8輪②
ボイストレーニング、ハーモニーの練習を経て、基礎練習の後は菫の提案通り、この日も同じパートで分かれた五人。その中で一際気合を入れ、練習に集中していたのが当の菫であった。
「先輩、すごく素敵ですね……今日の声」
「ふふっ。ありがとう」
ただただ圧倒され、直接そう伝えた若菜は言うに及ばず、最も経験の長い心春からしてもその力量には目を見張る物があるようで、一人早くから基礎練習を始めていたのではないか、とあり得ない想像をするほどだった。心春はその本気ぶりに対する驚愕と、普段もこれだけの力を出せればという若干の呆れが入り交じった様子で、練習を進めていた。
「『翼が欲しい』の部分がまた怪しくなってます、中篠さん」
「え、ああ。まだ安定しないってことかな。ハモりの練習じゃないから、釣られるわけもないし」
「宝条先輩は……調子がいいですね」
「私が、一番がんばる必要があるもの」
練習の時間をサプライズに当てようと言い出した張本人として、きちんと自覚はしているらしい。一方で心春は、菫がまた後に続けて何か言いたげだったことに気づいてもいた。
「それで、何か他にあるんですか?」
「準備のために、ちょっと抜けさせてもらいたくって……」
「全く、合わせた時にも出せるんでしょうね。ちゃんと今の声が」
多分に皮肉を込められた言葉の意図は伝わらず、菫は満面の笑みで頷いてその場を後にした。残された心春は不安そうに額へと手を当てたが、すぐに気を取り直すと練習の再開を告げた。
「仕方ないですが続けましょう。『翼が〜』からもう一度です」
「わ、分かった」
その後も二人は、菫の動向を頭の片隅で気にしながら練習を続けた。若菜の声が依然不安定である認識は心春にもあり、若菜は少なからず指摘を受けては、その箇所を入念に確認してもらいつつ歌っていく。そのうち、最初から最後までの通しが見えるようになり、一段落したと感じた心春が休憩にすると、若菜はすぐ抑えめの声で話しかけた。話題は当然、サプライズパーティだ。
「先輩、大丈夫かな」
「なるようになるものですよ、サプライズは。私は練習のほうも気になるんですが」
「ま、まあ、和音が喜んでくれればいいのは確かだけどさ——」
そこへ、別の声が話に混ざってきた。
「——私が、どうかしたの?」
「わっ!? い、いや、和音たちも合わせた時に喜んでくれるように、それくらいの練習をって」
不意を突かれ、慌ててその場を取り繕う若菜だったが、然しもの和音も何かが怪しいと感づきはしたようで、再び詰め寄ってくる。
「そっか……で、でも、じゃあ宝条先輩は?」
「ええと、予想以上に張り切っていて調子が良かったんですが、その反動というところですかね。しばらく休んでもらっていて——」
心春も一緒になって誤魔化すが、その時、部屋の外から人が走ってくる音と振動が、二人の元にも伝わってきていた。それが更に間の悪い出来事であると素早く察知した心春は、理由づけもいい加減に切り上げて室外へと駆け出していった。
「ね、ねえ若菜ちゃん……何か、私が聞いちゃいけないこと、あるのかなあ……一ノ瀬先輩も昨日より多く休憩入れて、すぐいなくなっちゃうし……」
心春の背中を追いかけた後、肩を落とし目を潤ませる和音。そのしゅんとした表情を目の当たりにし、若菜は弁明をしながらも居た堪れなさに苛まれていた。
「だ、大丈夫! 練習が終わってから、な?」
その後、合わせ練習になっても、和音は休憩に入る度、他メンバーの動向を変だと漏らしては、若菜を始めとしたメンバーたちがその場を繕って凌いでいた。その心労は四人それぞれにとって少なからず堪えるものだったようで、合宿二日目の活動を終えた心春の言葉からも、内心の消耗は確かに窺い知れた。
「では、今日はここまでです……色々ありましたが皆さんお疲れさまでした」
全くその通りだとへたり込みそうになる若菜を他所に、和音はこの機会を待っていたと言わんばかりの勢いで訊ねていた。
「せ、先輩! 今日しばらく練習から外れてたのって、何かあったんですか……!?」
問われた菫は、どう言えば良いものかと少し考え込んでから、全員を見渡しつつ答えた。
「そうねえ。説明するから、ちょっと場所を変えましょうか」
「えっ」
他の三人へ目配せする菫を、おどおどした眼差しで見る和音。練習を行う一室から離れ、菫が口にした目的の場所も知らされないまま廊下を歩く中で、顔からはなぜか血の気が引いていた。そんな和音に対して、いったい何を想像しているんだとからかいたくなるのを抑えながら、事情を知る若菜や心春もまた、その後ろを付いていく。
その発端となった菫はリビングの扉の前に着くと、扉を開け放って和音のほうを振り返ったのだった。
「お誕生日、おめでとう!」
「え——えええ!?」
全員で和音を囲み、口々に祝いの言葉が向けられる。その真ん中では、思いも寄らなかった事態を前にして間の抜けた声が響いていた。たくさんの壁飾りや、ピザやケーキが並ぶテーブルもまた、その驚きをより強めたようだ。
「ああよかった。一応、成功したのかな」
「……ごめんなさい、橋留さん。隠していて」
忍びなさに耐えかね、若菜と紗耶香は二言目には詫びの言葉を入れていた。一方で、その和音は全く問題にしていないようで、別の事柄に関心を見せた。
「私の誕生日を、どうして……?」
「Kreisのプロフィールだよ。宝条先輩が気づいて、みんなでお祝いしようって」
そこでようやく和音はこれまでの四人の言動が一つの線で繋がったのか、納得した表情を見せた。
「これだけ驚いてもらえるなら、サプライズに協力した甲斐があったと言うものです。何だかさっき、怯えていたのが嘘みたいですね」
「だ、だって、私だけ他にもっとやることがあるのかもって……昨日のテストとか、心当たりもあったから……」
心春に茶々を入れられ、大真面目な返しをする和音。それが余りにも愉快だったのか、呆れる心春の隣で若菜は思わず吹き出してしまっていた。
「私たちを何だと思ってるんですか……」
「ふふっ、まさかそんなこと考えてるなんてな」
照れ臭そうな、しかしそれ以上に嬉しそうな声で答える和音の表情は、少しずつその喜びを噛み締めるように緩んでいった。
「えへへ……皆さん、ありがとうございます……!!」
和音は同好会メンバーからの祝福を受けたことで、メンバーたちは和音の弾ける笑顔で。それぞれが、今後の活動へより真剣に打ち込んでいこうと感じたのだった。