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15輪①

 その日、いつものように第二音楽室の扉に手をかけた和音は、聴いたことのない曲が聴き慣れた声で歌われているのを耳にし、その手を止めた。

 数秒の後、ゆっくりと扉を開き声の主の名前を呼ぶ。

「――園内さん」

 返事はなく、依然として歌は続く。

「えっと……園内さん?」

 窓辺から外を覗く楽し気な背中に再び呼びかけると、

「あ、橋留さん。すみません」

 心春は振り向き、何事もなかったかのようにいつもの調子で応える。

「先輩たちは……」

「まだ来てないですね。中篠さんは?」

「若菜ちゃんは日直。じきに来るとは思うんだけど」

「なら良かったです」

「それで、あの……」

「何です?」

 お互いに疑問を持っている様子だが、至って冷静な心春とは対称的に頬を赤らめる和音。

「恥ずかしくないのかなって、園内さん」

「私、そんなことをしてたですか?」

「ああいや、そういうんじゃなくって……! 一人で歌ってるところを見られるのって、私はちょっと……」

 最後まで言葉にすることすら憚られるのか、口ごもる和音に心春はますます首をかしげる。

「別にそこまで顔を赤くしなくても。それにこの曲、良い曲だと思わないですか?」

「あ、うん! それは思う! 園内さんってたくさん知ってるよね、素敵な曲」

「そうでしょう。皆さんに聴かせたい曲なんて星の数ほどありますから」

「どこで知るの? そういう曲」

「そ、そうですね……。まあ、その話は追い追い」

 一人で口遊んでいるところを見られても動じなかったにもかかわらず、なんてことのない質問に顔色を変えて言葉を詰まらせ、はぐらかされてしまった。初めての発表後の活動だというのに、心春と仲良くなるきっかけを掴めないことにもどかしさを抱える和音だった。


 しばらくして五人が集まり、いざ練習を始めようという時だった。

「皆さん、少しいいですか」

 心春がそう呼びかけ注意を引いた。

「どうかしたの? こはるちゃん」

「実はですね、次の発表の機会について提案をしようかと」

「そうか、もう次か……」

「中篠さんはまだまだ大変かもしれませんが」

「それもそうだけど。感慨に耽る暇もないんだな、って。バスケ部の時は大会の後に打ち上げをすることもあったからさ」

 微笑んで少し遠くを見ながら話す若菜。そこに一抹の陰りがあることには誰も気付かなかった。

「打ち上げはともかく、感慨に耽るのと次の発表の練習を平行してやればよいかと」

「それは余計に大変だよ……」

 顔をしかめる若菜に対し、にやりと笑みを返す心春。そして、再び口を開く。

「話を戻しますが、この五人でNコンに出場してみたいと思っているです」

「……Nコン?」

「ほ、本当に?」

 Nコン。全国で予選が行われ、テレビや新聞で取り上げられることもあり、合唱をやっていない人々にもよく知られた大会である。そんな大会の名前を聞き、紗耶香が真っ先に驚きの反応を示し、菫がそれに続いた。

「先輩方の言いたいことは分かります。メンバーが五人しかいない一年目の同好会、勝ち進めるなんてことはほぼないと言っていいです。ですが、何事も経験だとは思わないですか」

 無言のまま無意識に手を震わせ、表情を引きつらせる和音。

「橋留さん、どうかしたんですか」

「いや、その、ちょっと……」

「怖いなら尚更やってみるべきかと」

「ううん……怖いとかじゃ、ないと思うんだけど」

「――じゃあ、それは武者震いですね」

「へ!?」

 予想外の言葉に気の抜けた声を上げる和音。その頬は僅かに緩んでいた。

「きっとそうに違いないです、橋留さんも本当は参加したいってことです!」

「ま、まあ……参加したくないって言えばそれは嘘になるけど……」

「では、これで同好会の会長と副会長が出てみたいと考えていることになりましたが――」

 待っていましたと言わんばかりに心春は話をまとめにかかる。そして、言い包められた和音に釣られるようにして、先程はやや後ろ向きであった若菜も「いい経験になるなら」と右往左往していた目を再び据えるのであった。

