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1輪①


 四月。雪が解けてきて、草木が顔を出し、桜の花びらがもうじき開こうという、始まりの季節。一人の少女が、晴れ渡る空の下、通学路の途中にある公園でひとり歌っていた。


 橋留和音。長い黒髪を横に編んでおり、良く言えばおっとりとした、悪く言えば垢抜けない女の子。彼女は今日から山形県にある三ヶ瀬高等学校に通う、高校一年生だ。

 和音が今奏でている旋律は、彼女の好きな歌でもあり、夢でもある。

「新しい季節、新しい場所、新しい出会い……」

 一頻り呟いたのち、彼女は身を奮い立たせた。

「よし……! 行かなくちゃ!」

 公園を出た彼女は、小走りに駆け出した。新しい出会いが待つ、その場所へ。



 三ヶ瀬高等学校、校舎一階。その廊下を、新しい制服に身を包んだ一人の生徒、橋留和音が駆け回っていた。もっと余裕を持って登校できていたら、という後悔を抱えながら。

「はぁ、はぁ、教室ってどこ……? あれ……どうしよう!」

 小中学校で一年生の教室が一階だったのだから、高校も同じだろう。そんな推測から自分の教室を探して回るうち、彼女は疲れて息を切らしていた。自分自身の目標の前に、友達が一人二人できるかどうかも不安な和音にとって、初日から教室へ時間通りに辿り着くことさえできないのは問題外だ。気が気でなくなっていた彼女が壁に寄り、呼吸を整えていると、その肩を背の高い女子生徒が後ろから叩いた。

「新入生の子……だよね? 一年生は三階だよ?」

「ええっ!? ありがとうございます、すみません……!」

 和音は、聞かされた事実に酷く狼狽えた。

 その場にいた三年生からは、入学おめでとう、もう迷子になるなよ、などと次々に声をかけられる。その間を、和音は頭を下げつつ通り抜けていった。

 階段を駆け上がり、その先の三階で、和音は廊下の天井近くを見上げる。教室側の壁際には確かに、一年A組、B組、C組……とプレ―トが連なっていた。

「ああよかったぁ……」

 一息ついたのも束の間、今度は足がもつれてしまう。ばたん、と大きな音を立てて床に倒れ込み、その拍子に鞄が放り出された。ため息が安堵から落胆に変わり、へこたれそうになっていた和音。そこに、また他の生徒が心配そうな様子で声をかけた。

「大丈夫か? ほら」

 長めの茶髪を緑のリボンで二つ結びにしているその生徒は、どうやら同じ新入生のようだった。生徒は後ろを振り返り、落ちていた鞄を拾い上げた。ぼんやりその背中を見つめていた和音がふと目を下にやると、上履きの踵部分には「中篠」と書かれている。

「あ、ありがとう。『なかじょう』さん? それとも『ちゅうじょう』……?」

「『なかしの』って読むんだ。中篠若菜、一年A組だよ」

「A組……同じクラスだ! わ、私、橋留和音っていうのっ」

 我に返った和音が立ち上がり、礼と自己紹介の言葉を口にすると、若菜もまた笑顔を作って答えた。

「そっか、よろしくな。鞄、中身は大丈夫か?」

「うん、大丈夫みたい」

 きっかけはどうあれ、クラスメイトと話せたことで心が軽くなった和音。自分より背が高い若菜の背中を追って教室に入り、教卓で自身の座席を確認すると、嬉しそうに若菜の元へと駆け寄った。

「な、中篠さん! 私たち、隣同士なんだね……!」

「本当か? これも何かの縁ってやつなのかな。あっ、それから呼び方。『若菜』で大丈夫だよ」

「うん! よろしくね、若菜ちゃんっ」

 クラスでも、部活動でも、自ら話しかけることはほとんどなく、内向的な中学時代を過ごしてきた和音にとって、それは彼女なりに振り絞った勇気が実を結んだ、最初の大切な出会いになった。


