また十一年後
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「コレは俺が持っていく。だから────もう過去に囚われずに、お前の人生を歩め」
そう言って、ルカはジェラルドの頭上に翳した手をそっと持ち上げる。
まるで、何かを掴み取るような仕草をしながら。
「な、にを……」
パッと弾けて消えた光を前に、ジェラルドは地面に倒れた。
かと思えば、
「────お、まえは誰だ……?」
と、呟いて気を失う。
スースーと規則正しい寝息を立てる彼の前で、私はゆらゆらと瞳を揺らした。
ルカの身を案じながら。
グランツ殿下やタビアの様子から、きっと術者を誤魔化せる系統の魔法じゃない……。
もし、そうならここまで取り乱さない筈。
『どうにかしてルカを守れないか』と思案する中、父は地面に描かれた魔法陣をじっと眺めた。
「精神感応系の魔法、か……私も殿下も適性のない魔法属性だな。可能性があるとすれば、あのエルフだが……使えるなら、最初から使っている筈」
『よって、可能性は低い』と断言し、父は第三者の存在を確信。
イージス卿も、『幽霊という解釈は間違いだったみたいですね!』と述べている。
嗚呼……最悪だ。ルカの存在が逆行を知らない第三者に、ハッキリと認識されてしまった。それも、三人。
これでは、きっと世界から……。
「嫌……嫌!」
堪らず首を横に振り、私は頭を抱え込んだ。
不安と悲嘆でいっぱいになる私は、縋るような目をルカに向ける。
すると、彼はこちらを振り向いていつものように笑った。
────光の粒子となって消えていく体のことなど、気にせずに。
「そんな表情すんな、ベアトリス」
呆れたように肩を竦め、ルカはゆっくりと歩を進める。
「今生の別れって訳じゃ、ないんだからさ。十一年ほど、離れ離れになるだけだって。そんなのあっという間だぞ、きっと」
そんなことない……だって、ルカの居ない日々なんて、もう────想像出来ないもの。
いつの間にか大きくなっていたルカという存在に、我ながら衝撃を受ける。
付き合いそのものは一年にも満たないのに、こんなにも濃く深く自分の心に……人生に浸透していたなんて、思いもしなかった。
ギュッと胸元を握り締めて号泣する私に対し、ルカはフッと笑みを漏らす。
「俺だって、出来れば離れたくねぇーよ。でも、こうするのが最善なんだ」
「だ、だけど……ルカは元の世界に帰りたくないんでしょう?」
『私のせいでまた辛い思いをするのではないか』と悩み、唇を噛み締める。
自分にもっと力があればと悔やむ中、ルカは風魔法で軽く私のおでこを弾いた。
『いたっ……』と額を押さえる私の前で、彼はスッと目を細める。
「確かに元の世界へ帰るのは、極力避けたい。だけどな────好きな女が泣いているのに、自分の過去を憂いて尻込みするほど薄情じゃねぇーよ」
「!?」
反射的に顔を上げる私は、まじまじとルカを見つめた。
す、好きな女って……えっ?私?
