19輪①
その日、放課後を迎えて和音と若菜が第二音楽室へやってくると、他のメンバーの声が中から聞こえてきたのだった。
「ねえ! 何で私は呼んでくれないのこはるちゃん! さやかには言ってるのにっ」
「ああもう離れるです! 決まってるでしょう、そういうとこがいやだからですよ!」
先に来ていた心春と菫が、何やら揉めているようだ。
「あの、先輩……二人はいったいどうしたんですか」
状況が飲み込めていない和音は、その口喧嘩を呆れた目で眺めている紗耶香に尋ねる。
「……はあ、良かった。私の代わりに心春さんを助けてあげて。いい加減疲れたわ……」
紗耶香が力なく伝えるとすぐ、今度は心春も和音たちに気づいて呼びかけた。
「和音さん、若菜さん! この話を聞かない先輩を私から遠ざけてくださいっ!」
「あーっかずねちゃんたちまで名前で! 残りは私だけよっ」
「そんなに気にするなら他人の気持ちくらいもっと考えたらどうですか、もうっ」
「他人じゃないわ、みんな大切な仲間だもの——」
「どうでもいいでしょう今そこは!」
心春と菫の様子をしばらく見ていた和音と若菜も、そこでようやく話が理解できてきたらしい。その日心春から唯一名前で呼ばれていないことを強く不満がり、菫は心春にすがりつこうとしていた。
「紗耶香先輩がこんなに参るなんて相当……」
若菜は苦笑いしながらぽつりとひとり言をして菫を制し、解放された心春には和音が駆け寄った。その心春は肩で息をしながら、不機嫌そうな視線を菫に送っていた。
「心春ちゃん大丈夫?」
「す、すみません和音さん。でももううんざりです……何度言っても分からないんですから、菫先輩……」
助けられて気が抜けたのか、あれだけ渋っていた名前で呼んでしまった心春。菫は、それを聞き逃さなかった。
「あ! もしかして、今呼んでくれた!?」
「うるさいです! 呼んでも呼ばなくても結局変わらないんじゃないですか、宝条先輩はっ」
しかし心春からは何事もなかったかのように叫んで返され、流石の菫もひとまずは大人しくなったようだった。全員が落ち着きを取り戻し、若菜と紗耶香からはそろそろ練習を始めないかと提案が入ってきた。
そんな合唱同好会の面々を見守っていた人物が、この日はもう一人いた。
「みんな元気そうねえ。良いことだわ、ふふっ」
「は、はづき先輩!? いつからそこに——」
戸惑う菫に葉月は「大切な仲間がどうとか、その辺から」とにこやかに答え、五人を近くに呼び寄せて本題へ入る。
「早速なんだけど、貴方たちNコンに出場したいって話してたわよね? その件で学校側と相談していて、学校代表としてのフリー参加なら問題ないって許可が出たの」
「本当ですか!?」
真っ先に反応した和音と菫は喜びの声を上げた。それに対し、心春たち三人は静かに息を飲んでいた。
少し間を空けて、口を開いたのは若菜だった。
「あの、フリー参加って?」
元々合唱未経験者だったことから、大会の規定に関する知識がない若菜。心春もそれを察し、答えるように解説を始めた。
「Nコンは色々な規定を満たして参加することで初めて審査対象になるコンクールですが、もう少し自由な形態で参加できる枠もあります。それがフリー参加です。例えば、本来なら課題曲と自由曲を一曲ずつ演奏しますが、フリー参加なら課題曲だけ、自由曲だけといった参加のしかたができるわけです。地域によっては、フリー参加枠自体ないなんてこともありますが」
その説明に納得したようで、若菜はうんうんと頷いた。そこへ、葉月が申し訳なさそうに付け加える。
「こういう大会に参加する上では学校の代表として行ってもらうことになるのだけど、設立されて間もない同好会を代表として認めるのはやっぱりハードルが高いのよね……参加はしても良い、というのが出来る限りの譲歩になるみたい」
「不本意なのは確かですが、ここで言ってもどうにもなりません。ひとまず、本当にありがとうございました」
「何か疑問とか、気になることがあれば聞くけど……とりあえず大丈夫かしら。それじゃあ、申請書も忘れずにね。頑張って」
