19輪②
その翌日。遂にNコンに備えての練習が出来るからと大なり小なり胸を躍らせていたはずの同好会メンバーは、放課後の静まり返った第二音楽室で言葉を失っていた。
「すみません遅くなっちゃって——えっ何これ、どういう状況」
「ああ、るい……お疲れ、日直の仕事だっけ」
駆け足で扉を開けて飛び込んできたるいに、若菜が声をかけた。けれどその声は、ひどく参った様子だった。
「いやそれより、何でみんなこんなに絶句してるのよ」
「まあそう思うよな。とりあえず、聴いてくれよ……」
若菜の言葉から一瞬遅れて、心春は再び一つの合唱曲を再生した。
始まってしばらくは弾むような歌声が響き渡る、そんな楽しげな曲だったが、一分半を過ぎた辺りから突然ラップのようなパートが入り、手拍子や笑い声といった仕草も交えて展開していった。この曲が、同好会メンバーの頭を悩ませるものだった。
「ええと、これって——」
「課題曲なんだってさ、今年の」
若菜の説明に納得したのか、るいも「確かに……」と小さく声を漏らす。そんな雰囲気を変えようとしたのか、菫が手を叩いて明るく振る舞った。
「で、でも! 素敵よね、新鮮だし」
「……確かに、良い曲とは思うのだけど。やっぱりこれが課題曲というのは……受け入れるにももう少しかかりそうだわ」
一方で菫と並ぶ経験者の紗耶香も、既に一度聴いている立場からの戸惑いを口にしていた。しばらくして心春が段取りを話し出したが、その声にも始まる前から疲れが窺えた。
「まあとにかくやらないとですね、改めて聴いてみましょう。まずは自分のパートを覚えて歌うイメージを掴むところからです」
菫が注文しておいた楽譜をるいにも手渡した後、心春は再び曲を再生した。その後、この『僕が僕を見ている』という曲を合唱する上で注意すべき箇所についても、心春の口から語られた。
「ソプラノはやはりあのロングトーンがポイントですね」
「九小節……まあ、長いのは確かね」
「い、いけるんですか、菫先輩? 私一二秒が限界で」
特に問題とは感じていない様子の菫に、不安を訴えた和音。心春はそれを聞き逃がさず、すぐさま課題を突き付けた。
「一息で一五秒、ひとまずそれが目標です。あとは息継ぎしてもそれがばれないように、二人で声の大きさを調節できれば」
「そうね……私は大丈夫だから、任せてかずねちゃんっ」
最初は気後れしていた和音だったが、菫の言葉に安心したようで小さく頷く。
「う、うん!」
「その意気です、せっかく申し込んだ念願の舞台ですから。それと次は、ラップですが——」
和音の返答を確認して更に続けようとした心春だったが、その声は少しずつ尻すぼみになっていく。その場にいたメンバーが不思議がって首をかしげる中、ただ一人勘繰りを入れる声があった。
「……まさか、提出し忘れていないでしょうね。申請書」
それに対してすぐ応えられず、沈黙する心春。紗耶香の指摘は、どうやら図星のようだった。
「す、すみません。ちょっと失礼します」
慌てて壁際の鞄から用紙を取り出し、第二音楽室を飛び出していった心春。それを眺めながら、紗耶香は静かに呟いた。
「……手遅れになる前で、まあ良かったのかしらね」
申請書を生徒会室まで持って行った心春は、第二音楽室に帰ってきた後何事もなかったかのように練習を再開しようとしていた。
「さて、課題曲のポイント二つ目、ソロのラップについてですが──な、何ですか先輩」
「……別に何でもないわ」
口に出さないだけでその迂闊さを問いただしたがっていそうな顔の紗耶香を他所に、当の心春は話を進めていく。
「このラップの担当は、メロディーの都合上メゾかアルトから選ぶことになるんですが」
「……出来れば避けたいところだけど、歌っていれば親しみも湧くのかしらね」
「これ、つまり一人で歌うんだよな……私じゃ流石に……」
あまり乗り気にはなれない紗耶香と、自信を持てていない若菜。二人の反応に心春は物申して返した。
「確かに、私からしても挑戦的なパートです。でもこういうのは、胸を張ってやるものです。笑い声もそうですが、中途半端が一番恥ずかしいですから」
一番の経験者である心春さえ二人に一定の理解を示したのは、ある意味でその不安を柔らげる反応でもあった。とは言え、裏を返せば共通して越えなければならないハードルに違いない。溜息をつく面々だったが、そこへ更にるいが伴奏をする上での疑問を投げかけた。
「そういえば、指揮がいないけどテンポのコントロールってどうするの?」
テンポの変化が数ヶ所にある曲なだけにもっともな問いだったが、考えが至らなかったようで答えに詰まる心春。するとそれに気づいた菫が助け船を出した。
「るいちゃんは自分でテンポを決められたほうが良い? それとも指示があったほうが良いかしら。私は伴奏に歌を合わせるほうがやりやすいのだけど」
「そうですね、私もそのほうがありがたいです」
菫がるいと共に主導する中で、ひとまずアカペラの部分以外は歌が伴奏に合わせる形となった。そうして話がまとまったところで、一度合わせようと心春が再び音頭を取った。
心春の合図に従って始まった曲の冒頭はアカペラで、メゾソプラノが歌詞を歌い、ソプラノとアルトはヴォカリーズという母音のみで歌うパート。しかし、少ししてすぐに心春は止めるよう促す。
「ソプラノとアルトが合ってないですよ。これじゃ合わせるのは全然無理ですね」
厳しめの口調になって指摘する心春の提案で、まずは二パートごとの練習から行うことに。ソプラノとメゾソプラノ、アルトとメゾソプラノ、心春の手拍子とるいが演奏する二パートのメロディーに合わせて慣れていった。
その後、各パート一人ずつ歌っての練習では、すんなり歌い切った菫と紗耶香に対し、和音と若菜はしばらく繰り返し歌い続けていた。
「和音さんは合っているので自信を持って歌ってください。若菜さんは……まだ音程もリズムも不安定ですね」
自分のパートを一人で歌うとなると緊張してしまった和音に、るいのサポートを受けて少しずつ上達していく若菜。二人がそれぞれの課題を克服し、これからといったところでその日の下校時刻を迎えた。
「うう、思った以上に時間取っちゃったな……もっと頑張らないと」
「まあそれは否定しませんが、考えすぎても仕方ないですので」
落ち込む若菜に心春がフォローを入れる。そして和音もまた、そんな若菜を励ました。
「だ、大丈夫だよ若菜ちゃん。もっと頑張ろ」
「和音さん、貴方は自分の心配も忘れずに」
「は……はーい」
和音が項垂れながら苦笑いするのを、二年生たちも笑顔で眺めていた。課題は山積みながら、それぞれが自分に出来ることをやろうという決意の元、こうして大舞台へ向けた練習の日々が幕を開けたのだった。