いや、そんな筈……でも、この場には私しか女性が……。
否が応でも自分のことを言っているんだと分かり、私は頬を紅潮させた。
『な、ななななな……』と狼狽える私を前に、ルカはプッと吹き出す。
僅かに顔を赤くしながら。
「まあ、そういう訳だから俺はこの選択を後悔してねぇ。むしろ、誇っている。好きな女の力になれたんだからな。それに────このままベアトリスの傍に居たら、一生保護者枠に甘んじる結果となりそうだし」
『ある意味、いい機会だったかも』と零し、ルカは腰に手を当てる。
と同時に、グランツ殿下とタビアへ視線を向けた。
「とはいえ、お前らにはしっかり補填をしてもらうけどな」
「えっ?あっ、それはもちろん構わないけど」
「何を頼むつもりだ?」
「それは十一年後になったら、言うわ。そろそろ時間切れっぽいし」
『ゆっくり話している暇はない』と言い、ルカは自身の体を見下ろした。
いつの間にか胸辺りまで消えてなくなっている体に、彼はこちらへ向き直る。
「そんじゃ、また会おうぜ。俺のこと忘れんなよ」
明るく笑って挨拶を済ませ、ルカはとうとう────消えてしまった。
痕跡一つ残さずに。
「ルカ……」
先程まで確かにそこに存在していた青年を思い、私は涙を流す。
結局ルカには最後まで泣き顔ばかり見せていたな、と思いながら。
『情けない……』と己を叱咤する中、不意にイージス卿が顔を上げた。
「あの幽霊様はルカ様と言うんですね」
『ようやくお名前を聞けた』とはしゃぐ彼に対し、私はサァーッと青ざめる。
そ、そうだった……ここには、お父様やイージス卿も居て……なのに、私ったら普通にルカと会話を……いや、でもちゃんと挨拶はしておきたかったし……。
様々な葛藤が脳裏に渦巻き、私はゆらゆらと瞳を揺らす。
『これはかなり不味い状況なんじゃ……?』と思い悩む中、父は鞘に収まったままの聖剣を腰に差した。
「一先ず、撤収しよう」
────という提案により、私達は気絶したジェラルドを連れて皇城に帰還。
本来であれば、ハメット家に残して治療やら何やらやりたかったのだが、ジェラルドは重傷で屋敷も滅茶苦茶だったから。
何より、逃亡防止措置の結界がルカの帰郷により解けてしまったため、人目の多いところで監視するべきと判断したのだ。
「とりあえず、ジェラルドは結界で覆った離宮に隔離している。まあ、あの怪我ではしばらく目を覚まさないと思うけど」
『そこまで神経質になる必要はないだろう』と零しつつ、グランツ殿下は客室のソファに腰を下ろした。
と同時に、向かい側のソファへ腰掛ける私や父を見据える。
「それで、えっと……ルカのことだけど」
居心地悪そうに身を竦め、グランツ殿下は『どう説明したものか』と思い悩む。
すると、横に座るタビアが口を開いた。
「いっそのこと、全て話してしまった方がいい。こちらには、もう隠す理由などないのだから」
『これまではルカの存在を隠すために伏せていたが……』と言い、タビアはチラリとこちらを見た。
かと思えば、足元に居るバハル達へ視線を向ける。
「季節の管理者達もそれでいいか?」
「私達はベアトリス様のご意志を尊重するわ」
「個人的には、どちらでもいいからな」
「ウチらは知られて、困るようなことないしな」
「ベアトリス様にとって不都合がなければ、何でもいいの」
バハル、ベラーノ、エーセン、イベルンの四人は『ベアトリス様が決めて』と判断を委ねる。
その途端、部屋中の視線が私に集まった。
「ぁ……その……私は……」
父の膝の上で小さくなりながら、私はキュッと唇を引き結ぶ。
やっぱり、全てを明かすのはまだ抵抗があって。
『そもそも、信じてもらえるのか』という不安もあり、私は決断を躊躇う。
────と、ここで優しく頭を撫でられた。
「ベアトリス、言いたくないなら言わなくていい」
酷く穏やかな声色で逃げ道を示すのは、他の誰でもない父だった。
僅かに目元を和らげ、柔らかい雰囲気を醸し出す彼はうんと目を細める。
「嘘をついて誤魔化したって、構わない。私はベアトリスの言うことなら、全て信じて受け入れる」
『騙されてやる』と主張し、父はトントンと背中を叩いた。
「だから、安心しなさい」
「おと、さま……」
今までと変わらない愛情を見せる父に、私は目を見開く。
『怒ってないの……?』と困惑しつつ胸元を握り締め、肩から力を抜いた。
そうだ……お父様はいつだって、私のことを第一に考えてくれていた。
なら、きっと逆行なんて荒唐無稽な話をしても信じてくれる筈。
まあ、『逆行前のお父様は世界を崩壊寸前まで追いやりました』という言い分はなかなか受け入れてくれないかもしれないけど。
『私も未だに半信半疑だし……』と考えつつ、そろそろと顔を上げる。
「あの、私────正直に話します。話したい、です」




