溺愛
「とりあえず、話は分かった。こっちで対応するから、ベアトリスはさっさと寝ろ」
『まだ夜の十一時だぞ』と言い、ルカは横になるよう促す。
正直全く眠気なんてなかったが、反論出来る余地はなさそうで……私は言われた通り、寝転がった。
すると、上からシーツを掛けられる。
「んじゃ、おやすみ。また明日な」
「え、ええ。おやすみなさい」
────という挨拶を交わしたのが、つい数時間前……私は華やかなドレスに身を包み、父と食卓を囲んでいた。
見たこともないような豪勢な料理を前に、私は困惑する。
きっと、これが貴族令嬢の日常なんだろうが……ずっとパンとスープだけで生きてきたため、どうも慣れなかった。
「お、お父様……」
「なんだ?」
「あの、自分で食べられます」
口元まで運ばれたサラダを前に、私は苦笑する。
こうも子供扱いされると、なんだか照れ臭くて。
『一応、中身は十八歳なのよね……』と悶々とする中、父は少し残念そうにフォークを下げた。
「そうか……」
「あっ、でもお父様に食べさせてもらった方が美味しく感じます」
「そうか」
思わずフォローを入れると、父は直ぐさまフォークを持ち直す。
再び差し出されたサラダを前に、私は素直に口を開いた。
そのままパクッとサラダを食べ、モグモグと咀嚼する。
「ベアトリスは何をしていても、愛らしいな」
「公爵様、親バカも大概にしてください……」
堪らずといった様子で横から口を挟み、ユリウスは頭を振った。
かと思えば、こちらに目を向ける。
ユリウスとは前回も含めてあまり関わってこなかったから、よく知らないのよね。
ただ凄く優秀で、お父様に絶対的忠誠を誓っていることくらい……。
『彼も私の出生について、不満を持っているのだろうか』と不安を抱く中、ユリウスはニッコリと微笑んだ。
「ベアトリスお嬢様、後ほど新しい使用人の紹介と、お部屋にご案内しますので楽しみにしていてくださいね。あと、今日は商会を呼んでいますから欲しいものがあれば仰ってください」
拍子抜けするほど好意的に接してくるユリウスは、これでもかというほど愛想を振り撒く。
悪意や敵意など微塵も感じさせない穏やかな瞳を前に、私はホッと息を吐いた。
「ええ、ありがとう」
「いえいえ、仕事ですから」
「でも、私のせいで大変だったでしょう?」
『手間や時間が掛かった筈だ』と主張する私に、ユリウス────ではなく、父が反応を示す。
「ベアトリスのせいではない。身の程を弁えず、出しゃばった愚か者共のせいだ」
「そうですよ、お嬢様。それにこうなったのは、屋敷の管理を怠った我々のせいでもありますし」
『ある意味、自業自得です』と語るユリウスに、迷いはなかった。
「それより今日は本当に忙しくなりますから、しっかり食べて体力をつけてください」
────というユリウスの忠告は、実に正しかった。
だって、本当に目の回るような忙しさだから。
食後のティータイムが終わるなり、父の寝室の隣……新しい部屋へ連れて行かれた。
そこで可愛らしく飾り立てられた室内を案内され、唖然とする……暇もなく、即使用人の紹介へ。
昨日の今日で集めたとは思えないエリート揃いの人材に、私は一瞬目眩を覚えた。
『皇城のお勤め経験がある方まで居るの……?』と気後れするものの……こんなのまだ序の口。
「────バレンシュタイン公爵様、ご令嬢。本日はフィアンマ商会をご利用いただき、ありがとうございます。会長のジャーマ・フラム・フィアンマです」
荷馬車を引き連れて現れた茶髪の男性は、ニコニコと機嫌よく笑う。
と同時に、ホールへ運んできた商品を手で示した。
「ご令嬢のドレスや玩具をご所望とのことでしたので、我が商会にある女性向けアイテムを全て持ってきました。どうでしょう?」
「ドレスはあるだけくれ。ただ、既製品を着せるのは少し抵抗があるから、五十着ほど新しく仕立てるように」
「畏まりました!では、後日デザイナーをこちらに送りますね!」
「ああ。あと、玩具関係は全て寄越せ。宝石は────」
当事者たる私を置いて、父はフィアンマ会長とあれこれ話し合う。
惜しまずお金を使っているからか、会長の機嫌はかなり良かった。
凄く活き活きしているように見える。
「このままだと、持ってきた商品全部お買い上げになりそうだなぁ」
いつの間にか横に立っていたルカは、呆れたような……感心したような表情を浮かべた。
『すげぇ〜』と呟く彼を前に、私はただひたすら遠い目をする。
愛情の裏返しかと思うと、嬉しいけど……でも、ちょっと心臓に悪いわね。
自分のためだけに、ここまでの大金が動くんだから。
しかも、記念日でもない普通の日に。
『前回やった婚約式でも、ここまで使わなかった』と辟易する中、私はふとある商品に目を引かれた。
「……お父様みたい」
箱の上に置かれた白いクマのぬいぐるみへ手を伸ばし、私は表情を和らげる。
すると、こちらの様子に気づいた父が歩み寄ってきた。
「気に入ったか?」
無表情ながらもどことなく穏やかな雰囲気を漂わせ、父は私の頭を撫でる。
嘘を言う必要もないので素直に『はい』と頷くと、彼は目元を和らげた。
「そうか。なら────このクマの独占権を貰うとしよう」
「えっ……?」
思わぬ発言に心底驚き、私はクマのぬいぐるみに触れたまま固まる。
『そんなこと出来るの?』と目を白黒させる中、父は後ろを振り返った。
「フィアンマ会長、このクマはまだどこにも売ってないか?」
「は、はい……なにせ、発売前の商品ですから。今日はご令嬢のために特別に持ってきたんです」
「そうか。なら、回収の必要はなさそうだな」
『手間が省けて良かった』とでも言うように頷き、父はおもむろに腕を組んだ。
「では、このクマの独占権をくれ」
「えっと……」
「無論、タダでとは言わない。快く応じてくれるなら、毎年十万ゴールド支払おう」
「そういうことでしたら、喜んで!」
ギュッと両手を握り締め、フィアンマ会長は即決した。
ホクホク顔で契約書を作成し、父と話を詰めていく。
当事者である筈の私は、完全に蚊帳の外だった。
でも、このクマさんを独り占め出来るのはちょっと嬉しい。
抱っこ出来そうなサイズのぬいぐるみを見つめ、私はスッと目を細めた。