頭を下げる心春たちに激励の言葉をかけ、葉月は第二音楽室を後にした。それを見送り、いの一番に話を切り出したのは菫だ。
「同好会だから難しいだけで、来年なら部になっているでしょうしきっと大丈夫よ! みんな、がんばりましょっ」
「まあ……前向きに解釈するならそれもそうですね。皆さん、よろしくお願いします」
そうして五人は早速、参加のための要件を確認し始めた。
最初に決めるのは、演奏する曲。多くの合唱曲を知っている心春、菫、紗耶香の三人が順にスマートフォンで勧めたい曲を再生していく。その中で『夢から覚めても』という楽曲が流れた時、和音がうっとりした様子で呟いた。
「あ、この曲、好きかも……!」
再生した菫は、嬉しそうに笑みを浮かべて顔を近づける。
「うんうん! とっても良いわよね、私も今この曲が歌いたいなって」
「なんだか、歌詞がすごく胸を打ってくるっていうか……ゆったりした曲調ですけど、この歌声が力強いのも素敵で……」
一段と盛り上がる二人に心春たちも賛同し、全員一致で『夢から覚めても』に決定した。その後も一つ一つ要件を読み進めては決めていく五人だったが、それらを確認する中でふと和音が心配そうに呟いた。
「そういえば……伴奏って大丈夫なのかな。槇岡さんに、またやってもらえるってことで」
参加要件にいくつか記名の必要な箇所があり、中には伴奏者の名前も含まれていることから、いち早く話を通しておかなければならないと気づいた和音。その言葉を受けて、同好会の五人は再び一年C組の教室に向かった。
以前伴奏を請け負ってもらったるいがもしこの場にいなかったら、という不安もあったものの、幸いるいは教室に残っていた。喜び勇んで押しかける五人を前にして、るいはすぐ驚き身構えた。
「な、何なのこれ。ちょっと若菜っ」
「ああ……話があるみたいで」
嫌な予感を覚えて助けを求めたるいだったが、若菜は申し訳なさそうに視線を逸らす。代わりに、心春が前へ歩み出た。
「槇岡さん。私たち、今度Nコンに参加するんです。それで、改めて伴奏の協力をしていただけないかと」
「はあ?!」
「その、だめでしょうか」
せっかくの機会を逃してしまわないかと、流石に不安気な顔で訴える心春だったが、るいはそれでも静かに答えた。
「私……まだ怖いの。この間はそんなに大きいステージじゃなかったし、だから気にならなかった。だけど、Nコンなんて大舞台すぎるわ。もし、もしまた失敗したら——」
「るい……で、でもさ。そこはきっと——」
気後れした様子の幼馴染を、若菜も励まそうとした。しかし「きっと大丈夫」と言いかける間もなく、るいは同好会のメンバーを突き放した。
「私自身、一回切りのつもりで受けたわけだし。ごめんなさい、それじゃ」
「本当にそれで良いの?」
そこへ現れたのは弥生だった。るいは自分の歩みを止めさせて問いかける弥生に、ぎょっとした表情で返す。
「なっ、何よ。またこういうタイミングに限って……というか早く行きなさいよ部活にっ」
「いいのいいの間に合えば。幼馴染が自分の好きなことを出来るかどうかのほうが大事に決まってるし」
話題を逸らそうとするるいにもお構いなしの弥生。それに感化されてか、和音や若菜も再び口を開いた。
「うん……やっぱりやってほしい、あんなに素敵な演奏を聴いたんだから。最初にお願いした時も、この間のステージでも」
「そうだな。成功するかどうかの前に、るいの演奏が好きなんだ」
五人は揃って頭を下げてから、微笑んでみせた。そんな姿には、流石のるいも降参したようで、同好会のメンバーを見据えて応えた。
「ああもう! 他人事だと思ってっ」
「他人事じゃないよ。るいに付いてる人はたくさんいる、私だってその一人だから」
「分かったわよ、やるわよ」
るいの覚悟に同好会はまた沸き立った。弥生が一歩引いて見守る中、五人は思い思いに感謝を伝えていた。るいもまたそんな五人に向けて、ぎこちなくも嬉しそうな笑顔を見せた。




