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9輪②

 アルトの二人もやっとのことで音取りを終えた頃には、既に昼休憩の時間を迎えていた。五人は合流すると、全員でその時点の進捗を話し合い始めた。ソプラノ・メゾソプラノの三人はさほど不測の事態もなく、順調に進んでいるようだ。

「——こはるちゃん、本当に上手なのよね! メゾ一人ってパート分けをちょっと心配してたけど、気を抜くと私たちが圧倒されちゃいそうなくらいで」

「積み重ねが違いますから」

 練習中も心春の声に耳を傾ける余裕のあった菫は、自分のことのように楽しげな様子で語るが、心春は澄ました表情で気にしていなかった。そんな姿を見ながら、今度は紗耶香が話し出していく。

「……私たちは、もう少しペースを上げないといけないわね。私自身、教える側になるのはあまりなかったし……中篠さんも頑張っていて、その分上達しているのは確かだから」

「いえ、先輩が親身になってくれたおかげです。私が一番気合を入れないと」

 若菜はそう口にし、和音のほうをちらりと見やった。この曲を合わせて歌うのを誰より楽しみにしているのは和音だと、強く意識しているらしい。対して、その視線に気づいた和音も、無邪気な笑顔で返した。

「きっと大丈夫だよっ。お互い頑張ろうね!」

 すると、菫が何かを思い出したのか手を叩いた。

「そうそう、こはるちゃん。この『ひこうき雲』って曲、どのパートもラストに二音ずつあるんだけど」

「ああ、確かに……メゾは音を削らないといけないですね。今まで人数不足なんてことはなかったので、ちょっと不安ですが」

 そこでちょうど昼食を終えた紗耶香は、実際に音を確かめるのが良いだろうと提案した。心春も同時に食べ終え、ピアノの側へ向かっていく。

「……まずはそのまま弾いてみるわ」

 楽譜通りの音色、片方だけを鳴らした音色、もう片方の音色。紗耶香が試す三通りを聞き比べると、やや距離を置いて聞いていた三人もその違いをはっきりと感じ取った。

「こんなに印象変わるんだなあ、思ってた以上だよ」

 若菜が呟いて和音や菫と頷き合っているのを横目に、心春はしばらく考え込んだ後、自分のパートをどう歌うか決めたようだ。

「まあ、この音を削るのがいいですかね。まだ違和感は少ないでしょう」

 そうして、そろそろ練習を再開すると告げる心春。しかし菫は、相変わらずゆったりと食事を続けていた。

「あら、もう始めちゃうの? 大丈夫よ、まだ時間はあるから——」

「——マイペースすぎですか! そう言って初日も時間を食ったんですからっ」

 呆れ果てる心春と余裕を崩さない菫の間で、戸惑う和音と若菜。一方、紗耶香は涼しい顔で食事の後片付けを始めた。

「えっ、さやかまで」

「……園内さんのほうに理があるものね」

「では、次は発声練習をしますので、それについて説明していきますかね。パート決めの時にやった声を半音ずつ上げ下げしていく練習、八分音符でスタッカートの練習、それから四分音符で母音の発音練習を——」

 痺れを切らし、また紗耶香が加勢したことで、強引に話を進めようとする心春。それに対し菫も、そこまでされるとは予想だにしていなかったのか、遅れて慌て出すのだった。

「——わ、わあっ! ごめんなさい、私も早く準備するからあっ」


 五人全員が昼食を終えると、心春は菫に向けて大きな溜息を吐き、それから再度練習の説明をした。

「最初に、"ドレミファソファミレド"を半音ずつ上げたり下げたりしながらの発声練習です。これは半音と全音の間隔に慣れ、色々な調の”ドレミファソ”を歌えるようにするのが目的です。次は八分音符で、スタッカートの練習です。”ソソソソソファミレド”を”はははははへひほふ”と歌っていきます。ハ行の練習も兼ねているので、その点も意識してください。その後は母音の練習で、四分音符で同じ音を”あーえーいーおーうー”と伸ばすのを、半音ずつ上げながら繰り返します」

 心春曰く、発声練習には種類があり、それに応じて目的も様々。実際の練習メニューを聞きながら、メンバーは各々の知識と照らし合わせながら頷いた。その中で若菜は、やはり理解できない部分もあるようだったが、習うより慣れろだと考え、差し当たっては心春の話を止めずに聞き続けた。

 そしていざ実際に練習が始まると、四人とも難なくメニューをこなしていくが、心春はその分更に念入りに、合間を縫って全員へ声掛けをした。

「基礎を蔑ろにしては上達しません。気を抜かずに続けてください——特に中篠さん、声出しを意識しすぎて若干音程が怪しくなっていることはまだまだありますからね」

「あ、ああ。分かった」

 目立った指摘は時折若菜が受ける程度で、その若菜も発音の観点では特段の問題もなく進んだ。

 母音の練習が終わってからは、再びパートに分かれての練習となり、各自の課題を重点的に繰り返していく。

「……ごめんなさい。今のところ、もう一度やらせて」

 最も顕著な課題を抱える若菜に、要所で助言を行う紗耶香。彼女もまた、同時に自身の問題点を整理していた。初心者であるためか、それは若菜には気づけない箇所らしい。

「は、はい。先輩でも、気になるところってあるんですね」

「……もちろんよ。良くない部分は良くない部分だし、苦手は苦手……中篠さんも、練習を続けて音感がもっと伸びれば自分で気づけるようになるはず」

 合わせの前に直せればそれに越したことはないもの、と呟く紗耶香。その言葉に若菜は感銘を受け、再び練習に集中していった。

 そのうち若菜もハーモニーの感覚を掴み始め、アルトの伴奏なしで紗耶香がソプラノを歌っても徐々に釣られないようになっていく。一通り歌い切った後、若菜は不安気に尋ねた。

