチャレンジする意思を示してくれる誰かがきっといる筈だ——自身の懸念を四人には振り撒くまいとしながら、若菜はサポートを続けていった。しかし時間はその願いに反し、一日、また一日と着実に過ぎていた。その日の活動が終わる度、初回のミニコンサートをやり遂げた後の一幕を、若菜は否応なく頭の中で思い出すのだった。

「みんなで、もっと一緒に歌いたいなあ……毎日ミニコンサートでもいいくらいっ」

「楽しむのはいいことですが、今の目的はまた別です。来てくれる人たちを引き込めるように頑張らないと」

 そんな風に前向きさを絶やしていなかった和音はおろか、その和音に釘を刺す側であった心春も、二人に年嵩としての立場で接しようと努める菫と紗耶香も、日を追うごとにじわじわと不安が増していた。勧誘にかけた時間が、それまでのようなはっきりとした形で実を結ばなくなっていること。加えて、初回のミニコンサートでは五人が来訪していた生徒の数も、三人、一人と減少の一途を辿っていること。そういった現実を突きつけられては、挫けずに活動を続けるのが至難なことも当然の話だった。

「合唱同好会を、作ろうとしています……! ミニコンサートもやりますので、興味のある方はぜひっ」

 事実上結成届出の期限となる日、ほとんど減らなくなった紙の束を手に、和音は声を上げ続けていた。ミニコンサートへの強い関心を見せた生徒がいたことに対して、純粋な思いでの喜びがあっただけに、新たなメンバーを得るという結果が付いてこず、最もショックを受けていたのが和音だった。

 勧誘の言葉を矢継ぎ早に口にしようとし、咽せて咳込む和音。その肩を若菜が支えようとすると、和音は小さな声で問いかけた。

「和音……」

「私——やっぱりだめなのかな」

「な、何言ってるんだよ」

「園内さんや、先輩たち……みんなと一緒なら、同好会を結成して、いろんな人に届く合唱ができるって、そう思ってた……でもやっぱり、私じゃ無理なのかな……」

 純粋な笑顔とひたむきさで、合唱同好会の結成を目指して行動し続けてきた和音が、今にもへたり込み、顔を覆って号泣しそうなほど、瞳を潤ませていた。和音のその様には、若菜も堪えるほどにいたたまれなくなっていた。だが、それでもできたことはたった一つ、同じ言葉を繰り返すだけだった。

「大丈夫だよ、和音。諦めるにはまだ早いよ」

「でも……」

 静まり返る廊下で、手にしていた紙束をその場に落としたまま、拾いもせずに俯く和音。一方の若菜は、尚も大丈夫だと和音を励ました。

 それと同時に若菜は、自分自身を鼓舞してもいた。ミニコンサートへの興味を示した生徒は、四人の合唱を確かに聴いていた様子だった。その上で、練習についていけるかと不安を訴えていた。だとすれば、ミニコンサートそのものには感銘を受けていたかもしれない。和音たちの合唱には、それだけの力があるはずだ——そんな可能性を見出しながら、若菜はよろける和音を支え、共に第二音楽室へと向かった。

 そして迎えた、最後のミニコンサート。

 準備を終え、和音たちが目にした生徒の数は二人だった。その生徒たちへ向け、四人は精一杯の思いを込め、声を合わせて歌い出した。

 若菜は二人の生徒たちと共にその歌声を聴く中で、自分の言葉に確かな自信を持ち始めた。

 自身の言葉通り、若菜の心もまた、四人の歌声で揺れ動いていたのだ。四人はこの瀬戸際にあっても、いざミニコンサートが開かれると楽しげに声を合わせていく。その様子と、とりわけ和音が見せる満面の笑顔は、若菜の脳裏に焼きついて離れなかった。


 曲が終わり、お辞儀をすると、和音は膝から崩れ落ちそうになる。その背中を菫に受け止められ、再び背筋を伸ばして立った和音は、壇上の面々にだけ聞こえる声で、その思いを零していた。

「やるだけのことはやったから、あとはもう——」

 返す言葉によっては、今度こそ和音が泣き崩れかねない。それを危ぶんだ心春、菫、紗耶香もまた押し黙ったまま生徒たちの動向を見守った。

 そこへ、駆け寄っていく人物が一人。

「私、一緒に合唱がやりたいです」

 壇上の四人は、驚きを隠し切れないままそちらへ目を向ける。入部を希望するその生徒は、若菜だった。

「若菜ちゃん……!? やってくれるの?」

「言っただろ。和音の、今ステージにいるみんなの歌声は、たくさんの人に届くって。私が合唱を好きになったきっかけの曲を、今日ここで聴けて、合唱をやってみたいって思えたんだ。心の底からね」

 風邪気味な中で何とか声を振り絞って答える若菜に、今度は心春が問いかけた。

「本当に、大丈夫なんですか?」

 事情を知ってしまった心春は、決して手放しに受け入れられ、喜べるものではないと考えていた。しかし、そんな心春に対しても、若菜は自身の意志を訴えた。

「私にも、できることがあったら——いや、あるんじゃないかって。それをやってみるよ」

 その言葉を聞いて、心春も漸く了承し、晴れてここに合唱同好会が結成された。五人だけになった第二音楽室は、決して順風満帆とは言い切れない、ひとまずの安堵に満たされたのだった。


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