悩み
◇◆◇◆
イージス卿を護衛騎士に迎えてから、二ヶ月ほど経過した頃────私はある問題に頭を悩ませていた。
「ど、どうしよう……?もうすぐ────ジェラルドからの接触があるわ」
自室のソファに深く腰掛け、私はギュッと胸元を握り締める。
ここには私とルカ以外誰も居ないため、不安と恐怖を存分に吐き出した。
「そんなの無視すれば、いいんじゃねぇーの?」
「それは無理よ。だって、ジェラルドは────直接屋敷にやってくるんだから」
訪問そのものを無視することは出来ない。何かしらの対応が必要になるわ。
前回の記憶を呼び起こしつつ、私は白いクマのぬいぐるみを抱き締める。
こうすると、少し落ち着くから。
「直接屋敷に、ねぇ……来ても、公爵様に追い返されそうだけど」
『男なら尚更』と言い、ルカは小さく肩を竦めた。
何故そこまで警戒するのか、分からないのだろう。
「残念だけど、お父様は頼れないの……」
「何で?」
心底不思議そうに首を傾げるルカに対し、私はそっと眉尻を下げる。
「実はそのとき────お父様は遠征中なの。だから、屋敷に居なくて……前回は私自ら対応することになって屋敷に招き入れた、という経緯があるわ」
「なるほど」
納得したように頷くルカは、どこかスッキリした様子でこちらを見つめた。
「ベアトリスが何で第二皇子と恋に落ちたのか……出会いは何だったのかずっと疑問だったけど、そういうことか」
「え、ええ……まあ、そうね。前回はその訪問を機に、仲良くなって婚約したから」
意図せず過去の恋愛事情を話すことになり、私は少し口篭る。
危険人物にまんまと騙されて、殺されたことを思うと……なんだか、情けなくて。
『我ながら、危機管理能力が低すぎる……』と猛省していると、ルカが身を乗り出してきた。
「つまり、ジェラルドと接触しないようにしたいんだな?」
「ええ、出来れば」
まだ子供とはいえ、自分を殺した人物と会うのは勇気が要り……尻込みする。
『会わずに済むなら、それに越したことはない』と考える中、ルカはおもむろに身を起こした。
「分かった。何とかしてみる」
「えっ?出来るの?」
「ああ。と言っても、実際に行動するのは俺じゃないけどな」
『見ての通り、今は幽霊だから』と肩を竦め、ルカはふと窓の外に視線を向ける。
「ほら、前にも言っただろ?逆行するに当たって、力を合わせた奴らが居るって。そのうちの一人に、第二皇子と関わりのある奴が居てな……頼めば、何とかなると思う」
皇城のある方角をじっと見つめ、ルカはおもむろに前髪を掻き上げた。
かと思えば、窓辺にふよふよと近づいていく。
「てことで、ちょっくら行ってくるわ。直ぐに戻ってくるから、良い子にしとけよ〜」
ヒラヒラと手を振って窓を通り抜けると、ルカはあっという間に飛んでいってしまった。
相変わらず行動が早い彼を前に、私は『い、行ってらっしゃい……』と呟く。
────と、ここで部屋の扉をノックされた。
「ベアトリス、私だ」
お父様……!
声を聞いて直ぐに正体を見破った私は、慌ててソファから降りた。
白いクマのぬいぐるみを抱いたまま扉に駆け寄り、急いで開く。
すると、そこには案の定銀髪の美丈夫の姿があった。
「夜中に悪いな。少しいいか?話がある」
「は、はい。どうぞ」
即座に父を招き入れ、私は一先ず来客用のソファに案内した。
『ありがとう』と言って腰を下ろす彼の前で、私も定位置に座る。
未だにお父様と二人きりになるのは、慣れないわね。
でも、こうして会いに来てくれるのは凄く嬉しい。
程よい距離感と浮き立つような高揚感に見舞われ、私は僅かに頬を緩めた。
『この時間がずっと続けばいいのに』と願う中、父はおもむろに足を組む。
「もう夜も遅いから、単刀直入に言おう────明日から、遠征に行くことになった」
「えっ?」
衝撃のあまり固まる私は、まじまじと父の顔を見つめた。
前回の記憶から、そろそろかな?とは思っていたけど、まさかこんな急に……。
もっと事前に教えてくれるものだと思っていたため、私は上手く状況を……いや、感情を呑み込めない。
『遠征に行ってしまったら、月単位で会えなくなる……』と嘆いていると、父がふと目を伏せた。
「本当はもっと早く伝えるべきだったんだが……ベアトリスに寂しい思いをさせてしまうのかと思うと、なかなか言い出せなかった。すまない」
「い、いえ……そんな……謝らないで……くださ、い……」
