14輪②
受付を終えてしばらく声出しをした後、他の団体に続いてリハーサルを行った一同。心春曰く、確認したい事項が立ち位置や音響など多くあった中、各団体に割り当てられた時間はたった五分である関係上、その時間を使って実際に歌うことは難しいと判断された。そのため、本番の想定はほとんど出来ないも同然だった。
「け、結構幅あるね……」
和音の戸惑いを受け、心春は全員に言って聞かせていた。
「声量が半端だと、隣にさえ聞こえないなんてこともあり得ます」
「えっ……マイクもあるのに?」
「そうです。気後れせず声を出していきましょう」
少人数ではステージの上に広がる都合で、立ち位置も互いに離れざるを得ない。それは注目を浴びる怖さもさることながら、気づかないうちにリズムがずれたり、ハーモニーが綺麗でなくなったりする失敗にも繋がりかねない。スタンドマイクも設置されるが、気休め程度に考えておくべきである。そう説明され、和音たちの不安感や緊張感は助長されていた。
一度ステージを降り、声出しを再開しようかと話が進む中で、一番後ろをゆっくり歩く和音はふと他の団体に視線を向けていた。先生と思われる大人の引率の元、小学生たちが和気藹々と互いを励まし合ったり、冗談を言ったりして笑うその姿は、今の和音の目を引いたようだった。
「大丈夫か?」
そんな様子に気づいたのは、若菜と弥生だった。若菜は和音のほうへ振り向いて首を傾げ、その向こうからは弥生が覗き込んでいる。
「若菜ちゃん——三人は、とっても仲良しだよね」
「うんうん、そうだねえ」
和音の問いかけに、弥生は若菜より早く答えていた。
「何でお前が答えるんだよ」
「まあまあ——いつもだいたい私じゃん? こういうこと言うのって」
気安い二人のやり取りを前にして、和音は体を縮こめていた。
「三人も、先輩たちも……緊張してるんだよね。し、信じてないわけじゃないけど、私から見ると落ち着いてるなあって、そう思っちゃって」
顔が曇る和音に、答えあぐねる若菜。代わりに、弥生がまたずばり率直な言い方をした。
「幼馴染だからってこと?」
口籠ったが否定しない和音は、そうして気を紛らわせる相手がいるかどうかがやはり大きいのだろう、と考えていたようだ。決まりの悪さから伏目になっていた和音に、若菜はしばらく弥生と顔を見合わせてから、安心させられるような言葉をかけようと努めた。
「で、でも。園内さんだってそれは同じだろ」
「なら、私も早くああなりたいなあ……発表、もっとたくさんこなして」
和音はそう呟き、先にステージを降りて声出しの相談をしていた経験者たちを見た。すると、菫も和音のほうに目を向けてきた。三人の話は菫にも聞こえていたのか、その場から離れて和音たちのほうへやってくる。
「ふふっ、そんなに違うように見えた?」
「い、いえっ! そういうわけでは……!」
全員の緊張を否定するつもりはないとすぐさま否定する和音。その慌てた様子に笑顔を浮かべながら、菫は和音の手を取った。
「そう。みんな緊張するものなのよね、度合いは違うかもしれないけど。私は——一人だったらきっと、あの場には立てないくらいに」
「はっ、はい」
和音は菫に真っ直ぐ見据えられ、余計に体が強張った。しかし握られた手の震えが、同じようにプレッシャーを感じているのは事実なのだと、和音に対してもはっきりと訴えかけてきていた。
「私のこの緊張を柔らげてくれるのは、今ここにいるみんな。さやかだけじゃなくて、今日一緒にステージに上がってくれるみんななの。もちろん、かずねちゃんもよ」
菫が一点の曇りもない瞳で口にしたその言葉に、目を見開いた和音の肩からは力が抜けていく。硬くなっていた体と心は、ようやく少しほぐれたようだった。
一同が本番前の声出しを終えた時、その顔は皆緊張よりも意気込みに溢れていた。合唱で参加している四団体中、発表の順番は最後だが、昼休憩に入ってからも、他団体の発表が始まっても、落ち着きを失わずに時を待てる程となったのだった。
みんながいるから、私も頑張れる——発表本番の緊張感を最も抱え続けた和音も覚悟が出来た様子で、発表と発表の間にも他のメンバーと談笑する余裕が生まれていた。吹奏楽の部の前半が終わって合唱の部に移る頃、和音たちも舞台袖へ赴いた。自然と顔を見合わせた一同は、前の団体の演奏に耳を傾けながら、出番に備えた。
そして、迎えた本番。進行のアナウンスを受けて、一同はステージに上がっていった。客席に向かって右からソプラノ、メゾソプラノ、アルトと並び、アルトのやや後ろに伴奏と譜めくりの二人。事前の確認通り五人の距離は広く、実際に観客がいるのを見渡すと心細さは払い切れなかったが、それでも全員が一緒だという安心感は揺らがなかった。舞台上での準備が整ったのを確認した後、心春が前を向くと、ピアノが奏でられ始めた。
『そのひとがうたうときそのこえはとおくからくる
うずくまるひとりのとしよりのおもいでから
くちはてたたくさんのたいこのこだまから
あらそいあうこころとこころのすきまから
そのこえはくる』
歌声は練習通りに大きく、安定している。じっと聴けば隣からの声も分からないことはない。五人は伴奏だけでなく互いの声にもより集中した。
少なくとも、大きくしくじった箇所はない。全員が自信を持ち、次の曲へと移っていった。
曲が全て終わると、大きな拍手が響き渡った。息が整う前に揃って礼をし、浮つきを抑え切れない足取りで舞台袖にはけた瞬間、客席から「良かったねえ」といった声が全員の耳に届くと、互いに顔を見合わせて喜びを分かち合った。
「若菜ちゃん! 今の聞いた?」
「ああ……! とりあえずは、成功ってことで良いのかな」
和音と若菜が話し合っていると、心春は落ち着き払った声で大まかに講評を始めた。
「橋留さん……良くも悪くも少し気が緩みすぎましたね、もっと綺麗に合わせられた箇所も多かったはずです。中篠さんは音程もですが、歌声の固さがありました。先輩方は及第点ですかね、緊張感が残ってはいましたが」
「あ、あはは……」
手心のない評に、和音は思わずまた一段と力が抜けてしまっていた。しかし心春は、続けて口にした。
「初めての発表の場としては、上々といったところですかね。手伝ってくださったお二人もありがとうございました。上手く揃った部分は本当に良かったです」
こうして、合唱同好会最初の発表は幕を閉じた。全員が達成感に浸りながら客席へと戻る中、和音は自身が合唱にのめり込むきっかけとなった出来事を思い出していた。
「どうしたんですか橋留さん、にやにやして」
「そんなに楽しかったんだな。和音」
気づかないうちに心春と若菜から様子を見られていた和音だったが、あまり気にせずその思いを話し始めていた。
「にっ、にやにや? 中学の合唱コンクールで最優秀賞を取ったときも、こんな感じだったなって……思ってたんだけど、そこまでにやにやしてたかなあ」
「ええ」
「そんなに!?」
話題はまた異なる意味で落ち着きを失った和音の様子へと変わり、それ以上語ることは出来ずじまいになった。合唱を好きになった自分自身の過去や、共に合唱へと打ち込んだ中学時代の親友にまつわる話も、同好会の面々にいつか伝えることが出来る日が来るのだろうか——和音はそう考えながら、心春や若菜たちと舞台袖を後にした。