「ど、どうですか?」

「……ええ、これなら大丈夫だと思う……覚えておいて、今の感覚を」

「はい、ありがとうございます!」

 紗耶香の答えを聞いてようやく、若菜も安堵した様子。一方で、一息つけたのは若菜だけではなかったようだ。

「……しっかり成果が出てよかった。頑張ってくれてありがとう」

「いえ、ずっと丁寧に教えてもらえたおかげですっ」

 合わせても問題ない水準にはなっているだろう——その自信は、二人に心のゆとりを生んだ。若菜はその後の全体練習を想像し、また和音たち他メンバーの練習も上手くいっているだろうか、と思いを馳せていた。


 パート練習が終わり、いよいよ合わせの練習となった。

「……中篠さんもひとまず形にはなったわ。あとは……全員で歌って、さっきと同じことが出来るかどうか」

「こっちも準備はばっちりよ。かずねちゃんも、こはるちゃんもとってもいい仕上がりなのっ」

 紗耶香と菫が話しているところに、横槍を入れたのは心春。

「もっとよくなったはずなんですけどね……最後の最後で邪魔されなければ」

「も、もう、邪魔だなんて。ハグしただけじゃない、充分上手なのに根詰めてもしょうがないから」

「百歩譲って練習が足りているとしても、突然抱き付かれるのはただの罰ゲームですっ」

 二人の言い合いを見ながら、若菜は和音と共に苦笑いをしていた。とは言え若菜からすれば、経験者のメンバーはやはり紗耶香以外も皆先を行っているのだ、と改めて意識させる姿でもあった。

 その様が若菜に、再び気負いを与えていった。

「今回は歌うところを録音して、一旦全員で聞いてみましょう」

 心春がそう提案したのもあってか、余計に固くなってしまい、声が控えめになる若菜。一度通しで歌い終わるまで止められなかったことから、問題はなかったのかとどこかで甘く考えていた面もあったようだが、いざ録音を再生してみると、その楽観視は容易く打ち砕かれた。

「う……」

 思わず呻くような声を漏らす若菜に、もう一人同調したのは和音だった。

「や、やっぱり、ちょっと緊張しちゃうよね」

 気落ちする二人に、今度は心春が怪訝な視線を送る。

「中篠さんは気になる箇所が多いのも分かりますが、橋留さんもちょっと——」

「——う、うん。分かってる。思ってた通りに行かなかったとこは……自分が一番」

 伏目のまま語る和音。その肩を菫はそっと撫で、若菜にも笑顔を向けて励ました。

「大丈夫、私も最初はそうだった。だけどこの合宿で、みんなが出来ることを頑張ってきたって思う。それに、ちゃんと練習の分だけ上達したって、私知ってるわ」

 菫が頷くと、紗耶香も静かに口を開いた。

「……そうね。だから中篠さんも、自信をもって。失敗したとしてもそれは恥ずかしいことじゃない……誰かが間違ったら、他の人と一緒に直していける。それも……合唱の良いところだから」

「ええ。それにかずねちゃんなんて、最近までほとんど独学だったんでしょう? 私のほうがそのやる気を見習いたいくらいよ」

 そうして激励の言葉を受けた二人は、呼吸を整えながら再び気持ちを高めていった。

「は、はい。ありがとうございます……もう一回頑張ります、今の力を全部出し切れるようにっ」

「和音——そうだな、私も練習したことをやれるように」

 そんな様子を、表情を崩さずに眺めていた心春は、改めて録音を開始すると告げた。だが、和音と若菜からプレッシャーは少しずつ消えていったようだった。

 和音は臆することなく伸びやかな声で。若菜も声の出し方と音高の双方を意識して。全員が本来の実力を発揮出来た時、五つの声は混ざり、溶け合っていった。


 今度こそ上手く行った——歌い終えた瞬間、和音はそれを確信して四人全員を見渡した。すると、いの一番に答えたのは心春だった。

「綺麗に合わせられたようですね。もう一度聞いてみましょう」

 菫と紗耶香も頷き、その録音の再生が始まった。若菜だけはぼんやりと気が抜けた表情で耳を傾けていたが、その肩を和音が小突いた。

「これ、私たちが歌ったんだよ! 若菜ちゃんっ」

「あ、ああ……そっか。ちゃんと歌えたんだな」

「うんっ。このハーモニー、みんなに聞いてほしいなあ……」

 何の気なくそう呟いた和音に、食い気味に返したのは菫だ。

「そうだわ! それ、目標にしない?」

「同好会の、ですか。確かに悪くないですね」

 全員が納得できる目標に頷き、五人は自身の心にその目標を刻んだ。そして各々が得た大切な糧を胸に、合唱同好会が結成して最初のイベントとなる合宿は幕を下ろしたのだった。

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