努めて明るく振る舞い、私は胸の前で手を振る。
が、何故か父はショックを受けたような……驚いたような表情を浮かべていた。
よく分からない反応に戸惑っていると、彼は席を立ってこちらにやってくる。
そして────私の目元を優しく撫でた。
ここにてようやく、私は泣いていることに気づく。
ドレスに染み込んだ涙の跡を見つめ、僅かに目を見開いた。
嗚呼、そっか。私────寂しいんだ。
中身はもう大人なのに、こんなことで泣くなんて……情けない。
でも、マーフィー先生の一件からずっと傍に居てくれたお父様がどこかに行ってしまうのは凄く凄く悲しい……。
『行かないで』と思ってしまう。
余計なことを口走ってしまいそうな唇に手を当て、私はそっと眉尻を下げた。
ひたすら自分の気持ちを押し殺す中、父に抱き締められる。
「すまない、ベアトリス……出来るだけ、早く帰ってくる。ただ、最近魔物の動きが活発でな……例年より、時間を要するかもしれない」
「は、い……」
一番大事なのは父の安全のため、私は素直に首を縦に振った。
『早く帰ってきてほしい』という本音を隠す私の前で、父は優しく頭を撫でる。
「ユリウスを置いていくから、困ったことがあれば頼りなさい。あと、体調には充分気を遣うように」
「おと、さまも……」
「ああ」
とても穏やかな声で答え、父はトントンと一定のリズムで私の背中を叩いた。
そのせいか、一気に睡魔がやってきて……私は抗い切れずに意識を手放す。
────そして次に目を覚ました時には、父の姿がどこにもなかった。
「公爵様なら、今朝サンクチュエール騎士団を連れて遠征に行きましたよ!」
「そう……きちんとお見送りしたかったのだけど」
朝食のパンをちぎりながら、私は小さく肩を落とす。
前回に引き続き、今回も『行ってらっしゃい』って言えなかった。
せっかく、普通の親子関係に戻れたのに。
『寝過ごしちゃうなんて……』と項垂れる中、イージス卿はサンストーンの瞳をうんと細めた。
「お嬢様は本当に公爵様のことが大好きなんですね!」
「え、ええ……まあ、そうね」
改めて言うのはなんだか気恥ずかしくて、私は少し頬を紅潮させる。
────と、ここで昨日から席を外していたルカが戻ってきた。
「あっ、この気配……あの幽霊ですね!」
相も変わらず勘の鋭いイージス卿は、『おはようございます!』と元気よく挨拶する。
そんな彼を、ルカは面倒臭そうな目で見ていた。
「こいつ、マジで鬱陶しいな……何で気づくんだよ。本当に人間か?」
怪訝そうな表情でイージス卿を見つめ、ルカは大きく息を吐く。
と同時に、こちらを向いた。
「で、第二皇子の件なんだけど」
早速本題へ入ると、ルカはおもむろに前髪を掻き上げる。
「とりあえず、協力者に事情を話してきた。こっちに来れないよう……というか、城から出れないよう取り計らってくれるそうだ。だから、安心しろ」
『心配は要らない』と断言するルカに、私はホッと息を吐き出す。
目下の問題が片付いたことに心底安堵しながら、口パクで礼を言った。
さすがにイージス卿の前で、堂々と会話する訳にはいかなかったから。
「まあ、ここで大人しく公爵様の帰りでも待っとけよ」
────というルカの言葉に頷き、私は二ヶ月ほど穏やかな日々を過ごした。
講義などの予定もなかったため、久々にのんびりお昼寝したりティータイムしたりと一人の時間を満喫出来たと思う。
と言っても、傍にはいつもルカやイージス卿が居たけど。
早く、お父様に会いたいな……。
つい先日届いた父からの手紙を眺め、私は一つ息を吐く。
いつもより広く見える自室を見回し、ソファの背もたれに寄り掛かった。
────と、ここで部屋の扉をノックされる。
『昼食の準備が整ったのかしら?』と思いつつ入室の許可を出すと、扉の向こうからユリウスが姿を現した。
「ベアトリスお嬢様、失礼します」
そう言って優雅に一礼する彼は、珍しく焦った様子である。
『何があったんだろう?』と首を傾げる中、ユリウスは足早にこちらへ駆け寄ってきた。
「取り急ぎ、お伝えしたいことが……」
「何?」
まさか、討伐隊の方で何かあったのかしら?
『負傷』の二文字が脳裏を過ぎり、私は唇に力を入れた。
不安と恐怖でいっぱいになる私を前に、ユリウスは小さく深呼吸して口を開く。
「第二皇子ジェラルド・ロッソ・ルーチェ殿下が、来訪されました」