ジェラルドの過去を知って
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おもむろに本を閉じたグランツ殿下は、今にも泣きそうな顔で歯を食いしばった。
かと思えば、片手で自身の顔を覆う。
「まさか、そんなことが……」
やるせないという感情を前面に出し、グランツ殿下はじっと足元を見つめた。
どことなく思い詰めた様子の彼を前に、私はルカと顔を見合わせる。
「一体、どんなことが書かれていたのかしら……?」
「さあな。でも、気持ちのいい話じゃないことは確かだ」
『じゃなきゃ、こんな風にならない』と断言し、ルカは難しい顔つきで腕を組む。
────と、ここでグランツ殿下が顔を上げた。
「すまない……少し取り乱してしまった」
『驚かせたね』と愛想笑いを浮かべ、グランツ殿下は何とか取り繕おうとする。
でも、無理をしているのは丸分かりだった。
『殿下がそれほどショックを受けるなんて……』とたじろぐ中、彼は真っ直ぐにこちらを見据える。
「それで、ルーナ皇妃殿下の日記の内容についてだけど……君達も知っておいた方がいいと思う」
「魔物に関する記述でもありましたか?」
僅かに目を見開いて尋ねる父に、グランツ殿下は小さく頷く。
「ああ、それらしいものはあった。でも、それ以上に……ジェラルドの過去が克明に記されてあった。公爵からすれば必要のない情報かもしれないが、知ることで何か気づきを得るかもしれない。だから、一緒に知ってほしい」
『ルーナ皇妃殿下は見られることを想定して、この日記を残したみたいだし』と言い、グランツ殿下は表情を引き締める。
確かな意志と覚悟を持って接してくる彼に対し、父はスッと目を細めた。
「分かりました。殿下がそこまで仰られるのなら、共に毒を呑みましょう」
「ありがとう。じゃあ、口頭で内容を説明するね」
私やルカにも知ってもらうためか、グランツ殿下はそう申し出た。
再び本を開いて文面へ視線を落とし、ずっと謎に包まれていた五年間を詳らかにしていく。
話が進むにつれ、この場に居る者達の顔色はどんどん悪くなっていき……やがて、先程のグランツ殿下のように表情を険しくした。
「────ということなんだ。それでここからは私の憶測になるけど、ルーナ皇妃殿下の言う『怪物』は恐らく魔物のことだと思う。だから……魔物を生み出していたのは、多分ジェラルドで……」
グッと本を握り締め、悲痛の面持ちで俯くグランツ殿下は強く唇を噛み締めた。
こちらの想定以上に、ジェラルドと魔物の縁が深く……どうやって、この事実を受け止めればいいのか分からないのだろう。
『はぁ……』と深い溜め息を零す彼の前で、父はおもむろに後ろを振り返った。
「そろそろ日も暮れますし、引き返しましょう」
『ここに居ても、これ以上の収穫はない』と主張し、父は先導を切る形で歩き出す。
すると、グランツ殿下やバハルもゆっくりと踵を返した。
そのまま馬車のところまで戻ってきた私達は、行きと同じ席順で乗り込み、辺境を去る。
そして、公爵家へ着く頃にはもう深夜0時を回っていた。
「ベアトリス、今日は食事と入浴だけ済ませて早く寝なさい。夜更かしは体に悪い」
「はい、お父様」
コクリと頷いて父の腕から降りると、私は別館の侍女達に付き添われて部屋へ戻った。
『グランツ殿下とお父様はこれから話し合いみたいね』と考えつつ、私はさっさと寝る準備を終える。
満を持してベッドへ横になり、目を瞑るものの……やはり、眠れない。
気づけば、ジェラルドのことばかり考えている。
だって、今なら────彼の気持ちを理解出来るような気が、したから。
ジェラルドにとって、愛や恋に縋り付く私はきっとみっともなく……ううん、醜く見えたんだと思う。
自分を長年苦しめてきた親の愛情が、親同士の恋心が、親との思い出が呼び起こされて……。
その証拠に、ジェラルドは私を殺すとき『愛だの恋だのくだらない』と言っていた。
『君を見ていると、無性に腹が立つ』とも……。
当時のことを思い返し、私はなんだかとても悲しい気持ちになった。
以前まではこの記憶を呼び起こす度、恐怖と不安でいっぱいになっていたのに……今はそれよりも同情が勝る。
『一度は愛した人だから、かな……』と思案しながら、私はそっと眉尻を下げた。
「ジェラルドが私を殺した本当の理由は……その根底にあるものは、“自分の嫌悪しているものが一生ついて回る人生”から解放されること」
『自分を長年苦しめてきたものから、遠ざかりたい』という思いは、痛いほど理解出来る。
私も逆行前、ジェラルドの手を取ったときは……未来の皇后になることを決意したときは、同じ心境だったから。
とにかく、家から出たい……逃げたいって、思っていた。
『もちろん、彼を愛していたからというのもあるけど』と思いつつ、私は天井に向かって手を伸ばした。
すると、黒髪の男性が顔を覗き込んでくる。
あら?ルカがどうして、ここに?グランツ殿下達の話し合いに同席した筈じゃ……?
