皇帝の罪《エルピス side》
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愛するルーナに恋人の存在を明かされ、結婚の話を白紙に戻すよう要請された翌日。
余は仕事もほとんど手につかないような状態で、放心していた。
侯爵の口ぶりでは、余との結婚を喜んでいるようだったが……実際は違ったのだな。
しかも、恋人まで居たなんて……いや、あれほど愛らしい女性なら居てもおかしくないが。
それでも、やはりショックだ。
執務室で一人黄昏れる余は、ぼんやり天井を眺める。
と同時に、そっと眉尻を下げた。
視察の際訪れた街でたまたまルーナを見かけてからというもの、ずっとずっと彼女のことだけ想ってきた。
どうしても、あの笑顔が……希望に満ち溢れた目が、忘れられなくて。
彼女を余のものに出来たら、と願ってきた。
「そのために皇后を説得して、ルーナの身元も調べて、色々準備してきたんだが……所詮、余の独りよがりだったか」
『皇帝からの求婚なら、喜んで応じてくれる筈』という驕りが、全くなかったとは言えない。
だが、ここまで拒絶されるのは完全に予想外だった。
今すぐ仲良し夫婦になるのは無理でも、少しずつ距離を縮めていけたらと思っていた。
でも、現状それは難しい。
結婚を白紙に戻すよう、要請されたくらいだからな……まあ、嘘をついて断ってしまったが。
実際問題、余から離婚や婚約破棄を申し出れば白紙に戻すことは可能だった。
というのも、今回の結婚に政治的意図はあまり含まれていなかったから。
まあ、侯爵は皇妃の実家という立場を利用して、色々得を得るつもりだろうが。
でも、どちらかと言うとこの結婚は余のワガママで決まったもの。
実行するも、中止するも余の気分次第だった。
「はぁ……そのことを知られたら、余はより一層ルーナに嫌われるだろうな」
『頭が痛い……』とボヤきつつ、余は額に手を当てる。
最低なことをしている自覚はあった。
でも、他の男に渡すくらいなら嫌われてもいいから傍に居たかった。
謂わば、これは余の意地だ。悪足掻きとも言う。
「全く……我ながら、情けない男だ」
────と、己を嘲笑った翌月。
余は自害を考えているほど追い詰められているルーナを解放し、皇妃失踪の隠蔽工作に走った。
なので、彼女の実情は皇后やハメット侯爵など極々少数の者しか知らない。
とはいえ、どこから情報が漏れるか分からない以上、彼女のことは戸籍上だけでも殺すべきだった。
でも、そうしなかったのは────いつか、ルーナが戻ってきてくれることを信じていたから。
「子供を使うなど、決して褒められた行いではないが……親としての責任を足枷にすれば、もう死のうなどと思わない筈」
ルーナと共に空けたワインボトルを眺め、余はスッと目を細める。
と同時に、包帯の巻かれた自身の手首を一瞥した。
ルーナに飲ませたのは、皇室に代々伝わる秘薬 ────妊娠薬を混ぜたワイン。
その名の通り子供を孕む魔法薬で、主に皇帝側が不妊の際処方される。
というのも、男性の血液と掛け合わせて使うと、その遺伝子を持つ男児を妊娠出来るから。
血筋を重んじる皇族ならではのものである。
ちなみに子供を産むことの出来ない男性が飲んでも、意味はない。
あくまで効力を発揮するのは、女性のみ。
なので、余は気にせずワインを飲んだのだ。
『まあ、それでもちょっと緊張はしたが』と考えつつ、余は暦を見る。
今から約十月後に余とルーナの子供は生まれるのか、と思いながら。
「……頼むから、子供と一緒に余のところへ戻ってきてくれ」
────と、心の底から願うものの……待てど暮らせど、ルーナは帰ってこない。
子供だけこちらに送るということさえ、しなかった。
『もしや、あの恋人と上手くやっているのか?』と疑念を抱く中、更に時間は過ぎていき……やがて、五年もの歳月が流れた。
────と、ここで辺境に怪物が出たとの知らせを聞き、余は騎士団を派遣。
すると、それと入れ替わるように現地で剣を振るっていたバレンシュタイン公爵が皇城へやってきた。
確か、公爵はたまたま辺境に来ていて誰よりも早く事態の収拾へ乗り出していたんだったな。
それなのに、何故いきなり謁見を?
