母方の実家《ジェラルド side》
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────時は少し遡り、僻地へ逃亡した翌日。
僕は人が足を踏み入れないような森の奥地で、ひたすら体を休めていた。
が、一晩経っても体力や魔力はあまり回復していない。
「やはり、テントも防寒具もない状態では色々と厳しいか……」
『横腹に負った傷もまだ完治していないし』と悩み、僕はおもむろに立ち上がる。
唯一の救いは暖かい季節であることだね。
これがもし、秋や冬だったら確実に詰んでいた。
低体温症や食料不足になることを考え、僕は『まだ運がいい方か』と肩を竦める。
と同時に、風魔法で木の実をいくつか採った。
ソレを口元に運びつつ、僕は今後のことについて思考を巡らせる。
出来ることなら、どこかに身を寄せたいな。
せめて、屋根のある場所で眠りたい。
でも、あまり街の方へ行くと皇室に見つかるかもしれないし……。
などと考えていると────頭に冷たい何かが当たった。
かと思えば、ザーッと雨音が鳴り響き、僕の体を濡らす。
「このタイミングで、雨か……しかも、これは直ぐに止みそうもないな」
やれやれと頭を振りつつ、僕は一先ず結界で雨風を凌いだ。
ついでに火炎魔法で結界内の温度を調整し、体が冷えないようにする。
どうする……?いつまでも、結界や温度を維持する訳にはいかないぞ。
一晩経って多少体力や魔力は回復したけど、それでも全快には程遠いから。
「……いっそ、どこかの街や村を占拠してしばらくそこで過ごそうか。いや、それだと皇室に居場所が……」
『間違いなく速攻でバレる』と嘆息し、僕は頭を悩ませた。
風魔法も駆使して体を乾かしながら、遠目に見える大きな屋敷へ視線を移す。
と同時に、気づいた。
「そうだ、ここは────ハメット侯爵家の領地だ」
母方の実家が治める土地であることを思い出し、僕は自嘲にも似た笑みを零す。
『何の因果だ、これは……』と肩を竦め、自身の手首に刻んだ魔法陣を見た。
当初の予定では、帝国の最南端に行く予定だった。
あそこが一番皇室から遠く、僕との関係性も薄いため。
でも、一度目の転移魔法が失敗に終わり、残りの魔力量を考えて行き先を変更したのだ。
その上で、重要だったのは移動距離と魔法陣に書き加える文字。
前者はさておき、後者のせいでかなり候補を絞られた。
というのも、体に直接書き込んでいる都合上、一部の文字を消してまた書き直すのは不可能だったため。
あのとき、出来たのはあくまで文字を付け足すことだけ。
なので、『ここから南方向に〇〇キロ転移したら、△△の領地だ』なんていちいち考えている暇はなかった。
『時間的に一から書くのは、不可能だったしな』と考えつつ、僕は服の袖で傷跡を隠す。
「あの女が生まれ育った場所というのは気に食わないけど────ハメット侯爵家、利用出来るな」
ゆるりと口角を上げ、僕は赤い瞳に愉悦を滲ませる。
『ここに来て、ある意味正解だったかもしれない』と思いながら、幻影魔法で姿を隠した。
と同時に、ふわりと宙へ舞い上がり、ハメット侯爵家の屋敷まで飛んでいく。
そして、執務室のベランダへ降り立つと、仕事中のハメット侯爵にそっと近づいた。
不要となった幻影魔法を解除しながら。
「どうも、お久しぶりです」
空中に浮いたまま背後から話し掛け、僕はハメット侯爵の首に手を掛ける。
素早く室内へ結界を展開する僕の前で、侯爵はビクッと体を震わせた。
「な、何者だ……」
「おや?孫の声をもうお忘れになったんですか?」
皇帝に引き取られた際、一度だけ顔を合わせたことがあるため、僕は『忘れっぽいですね』と笑う。
だって、こちらは当時のことをよく覚えているから。
確か、開口一番『ルーナの仕出かした罪を贖うためにも、大人しく陛下の言うことを聞いておけ』と言われたんだよね。