『もしかして、もうお開きになったのか』と困惑する中、ルカは人差し指で何かを弾くような動作をした。
その途端、私の額に僅かな衝撃が走る。
まるで、おでこを指で弾かれたような痛みだ。
「な、何……?」
思わず声を上げると、ルカは心底呆れた様子で肩を竦めた。
「バーカ、何許しそうになってんだよ」
「えっ?」
「その顔にバッチリ書いてあんぜ。『ジェラルドにも事情があったんだ、なら仕方ない』って」
「!?」
ハッとして大きく目を見開く私は、自身の胸元に手を添え心境の変化を悟る。
『無意識のうちに恐怖や不安を呑み込もうとしていた……』と愕然とする中、ルカはスッと目を細めた。
「確かにあいつの生い立ちは、可哀想だ。情状酌量の余地くらいは、あるかもしんねぇ。でも、それだけだ」
キッパリとした口調でそう言い放ち、ルカは少しばかり顔を近づけてきた。
かと思えば、私の額あたりを指さす。
「いいか?お前はあくまで被害者。あいつにとっての加害者は親であり、お前じゃない。だから、その事情を汲んでやる必要はどこにもないんだ」
“許さない”ことによる罪悪感や後ろめたさを解消するように、ルカは『それとこれは違う』と諭した。
大きく息を呑む私の前で、彼はおもむろに体を起こす。
「ベアトリスはもっと、自分の嫌だったことや悲しかったことに目を向けるべきだ。自分の痛みより他人の痛みに共感するのは、やめろ。そっちを優先するな」
『自分中心に考えろ』と言い聞かせ、ルカは自身の腰に手を当てた。
と同時に、大きく肩を竦める。
「他人のお涙ちょうだいエピソードなんて、『へぇー。そうですかー。それは大変でしたねー』くらいの温度感で流せばいいんだよ。所詮、他人事なんだから」
『そこまで真剣に取り合う必要はない』と主張し、ルカはフッと笑う。
どこか呆れたような……でも、こちらを思っていることが分かる笑みに、私は肩の力を抜いた。
「ありがとう、ルカ。おかげで、少し冷静になれたわ。ちょっと、ジェラルドの過去に共感し過ぎたみたい」
『もっと自分を強く持たなきゃ』と危機感を抱きつつ、私は表情を和らげる。
すると、ルカはガシガシと頭を搔きながらそっぽを向いた。
「分かればいいんだよ、分かれば」
そう言うが早いか、ルカは風魔法でベッドのシーツを浮かせ、私の上に被せる。
「そういう訳で、余計なことは考えずさっさと寝ろ」
『また魔法で寝かせるぞ』と半ば脅し、ルカは両腕を組んだ。
相変わらずぶっきらぼうで……でも凄く優しい彼を前に、私は『ふふっ』と小さく笑う。
「ルカって、なんだか母親みたいね。私のお母様も生きていたら、今頃こんな風に寝かしつけてくれていたのかしら?」
「さあな。俺はお前の母親について、知らねぇーから何とも言えねぇ……てか」
そこで一度言葉を切ると、ルカはまたもや魔法で私の額を弾いた。
「────俺を母親扱いするんじゃねぇ……これでも、一応男だぞ」
『さすがにオカン認定は癪だ』と言い放ち、ルカは手で口元を覆う。
「……少しは異性だってこと、意識しろよな」
『今はこんな体だけどよ……』とブツブツ文句を言いつつ、ルカはこちらに背を向けた。
かと思えば、チッ!と舌打ちする。
「ガキ相手に何やってんだ、俺は……精神年齢は大人だけど、絵面的に問題あんだろ」
何やら葛藤を繰り広げている様子のルカは、独り言を零しながら項垂れた。
と同時に、大きく息を吐く。
「……俺、そろそろグランツ達のところ戻るわ」
「あら、まだ話し合いは終わってなかったのね」
「ああ。ベアトリスの様子が見たくて、少し抜け出してきたんだ」
「そうだったの。わざわざ、ありがとう」
『心配を掛けちゃったわね』と肩を落とす私に、ルカはフルフルと首を横に振る。
俺がしたくてやったことだから気にすんな、とでも言うように。
「んじゃ、おやすみ」
こちらに背を向けたままヒラヒラと手を振り、ルカは床へ沈んでいく。
が、何かを思い出したかのように首から上を出した状態で静止し、こちらを振り返った。
「あっ、そうだ。一個だけ、先に伝えておくわ」
『いきなりだと、驚くだろうし』と述べつつ、ルカはチラリと窓の外を見る。
「多分、明日────公爵様から研究資料の解析をタビアに依頼するよう、頼まれると思う」