 ホ―ムル―ムの後、入学式が終わり、教室に戻ってきた和音は胸に迫る思いを抱えたまま、隣の若菜に話しかけていた。

「とっても素敵なお話だったね、生徒会長さん」

「そうだな。長いことお世話になってるけどすごいと思うよ、ああいう場でもよく話してて」

「えっ! 若菜ちゃん、会長さんと知り合いなの?」

 生徒会長の式辞が心に染み入っていた和音は、返ってきた言葉に驚いて思わず仰け反り、若菜のほうを向く。

「ああ。新入生代表の弥生っていただろ? あいつとはずっと一緒なんだけど、その弥生が今の会長の妹だから、姉妹揃って私とは幼馴染なんだ」

「そ、そうなんだっ。若菜ちゃんから見て、会長さんって話しやすい人?」

「うん? まあ、相談事とかなら親身になって聞いてくれるだろうけど。何かあるのか?」

 いかにも自分から話を切り出すのが苦手、といった様子でおどおどする和音。若菜はその顔を覗き込み、静かに答えを待った。

「私、部活を新しく作りたくって。ホ―ムル―ムの後で先生に相談したら、部活のことは生徒会が担当しているんだって。それで、こ、これから話しに行きたいと思ってて」

「部活か――和音が作りたい部って?」

「わっ私、合唱部が作りたいの! この学校には、今ないからっ」

 部活という単語を、和音が一段と声を張り上げて口にするのを聞いた瞬間、若菜は目を見開いた。

「合唱……」

「唯ちゃん――幼馴染の子と約束したんだ。一緒の高校じゃなくても、お互い合唱をやっていこうって」

 和音はこの場所で、合唱にかける思いがある。それまでとは対照的に、淀みなくのびのびと語られる思い。それに耳を傾けていた若菜も、和音の熱意を肌で感じ取った。

「そっか。頑張れよ和音、応援してる」

 つい、自分の手を貸したくなる子だ。若菜がそう感じ、生徒会長に臆する和音の背中を押すつもりで口にした言葉は、和音にとってその勇気だけでなく、部員を集める勧誘への意気込みをも高めていた。

「ありがとう! そっそれじゃあ、若菜ちゃんはどうかなっ」

「へっ、どうって」

「私と一緒に合唱部。ど、どう?」

 和音の無邪気な問いかけは、若菜からしてみると予想外な物だった。思い詰めた表情でしばらく考えた後、申し訳なさそうに溢した。

「う―ん、ごめん―一応考えておくけど、部活自体あんまり入ろうと思ってなくてさ。そこは期待しないでくれ」

「そう……で、でも! ありがとうっ」

「部員の勧誘とか、私にもできることは協力するよ。それからまずは、創部の届出だな」

「私も、が、がんばらなくちゃっ」

 若菜は再び和音の背中を押し、その言葉で和音もまた、恐る恐るではあったが、教室の外へと足を踏み出した。


 生徒会室の扉の前にやってきた和音は大きく深呼吸し、扉をノックした。

「し、失礼します!」

 内側からは反応が返ってこない。先ほどよりも声を張り、もう一度呼びかける。

「あっ、あの! すみません、一年A組、橋留和音です――」

 言い終わるのと同時に、勝手に扉が開いていく。姿を現したのは、入学式の壇上で和音が目にしたその人物だった。彼女は穏やかに微笑みながら、和音と同じように自己紹介をした。

「あら、お待たせしてごめんね。生徒会長の外城葉月って言います、入って入って」

「はっ初めまして! 式辞、とっても感動しましたっ」

「どうしたの? ふふっ。ありがとう」

 緊張して突然口走ったのを、少ししてから恥ずかしがり、赤くなった顔を覆う和音。入学式で登壇した時よりも、ずっと柔らかな口調で応対する葉月の手招きで入室しながら、もう一度息を整えていた。