多分、侯爵は皇帝を怒らせて駆け落ちの件を世間に広められるのが怖かったんだと思う。
家門の名誉を地に落とすような醜聞だから。
なので、皇帝の機嫌を損ねないよう僕を生贄として差し出した。
自分達は何も関知しないから好きにしていい、と。
『全ての責任を僕に押し付けたんだ』と思い返す中、ハメット侯爵は必死にこちらへ視線を向ける。
「ま、孫だと?ウチの息子達にまだ子供なんて……って、まさか────ルーナの子供か!?」
今の今まで僕の存在なぞ忘れていたようで、ハメット侯爵は心底驚いたように目を剥く。
『何故、お前がここに!?』と戸惑う彼を前に、僕はニッコリ微笑んだ。
「ようやく思い出しましたか。完全に忘れ去られたかと思って、少し焦りましたよ」
『今は身分を証明するものなんて、持ってないので』と肩を竦め、僕はスッと目を細める。
と同時に、軽く首を掴んだ。
すると、ハメット侯爵は僅かに身を強ばらせる。
「な、何が目的だ……」
「この家です」
間髪容れずにそう答えると、ハメット侯爵は眉間に皺を寄せる。
「なんだと……?」
「皇帝になるには、ハメット侯爵が必要なんです。だから、譲ってください────家督を」
『僕が当主になる』と告げ、紙とペンを風魔法で引き寄せた。
「僕も一応貴方の血を引いていますし、侯爵となる資格はありますよね?だから……」
「ふざけるな!お前のようなやつが、当主だと!?そんなもの認められるか!」
『ルーナの子供というだけでも忌々しいのに!』と喚き、ハメット侯爵はこちらを振り返った。
今にも殴り掛かってきそうな勢いの彼に対し、僕はスッと目を細める。
……別に喜んで賛成してもらえるとは微塵も思ってなかったけど、ここまで嫌悪感を剥き出しにされると腹が立つな。
『僕だって、あの女の実家になんて関わりたくなかった』と考えつつ、空いている方の手で水魔法を展開した。
すると、ハメット侯爵の顔周辺に水の塊が現れ、呼吸を奪う。
風魔法も駆使してしっかり位置を固定しているため重力に従って落ちることはなく、また液体のため掴んで移動させることも叶わなかった。
「っ……!」
ハメット侯爵は充血した目でこちらを睨みつけ、必死に『やめろ!』と訴え掛けてくる。
とても被害者の態度とは思えないが、こちらとしても彼に今死なれては困るため適当なところで魔法を解いた。
その瞬間、水は床へ零れ落ち、カーペットに大きなシミを作る。
「お、お前……!」
ケホケホと咳き込みながらも抗議の声を上げるハメット侯爵に、僕は小さく笑った。
「あまり僕を怒らせないでくださいね。さっきの水責めはあくまで警告です。言うことを聞かなかったら始末するぞ、という」
「……」
さすがに命は惜しいのか、ハメット侯爵はあからさまな敵意や害意を引っ込める。
悶々とした様子で眉を顰める彼に、僕は『案外お利口さんですね』と述べた。
「それから既にお気づきでしょうが、ここには音を遮断する結界が張ってあります。つまり、大声で叫んで助けを呼ぶのは不可能。なので、くれぐれも……くれぐれも、僕の言う通りにしてくださいね」
首を掴む手に力を込め、僕はこれでもかというほど危機感を煽った。
すると、ハメット侯爵は素直に首を縦に振る。
まあ、内心はどうにかしてこの状況を打破しようと画策しているだろうが。
『そうそう従順にはならないよね』と肩を竦め、僕は引き寄せた紙とペンを目の前に並べる。
「では、話を元に戻しますね。僕をハメット侯爵家の当主にしてください」
「……て、手続きには時間が掛かる。紙切れ一枚で完結するほど、簡単では……」
「この期に及んで、嘘をつくとは感心しませんね」
空いている方の手でハメット侯爵の頬を摘むと、彼は口から前歯を零した。
『なっ……なっ!?』と震え上がる彼を前に、僕は小さく笑う。
「何も知らない子供だと思って、侮らないでください。いくら僕でも、爵位継承の手続きくらい知っています」