まさか、報酬の話でもしに来たのか?いや、この男はそんなものに興味なんてない筈……。
相変わらず何を考えているのか読めない銀髪の美丈夫に、余は内心頭を捻る。
が、どうせそのうち分かることなのでいちいち悩むのはやめた。
「して、何の用だ?」
応接室まで招いた公爵を見据え、余は用件を尋ねる。
すると、公爵はチラリと周囲の方を見てからこちらにメモを手渡した。
「?」
『周囲に聞かれたくない話なのか?』と困惑しつつ、余は一先ず折り畳まれたメモを広げる。
と同時に、驚愕した。
何故なら、真っ先に『ルーナ皇妃殿下』という文字を発見してしまったから。
こやつ、ルーナと出会ったのか!?もし、そうなら彼女は今……!
最悪の可能性を考えてサァーッと青ざめ、余はなかなかメモの内容を確認出来なかった。
でも、このままでは埒が明かないため意を決して文章に目を通す。
『怪物が居た辺境の森にて、ルーナ皇妃殿下と思しき遺体を発見。また、その子供と思しき男児を保護』
……当たってほしくなかった予感が、当たったな。
『なんてことだ……』と項垂れ、余は手にしたメモで目元を覆った。
どこをどんな風に見たって、内容は変わらないというのに。
息が詰まるような……胸が苦しくなるような衝動を覚えつつ、余は大きく息を吐いた。
「……その二つは今、どこに?」
「帝都にある公爵家の別邸に」
『片道十五分ほどです』と補足する公爵に、余はコクリと頷いた。
と同時に、席を立つ。
「では、一度確認させてくれ」
────と、頼んだ数時間後。
お忍びでバレンシュタイン公爵家所有の建物へ足を運んだ余は、泣き崩れた。
柔らかいベッドの上で眠る女性の遺体は、間違いなくルーナだったから。
記憶の彼女より、多少痩せ細ったように見えるが……あの可憐さは未だ健在のまま。
「嗚呼、ルーナ……」
死後数日にも拘わらずもう腐敗している彼女の遺体に、余はクシャリと顔を歪める。
ルーナという存在を少しずつ奪われているような気がして。
『頼むから、連れて行かないでくれ……』と願う中、コンコンコンッと部屋の扉をノックされる。
「……なんだ?」
今は感傷に浸りたい気分なので少しぶっきらぼうに対応すると、ハッと息を呑む音が聞こえた。
「す、すみません……僕の本当のお父さんが来たって聞いて、会いに来たんですが……お邪魔みたいなので、出直します」
『ごめんなさい』と謝る声は、酷く幼くて……余は慌てて身を起こした。
と同時に、部屋の扉を開け放ち、まだ近くに居たその子供を見る。
余と同じ金髪に、ルーナそっくりの赤い瞳……間違いない、この子は────
「────余とルーナの子だ!」
そう言うが早いか、余は困惑している様子の子供を抱き締めた。
五年越しにようやく会えた感動を噛み締め、涙を流す。
「よく生きて、ここまで……そなただけでも、余のところへ帰ってきてくれて本当に良かった……」
心の底から我が子の生還を喜び、余は少し体を離す。
ルーナによく似たその顔をじっと眺め、僅かに表情を和らげた。
「これからは余の元で、そなたの面倒を見よう。いきなり皇族として生きるのは難しいかもしれないが、こちらで最大限サポートする。だから────」
そこで一度言葉を切ると、余は少年に手を差し伸べた。
「────余と一緒に皇城へ帰ってほしい」
どうしても嫌なら、ルーナと一緒に死んだことにして自由な生き方を選ばせるつもりだ。
でも、安全面からしても皇子としての人生を送った方がいいだろう。
まあ、決めるのはあくまでこの子次第だが……。
『承諾してくれるといいな……』と少し弱気になる中、少年はニッコリ笑って余の手を取る。
「はい、よろしくお願いします」
────その返事を聞いてから、余はひたすらジェラルドを守るために奔走した。
少しでも、この子を幸せにしたくて……。
そうしなければ、ルーナに顔向け出来なかった。
ジェラルドは決して五年間の出来事を話そうとしないが、きっと要らぬ苦労を掛けてきた筈……。
手足に夥しい注射の痕や切りつけられた時の傷が、残っていたから……。
それに頑として、自分の名前を言おうとしなかった。
だから、出生届に書いた名前を一先ず使っている。
さすがに我が子を『そなた』や『少年』と呼び続けるのは、抵抗があるため。
「これからはジェラルド・ロッソ・ルーチェとして、幸せな人生を手に入れられるといいが」
『そのためなら、協力は惜しまない』と胸に誓い、余は強く手を握り締めた。




