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1輪②


◇ ◇ ◇


取り柄と呼べるほどの物でもない、それでも好きだと言える物。頭で考えるよりも先に、胸が高鳴って踊り出す物。ほんの些細なきっかけで巡り会った、掛け替えのない物。誰もが持つそんな数々の、その中の一つが、和音にとっての合唱だった。


 中学生だった頃の和音は、苦心の末に進路を決めた次の朝も、公園で合唱曲を口ずさんでいた。


 今と違うのは、その時間を共有する相手が、そこにもう一人いたことだ。

「あ、おはよう。唯ちゃんっ」

「和音!? おはよ、元気そうだね」

「うん。えへへ」

 立花唯。中学時代、和音と最も親しい間柄だった彼女は、朝の挨拶もそこそこに、はにかむ和音のほうへゆっくりと顔を近づけていた。

「なんか、どした? 本当に元気だねえ」

「高校、どうするかって話なんだけど。私が行けるところは、結局どこも合唱部がないみたいで」

「ええ―っ。どうするの、じゃあ?」

「大丈夫! ないなら作ればいいって、そう思ったからっ」

 胸を張って和音が口にした言葉を聞きながら、唯は動揺を隠せずにいた。

「和音……」

 複雑そうに唇を噛み締める唯も、それを見据える和音も、二人揃って考えていることは同じだった。

 学校行事の一つである、それ以上でもそれ以下でもない理由で、一年生ながら合唱コンク―ルに誰よりも真っ直ぐ取り組み、結果として最優秀賞を取った経験を持つ和音と唯。その過程で二人は合唱に魅了され、のめり込んでいくのだった。

 しかし、だからと言って、ずっと同じ道を歩めるとは限らない。和音はそのことを理解した上で、あえて自分のやり方で合唱を続けようと決めていた。和音は中学時代の最後にそう決意して、高校へと進学したのだ。

「今までたくさん歌ってきたよね、二人で一緒に」

「そう、だねえ」

「この時間は、別の高校に行くってなったら、ぐんと減っちゃうと思う。だけど、この時間がもしなくなったって、絶対に変わらないよ! 今まで一緒にいた大切な時間も、ずっと合唱を好きでいるってことも、好きになったときのこともっ」

「うん……和音の、言う通りだよ」

「だから、唯ちゃん! 私も絶対、高校で合唱やるから!」

「そうだね。学校は別々でも、一緒に頑張ろ―っ!」

 自らの意志を持ちつつも、他者の意思も尊重する優しさをみせる親友。そんな唯と、和音は固い約束を交わしていた。別の進路を選んだとしても好きな物に打ち込む、その約束が和音の勇気でもあり、原動力でもあるのだった。


◇ ◇ ◇


 そんな和音の目の前に今いる生徒――心春は、表向き決して威圧的などではないものの、そこに得体の知れない圧迫感を漂わせている。そんな心春に対して和音は苦手意識を持たざるを得なかった。

「あなた、好きな合唱曲は何ですか」

 しかし和音は、後退りそうになる足を踏み締め、答えを返す。

「え!? えっと……『COSMOS』かな……」

「ではもう一つ。あなたはどんな合唱を、どんな音楽を作りたいですか」

「み、みんなで、一つ一つのステ―ジを精一杯やっていけたら――」

 戸惑いながらも、和音は一息に言い切った。吃ったり、尻窄みになったりしないよう、無意識に気を張っていたのは、心春のこの強い圧に押し切られてはまずいと直感していたからなのだろう。

 その甲斐あってか、心春は納得したような顔を見せた。胸に手を当て目を伏せていた和音の肩を、ぽんと叩く。

「良い答えです。ただ、どんな合唱をしたいか、あまり具体的に決まっているわけでもないみたいですね」

「うっ……」

 図星を突かれて項垂れる和音に、心春は続けて告げた。届出用紙を出すその表情は得意気で、自信に満ち溢れていた。

「この紙に、名前を書いてください。私の下です」

「わ、わかった」

 部長欄が既に埋まっていたその紙へ、和音は言われるがままに記名する。そしてその用紙を返すと、心春は満足げにうんうんと頷いた。

「自己紹介がまだだったですね。私は園内心春、小さい春ではなく心に春ですからね。同好会ができた暁には、引っ張っていくのは私です」

「よっ、よろしくね。園内さんっ」

「はい」

 やっとの思いで絞り出された言葉に、心春はもう一度頷いて立ち去っていく。その後ろ姿を見ながら、和音はしばらくそこに立ち尽くしていた。

「――私も、が、頑張ろっ」

 初日から、予想外のことが数々起こった。けれど、クラスメイトとも仲良くやっていけそうだ。同じ志を持つ仲間もできた。和音はこれから三年間を過ごすこの場所で今日起こったことを思い返し、自分を勇気づけるように手をぎゅっと握り締めた。

 そうして、和音はふと窓から外を覗く。校舎の周りに植えられている桜の木々は、ちょうど蕾が一つ、また一つと膨らみ始めていた。自分自身のやりたいことへ向かっていく第一歩をその日踏み出した彼女は、それらと自分を重ね合わせ、この一歩一歩をこれからも大切にしていこうと心を新たにしたのだった。

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