天敵出現《ルカ side》
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さてと、後始末にでも行くか。
幸せそうに笑う銀髪の少女から目を逸らし、俺は常時展開していた浮遊魔法を解いた。
その途端、俺の体は床をすり抜け、落下していき────地下牢に行く着く。
と同時に、再び浮遊魔法を発動した。
ったく、この体は本当に不便だな。
魔法でサポートしないと、その場に留まることすら出来ないんだから。
まあ、こうして地下牢に楽々侵入出来たのは有り難いが。
『誰にも気づかれていないし』と考えつつ、俺は歩を進める。
────ベアトリスの元家庭教師マーフィーに会いに行くため。
ただの平民で大した後ろ盾もないから、報復の恐れはないと思うが……念には念を入れておくべきだろう。
何より────ガキに手を上げるような奴は、気に食わねぇ……。
眉間に皺を寄せる俺は牢屋を一つ一つ確認しながら、前へ進む。
途中何度か騎士とすれ違ったものの、気づかれることなく目的の人物に会えた。
手足を縛られ憔悴し切っている様子のマーフィーに、俺は冷めた目を向ける。
公爵様や騎士達にこってり絞られたのか、かなりボロボロだな。
ここまでキツくお灸を据えたってことは、もう二度とここから出す気がないのだろう。
だって、もし釈放する気があるなら多少なりとも身なりに気を遣う筈だから。
「なら、俺の出番はなさそうかも」
ここで一生管理してもらえるなら特に問題はないため、踵を返そうか迷う。
『本当は心神喪失状態に追い込もうとしていたんだけどなぁ』と肩を竦め、腰に手を当てた。
────と、ここでマーフィーがブツブツと何か呟く。
なんだ?上手く聞き取れなかったな。
何の気なしに身を屈め、俺はマーフィーの口元に耳を寄せた。
すると、
「あの卑しい者のせいで……あの卑しい者のせいで……あの卑しい者のせいで……あの卑しい者のせいで……あの卑しい者のせいで……」
と、逆恨みするマーフィーの声が聞こえた。
あまりにも理不尽な……狂っているとしか思えない言い分を振り翳す彼女に、俺は怒りを覚える。
『こうなったのは、お前のせいだろ』と毒づきながら。
「やっぱ、こいつにはもっと痛い目を見せるべきだな」
『今のままじゃ、全然足りない』と吐き捨て、俺はおもむろに手を翳した。
感情に流されるまま魔法を行使し、まず周囲に結界を張る。
と言っても、攻撃や侵入を防ぐものではなくただ音を遮断するだけ。
『騒がれたら、面倒だからな』と思いつつ、俺は両腕を組んだ。
自分に課せられた制限を考えながら、どのように痛めつけるか決める。
「物理は公爵様に任せて────俺は精神をすり減らすとするか」
そう言うが早いか、俺は魔法で風を作り出した。
ヒューヒューと笛のような音を響かせ、少しばかり出力を絞る。
『もっと人間の声に近い音階へ……』と試行錯誤する中、
「ひっ……!?何!?」
と、マーフィーが身を強ばらせた。
キョロキョロと辺りを見回し、震え上がる彼女は両腕を強く握り締める。
よしよし、いい感じに怖がっているな。
しめしめと頬を緩め、俺は更に風を操った。
そして、ようやく────
『己の……非を……認め……られぬ……愚か者、よ……死を……もって……償え……』
────と、人間の言葉を発することが出来る。
声色が無機質になってしまったため、人間味はないものの……それが逆に恐怖心を駆り立てたらしく、マーフィーは頭を抱えて蹲った。
「嗚呼……!違うんです、神様……!私は……!」
いい感じに声の主を勘違いし、マーフィーは一心不乱に首を横に振る。
「申し訳ございません……!申し訳ございません……!申し訳ございません……!」
まるで念仏のように謝罪の言葉を繰り返し、マーフィーはガンガンと勢いよく頭を床に打ち付けた。
単なる土下座では、許しを貰えないと判断したのだろう。
もしくは、完全に気が触れたか……。
「私が間違っておりました……!奥様を敬愛するあまり、あのような蛮行を……!お許しください!」
『許しを……乞う……相手が……違う……だが……貴様の……気持ちは……分かった……』
さすがにこれ以上追い詰めると、精神を病みそうなのでここら辺で手打ちとする。
無論、マーフィーの態度によっては更にお灸を据えることになるが。
『まあ、当分の間は反省するだろ』と結論づけ、俺は再び風を動かす。
『今後の……行いに……期待……しよう……ただし……次は……ない……』
「はい……はい!必ず心を入れ替えます!公爵様の罰も全て受け入れ、一生をかけてベアトリスお嬢様に償います!」
首振り人形の如くコクコクと頷くマーフィーに、俺は一つ息を吐く。
『最初から、そのくらい従順で居ろよ』と呆れながら。
「変なところでプライドを保とうとするから、こうなるんだっつーの」
溜め息交じりにそう零し、俺はパチンッと指を鳴らした。
その瞬間、マーフィーは気絶し、周囲に張った結界も解ける。
『とりあえず、これで後処理は完璧だな』と肩の力を抜き、俺は踵を返した。
そして、ベアトリスの警護に戻ろうと浮遊魔法の効力を強める中────
「何者だ……!?」
────曲がり角から、オレンジ髪の青年が飛び出してくる。
青の騎士服を身に纏う彼は、剣先をこちらに突きつけた。
それも、俺の喉元を正確に。
まさか、俺が見えているのか……?いや、そんな筈……!