「――先輩方はいかがでしょう」

「分かったわ。せっかくだものね」

「……みんなが大丈夫なら、参加しない理由はないわ」

「決まりですね」

 それでは、と心春を中心に意気込み、改めて練習を始めようとするが、普段であればもう誰も来ないはずの第二音楽室の扉が開かれた。一際大きな音と共に。

「みんなー!」

「葉月先輩!?」

 葉月が珍しく扉の音にも劣らない声を上げたのも束の間、部屋に入ってきて一枚の紙を掲げた。

「合唱同好会――あなたたちに、歌ってほしいって話が……!」

 それは奮い立った同好会メンバーたちに尚又発破をかけるものだった。


「ぜひ!」

 即答したのは心春だった。誰より先に、依頼の話を続けようとした葉月よりも先に。他のメンバーの意見を聞くことすらなく。

「……ちょっと待って」

「本当の本当に……?」

 紗耶香は少し語気を強めて、菫は戸惑いの色を浮かべて、それぞれが反応を示した。しかしながら心春の意志が揺らぐ気配は全くない。

「発表の機会は多いほうがいいじゃないですか」

「……さっきも言ったでしょう、特に中篠さんは――」

 名前を挙げられて全員の注目を浴びた若菜。その顔は、まさしく開いた口が塞がらないといったところ。これには流石の心春も思うところがあるようで、口を閉ざして視線を窓へと移した。静まり返った第二音楽室に嫌な空気が流れる。

 それを断ち切ったのは菫だった。

「葉月先輩、引き受けるかどうかはともかく、まずはその依頼について詳しく教えてもらえますか?」

「そうね」

 葉月は一歩前に出て説明を始める。

 バラ園での合唱同好会の発表をとある親子連れが見ていたらしい。その子供が通っている保育園で発表について触れたところ、他の子供や保育士も見ていたことが分かり、地域交流も兼ねて合唱を披露してもらえないかと話が転がった――というのが合唱同好会に声がかかった経緯であると。

「それで、日取りはいつ頃になるんですか?」

 一通りの説明を受けたところで、うずうずしていた心春が背筋を伸ばして尋ねる。

「今月の終わりから、明けて七月の頭くらいでどうかって話になってるわ」

「Nコンは地区予選が八月一日ですし、それなら何も問題ないですね」

 心春は葉月の答えを聞くと胸を撫で下ろし、そう言い切った。

「……じゃなくて、だから中篠さんが」

 紗耶香も負けじと食い下がる。

「問題ないと思いますが。一ヶ月も間が空いてるんですよ」

「……間隔があっても、精神的に負担が――」

「――あ、あの、お願いだからストップ!」

 言い争う二人に横槍を入れたのは他ならぬ若菜であった。その声量に隣の和音が驚き、肩を震わせた。

「その、私も頑張るから」

「……本当に、大丈夫?」

「はい」

 気遣う紗耶香に答える若菜の声に覇気はなかった。

「……不安なことは私たちでよければ相談に乗るから」

 菫も言葉にこそしないものの、若菜の目を真っ直ぐに見て力強く頷く。

「そうです。私だって何も考えずに予定を詰め込もうとしているわけではないですし」

 心春の言葉に眉をしかめ、一段と複雑そうな面持ちになる紗耶香。それに気づいた和音がたまらず話を逸らす。

「――その、それで曲とかはどうするの?」

「Nコンの自由曲候補は既にいくつか用意してあります。依頼された発表に関しても、早めに曲を準備しておきますので」

「う、うん」

 想定内の質問に顔色一つ変えずに答える心春。話の進行を遅らせることができないと悟った和音は、せめてもの若菜の負担軽減へとシフトする。

「わ、私も、若菜ちゃんのためにできる限りのことはするから」

「ええ。同好会メンバー、みんながついてるわ」

「ありがとうございます……」

 菫も同調して励まそうとするが、若菜はぎこちない作り笑顔で答えることしかできなかった。

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