18輪②
二日後。放課後を迎えて生徒たちが散り散りになった教室で、静かに荷物をまとめていた心春の元へ、和音と若菜は再び赴いた。
しかし心春は、和音たちから呼ばれそうになる間もなく二人を視界の端に捉えると、気づかないふりをして反対側の扉へ向かっていく。
「お、おいっ!」
またもや想定外の動きをされ、形振り構っていられないように叫ぶ若菜。教室の外から反対の出入口へと心春を追いかけるが、二人ともその姿を見失ってしまい、若菜の後に付いてきた和音も思わず頭を抱えた。
「あれ、ど、どこ!?」
「ああもう! またしてやられたのかっ——」
口走って項垂れそうになる寸前、若菜は視界の端で、自分たちが最初にいた出入口のほうから出ていこうとする心春を捉えた。目立たないように小走りで逃げようとする心春だったが、若菜はその後を追って逆方向へ同じように速歩きをして近づいていった。
「はあ……何です?」
策を弄したものの、呆気なく捕まった心春。その襟首を若菜は引っ張り、無言で歩き出した。
「ご、ごめんねっ」
和音は小さく呟くが、その声はどちらにも届かない。
「な、何をするんですっ」
心春が抵抗しようとも無反応のまま、目的の場所である第二音楽室へ着いた一行。その中からは、心春にとっても馴染のある曲が聞こえてきていた。心春はとうとう抵抗する手も止まり、自分の意志で足を踏み入れた。
一方で尚、四人に対する非難の念を抱えてもいた心春。そんな内心も露知らず、和音は無心で訴えた。
「園内さん! どうしても聴いてほしい曲があるのっ」
そんな和音からもふいと目を逸らした心春だったが、いざ四人が楽しげに歌い始めると顔色を変え、そちらを見据えていた。
そうして言葉を辿り、音を奏でていく姿は紛れもなく、心春が初めてこの曲に出会った時の高揚感と同種のものだった。
四人は曲をただ覚えていただけでなく、あの日ただ一回心春が聴かせた合唱編曲を仕上げていた。付け焼刃では一番しか歌詞を覚えられなかったようで、菫を皮切りに四人は苦笑いしてその場を繕ったが、然しもの心春もそれどころではなくなり、信じられないと言った表情で口を開いた。
「なんで……ど、どうやって合唱版を歌えるようになったんですか」
「あの時聴いたデモを、先輩たちが楽譜にしてくれたんだよ。だいたいは覚えてたから大丈夫って言ってくれたし、原曲も参考にして、ね」
「もしかしたら間違ってるところもあったかもしれないけど……大丈夫だったかしら?」
照れ臭そうに尋ねる菫だったが、ここに至って謙遜か、と当の心春は感じずにいられなかった。心春が耳にした限り、採譜上のミスは全くなかったのだから。
「それは、こっちの台詞です」
呟いた心春は、合唱には相応しくない曲だと評された件を引き摺っていたらしい。視線を向けられ、紗耶香は目を瞑ってはっきりと言い切った。
「……自分の拘りを貫き通すなら、誠実さは必要よ。持ってきた曲を知らない人が誰かいたら、今後はその曲についてもきちんと教え合うこと。偏見を持っていたのは……申し訳なかったわ、全うな理由もなく邪険にしたりはしないから」
頭を下げる紗耶香の答えは、紗耶香自身の言う誠実さの現れであり、それは心春も確かに悟っていたようだった。しかしその喜びを心春は押し殺して、無理矢理に遠い目を見せた。
「そこまでしてでも……私をリーダーに置いておきたいんですか」
「リーダーがどうとか、そんなの関係ないよ! 厳しいことを言ってても、それは園内さんが優しかったり、真剣だったりするからでしょ? そんな園内さんだから、私いつも楽しく歌えるんだよっ」
その肩を掴んで、誰よりも先に和音はそう訴えていた。若菜や菫も、それに同調して続く。
「同好会の一人として、ちゃんと胸を張って歌えるようになったこととか、色々恩があるのを忘れちゃいないよ。きつく当たってきたのだって、悲しい思いをさせちゃったからなんだろ? そういうの、見てないふりするほどバカじゃないさ」
「私にとっては、こはるちゃんが引っ張ってくれてこその合唱同好会なの。それが一番いいって思うのは、こはるちゃんの合唱経験、行動力、人柄、全部があったからよ。ね?」
菫はそう話し、隣にいた紗耶香へ視線を一度移す。表情こそ変わらないままだったが、その紗耶香も小さく頷いていた。四人の姿に、自身が歌いたい曲を聞かせた時、最初は何も知らないまま純粋な思いで入り込んでいった姿を思い出した心春は、潤み出した目を必死に閉じ、深く頭を下げた。
「皆さんがいいなら……これからも、よろしくお願いしたいです。私のほうこそ、一緒に歌わせてください」
すみませんでした、と言い足した心春には、今目の前に立つ仲間たちの言葉が、裏もなく本心から出たものであるとようやく心の底から理解したのだった。しばらくして少しだけ頭を上げ、おそるおそる目を開いていった心春は、合唱に対しての直向きさを後押しする笑顔に迎えられていた。
数週間後、五人は多くの子供たちが見つめる前で、様々な思いを込めて『piece of youth』を歌い上げていた。同好会の輪に戻った心春が先導する形で、一層研鑽を重ねてきた彼女たちは、保育園の一室で日々を過ごす園児のみならず、居合わせた大人たちをも唸らせる演奏を披露したのだった。
菫の伴奏に合わせ、あたたかな声を届ける五人。彼女たちの間には、それまで以上の結束と技術があった。
歌声が止まり、ピアノの音もなくなり、曲が終わると、割れんばかりの拍手がメンバーを包み込んでいった。その中で、同好会メンバーはそれぞれ口々に互いを称え合っていた。
「すっごく、よくできた……そんな気がするっ」
「ああ。練習の成果は、出し切れたと思う」
和音と若菜も、自らの自信を新たに出来たようだった。
「みんな、毎日よくがんばったものねっ」
「……ええ。この曲を歌い続けて、本当に良かった」
菫や紗耶香がそうしてこれまでの活動を思い返し、感慨に浸る傍らで、それでも全く満足する様子を見せない声が一つ。
「皆さん、まだまだですよ。こんなものじゃないはずです、曲の力も、皆さんの力も」
「えっ……!?」
心春の思いがけない言葉に、ステージの下まで聞こえかねない声を上げ、慌てて口を押さえる和音。
「『piece of youth』にしても、『風の声を聴きながら』にしても、もっとたくさんの人たちに届くべき曲なんです。私のその願いが叶うには、皆さんの力も必要です」
「つまり、もっとがんばれるってことね」
その言葉の意図するところを理解し、納得した様子の菫。対して心春は首を縦に振ると、全員を見据えた。
「皆さんがもっと上手くなれることは、私が保証します。ぜひこれからも力を貸してください」
「うん、もちろんっ」
「ありがとうございます。和音さん、若菜さん、菫先輩、紗耶香先輩」
心春が同好会に再び戻った日と異なり、今度は確固たる自負を伴って、自らの望みを伝えた。返事をする和音も、他のメンバーも、皆が心春に同意を返していた。そんな四人へ向け、心春は今一度感謝を口にしたのだった。