困惑気味に目を白黒させ、俺は数歩後ろに下がる。
そんなことをしなくても、体質上怪我を負うことはないのだが……恐れが先に出た。
『一体、こいつは何者なんだ?』と警戒する俺の前で、青年はパチパチと瞬きを繰り返す。
「あ、あれ……?おかしいな。さっき、確かに妙な気配を感じたんだけど……」
『俺の気のせい?』と首を傾げ、サンストーンの瞳に困惑を滲ませた。
かと思えば、引き抜いた剣を鞘に収め、キョロキョロと辺りを見回す。
なんだ、ただの野生の勘か。
『ビビって損した〜』と肩の力を抜き、俺は一つ息を吐く。
「極稀にめちゃくちゃ勘の鋭いやつが、居るんだよなぁ……まあ、ここまでハッキリと俺の存在を認知出来たのは、こいつが初めてだけど」
『抜刀するくらいだから、かなり確信を持っていた筈』と推測し、俺は小さく頭を振った。
こいつには、極力近づかないでおこう。
今回はたまたまと割り切れても、何度か気配を感じ取ればおかしいと思う筈。
────と判断し、疎遠を決意したのだが……
「本日付けでベアトリスお嬢様の護衛騎士に任命されました、イージス・ブリッツ・モントです!よろしくお願いします!」
俺の思惑とは裏腹に、例の騎士が姿を現した。
とても、人懐っこい笑みを浮かべながら。
また使用人に虐げられるような事態を防ぐため、こういう手段に出たのか。
まあ、確かに公爵家の騎士は優秀だし、忠誠心の厚い奴ばかりだから信用出来る。
けど、何でよりによってこいつなんだ……。
逆行してから僅か十日で高い壁にぶち当たり、俺は頭を抱え込む。
『前途多難にも程があるだろ……』と項垂れていると、ベアトリスはおもむろに席を立った。
新しく宛てがわれた部屋でイージスと向かい合い、柔らかい笑みを浮かべる。
「こちらこそ、よろしくね。仲良くしてくれると、嬉しいわ」
「はい!」
大きく頷いて返事するイージスは、キラキラと目を輝かせた。
『お嬢様の護衛騎士になれて光栄です!』と声を張り上げ、浮き立つ。
まるで犬のように落ち着きのない彼に、ベアトリスは頬を緩めた。
きっと比較的年の近いやつが現れて、喜んでいるのだろう。
と言っても、五歳以上離れているが。
でも、他の騎士に比べたら若い方だし、見るからに社交的……というか、人懐っこいので仲良く出来る筈。
問題は────
「あの、お嬢様。つかぬ事をお聞きしますが、他に誰か居ます?なんか、妙な気配を感じるんですが……」
────この勘のよさだよな……。
大きく息を吐いて項垂れる俺は、すっかり途方に暮れる。
『なんか、この前感じたやつと似ているなぁ』と零すイージスを見ながら。
「悪い、ベアトリス……何とか誤魔化してくれ。多分、その妙な気配って俺のことだ」
「えっ!?」
ギョッとしたように目を見開くベアトリスは、俺とイージスを交互に見やり困惑する。
が、何とか平静を保った。
『頑張らなきゃ!』と己を奮い立たせ、ギュッと手を握り締める。
「えーっと……き、気のせいじゃないかしら?」
「恐らく、違います。今だって、そっちから凄い気配が……」
俺の方をチラリと見て、イージスは剣の柄に手を掛ける。
と同時に、一歩前へ出た。
何かあっても、直ぐにベアトリスを庇えるよう近づいたのだろう。
仕事熱心で何よりだが、警戒される側としてはちょっと複雑だ。
『俺はベアトリスの味方なんだよ……』と項垂れる中、彼女は必死に知恵を絞る。
「う、う〜ん……あっ、そうだわ!それって、我が家を守っている幽霊じゃないかしら!?ほら、ウチの屋敷って修繕こそしているけど、結構古いでしょう!?」
『幽霊の一つや二つ居着いていてもおかしくない!』と主張するベアトリスに、俺は肩を落とす。
いや、いくらなんでもそんな言葉で誤魔化せる訳……
「なるほど!そういうことでしたか!」
あったわ。全然誤魔化せたわ。
単純としか言いようがないイージスに、俺は遠い目をした。
『こんなにあっさり解決していいのかよ……』と拍子抜けし、一つ息を吐く。
────と、ここでイージスが騎士の礼を取った。俺に対して。
「公爵家に住まう幽霊様、先日は大変失礼しました!これから、よろしくお願いします!」
害はないと判断したのか、イージスは警戒を解き元気よく挨拶した。
無邪気に笑う彼の前で、ベアトリスはホッとしたように肩の力を抜く。
「えっと……とりあえず、お茶にしましょう。イージス卿のことをもっと教えてちょうだい。せっかくだから、仲良くなりたいの」
早く幽霊の話題から離れたいようで、ベアトリスはテラスへ俺達を促した。