「それで……えっと」

「大丈夫よ。ご用があるんでしょう、ゆっくり聞くから」

「はい。私、あの、新しく部活動を作りたいと思っていましてっ」

「分かったわ。今資料を出してくるわね」

 そう言われ、和音は肩を強張らせた。制約や条件があることは想定していたようだが、あえて書類を見せてもらうほどとは思わなかったらしい。

 促されてソファに座り、入学式と同じ畏まった姿勢で待っていると、しばらくして葉月は奥から戻ってきた。その手から一枚の紙を受け取り、和音は記載された文言に目を通していった。


 一通り読み終えた和音は目を丸くすると、葉月のほうを見上げた。

「あ、あの、部活動を作るって、大変なんですね……」

「大丈夫よ。基本的にメンバ―さえ集まれば、会議では承認されるわ。活動実績も――」

「いえ……部として活動するには、い、一年必要なんだ、と」

「そうねえ。その辺りはどこの高校も同じじゃないかしら。でも、基本は活動に支障もないと思うわよ?」

 葉月の一言で和音は気を取り直し、再び姿勢を正した。

「わっ、分かりました! とにかく、メンバ―を集めるところからかあ」

「頑張ってね。ちなみに橋留さん、何の部を作りたいの?」

「は、はい。私、合唱部のつもりだったんですけど、そうなるとまずは合唱同好会からってことになりますかね」

「合唱! 偶然ね。ついさっき、あなたと全く同じ用件で相談に来た子がいたわ」

「ほっ、本当ですか!?」

 いきなり、同じ目標の人と出会うなんて。思わぬ話を聞かされ、和音は期待と不安が入り混じった表情で立ち上がった。

「ええ。明るい髪色で、背丈は低めの子で。他に特徴、何かあったかしら。それから、名前は――」


 同じ目的を持つ新入生についての情報を手に入れた 和音は、葉月に深々と頭を下げた後、足早に生徒会室を出ていった。

 向かう先は一年C組、その生徒が所属するクラス。 もし既に下校していたらと不安になった和音は、ホ―ムル―ム前のようにまた躓きそうになりながらも、息を切らして教室のほうへ真っ直ぐに走っていく。

 その途中で、和音は一人の新入生とすれ違った。自分自身よりも低い身長で、ブロンドの髪の一部を黒い髪飾りでまとめ、目の色も明るく透き通っており、探している人物と特徴が一致していた。

 それから何より、その手にある紙は、生徒会室で自分自身が貰った物と同じ。和音は振り返り、意を決して通り過ぎていく新入生を呼び止めた。

「あっ、あの!」

「はい? 何か用ですか」

「も、もしかして、園内心春さん?」

 呼ばれた生徒のほうは警戒し、不信感を露にしている。流石に話しかけ方が悪かったかと冷静になり、和音からは続く言葉が出なくなった。

「なんで私の名前を知ってるんです?」

 顔を近づけて迫るその生徒に、和音は思わず口籠る。

「えっと……その」

「あ、もしかしてあなたも生徒会室に?」

 視線を落としたその生徒も、自分の手にある資料と同じ物を持っていたことに気づいたようだった。

「うん、会長さんから聞いて、それで。合唱部を作りたがってる人が、他にもいたって話を」

「ということは、あなたも合唱を?」

 誤解が解けたらしいと一安心し、和音は改めて声を張り上げる。そこには、彼女の中で残っていた勇気が全て込められていた。

「そうなの……だから、園内さん! いっ、いっしょに合唱、しませんかっ」

「ふむ」

 しかし、すぐには返事が来ず、和音は次第に落ち着きを失っていった。

「あっ私、自己紹介がまだだった! 一年A組の橋留和音って言って……」

「橋留さん。質問に答えてください」

「ひゃい!?」

 園内心春は、また和音をじっと見つめ、徐々に距離を詰めてきていた。なぜこうも詰め寄られているのだろう、と和音の混乱は更に強まっていく。

 どうしよう、怖い。内心で何度も繰り返す和音。その頭の中にはいつも、幼馴染との約束があった。そこにいない幼馴染へ助けを求めようとする脳裏に、合唱部を進学先で作ろうと決意した日の記憶が思い起こされた。

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