自由《ルーナ side》
「最後にルーナとワインでも飲みながら、ゆっくり話がしたい。夫婦としての思い出を作りたいのだ」
────というエルピス皇帝陛下の願いを承諾し、私はベッドから降りた。
そして、彼の持ってきたワインを開け、グラスに注ぐ。
夫婦としての思い出を作りたいなんて、本心かしら?
私のことを酔わせて、何かするつもりなんじゃ……?
いや、実家からも見放されている女にそこまでしないか。
何をしたって、誰にも文句を言われない存在なんだから。
『何か目的があるなら、直球で来る筈』と考え、私は椅子へ腰を下ろす。
エルピス皇帝陛下も向かい側へ腰掛け、グラスを手に取った。
「では、二人きりの……夫婦水入らずの時間を祝して、乾杯」
「乾杯」
軽くグラスを持ち上げ、私はじっと中身の赤ワインを見つめた。
『そういえば、お酒を飲むのは初めてね』と考えつつ、一口飲む。
……お、大人の味ね。
私にはちょっと早かったかも。
渋いのに甘いという味わいに頬を引き攣らせ、私は『まあ……飲めなくはない』と一杯目を空ける。
あちらもちょうど飲み終わったみたいで、私の分のおかわりも注いでくれた。
────その後、朝方までのんびりお喋りし、私はさっさと皇城を立つ。
他の誰でもないエルピス皇帝陛下が協力してくれたおかげか、凄くスムーズにことを運べた。
「アッシュ!居ないの……!?」
いつもの待ち合わせ場所である森へ赴いた私は、キョロキョロと辺りを見回す。
『何ヶ月も音信不通だったから、愛想を尽かされたかも……』と不安になる中、上から何かが降ってきた。
「────ルーナ」
腰まである緑髪を揺らし、黄金の瞳に安堵を滲ませるのは────私の恋人であり、エルフであるアッシュだった。
『やっと来てくれた』と胸を撫で下ろす彼は、優しく優しく私の頬を包み込む。
「心配した。今までずっと、どこに居たんだ?」
至極当然の疑問を投げ掛け、アッシュはスリスリと額同士を擦り合わせた。
『会いたかった』と態度で表現する彼を前に、私はそっと眉尻を下げる。
自分のしてきたことを思うと、胸が張り裂けそうで……。
でも、隠す訳にもいかないため意を決して口を開く。
「その……実はね────」
これまでの出来事を出来るだけ細かく話すと、アッシュは一瞬にして顔色を変えた。
「僕のルーナにそんなことを……」
『許せない』とでも言うように眉を顰め、アッシュはじっと実家のある方向を見つめる。
黄金の瞳に殺意と敵意を滲ませながら。
「今からでも、あいつらを皆殺しに……」
「ま、待って!それはダメよ!今、ことを荒立てたら皇城に引き戻されるかもしれないわ!ここは堪えてちょうだい!」
エルピス皇帝陛下は『自由を与える』と言ってくれたが、その約束がいつまで有効かは分からない。
だから、今のうちに行方を晦ませたかった。
『逃げるが勝ち』という異国の諺を思い浮かべ、私はアッシュにしがみつく。
すると、彼は悶々としながらも『分かった』と承諾してくれた。
なので、アッシュの気が変わらないうちに移動を開始し、帝国の辺境……それもかなり奥まった森の奥へ足を運ぶ。
ここならハメット侯爵家や皇室の手が及ばないだろう、と思って。
本当は他国へ行きたかったのだけど、出国審査などを考えると下手に動けない……。
今はとにかく、息を殺して生きるしかなさそう。
まるで犯罪者のような生活だが、アッシュと過ごせるなら私は何でも良かった。
それは彼も同じようで、文句一つ言わずに一緒に居てくれる。
『幸せだよ』と何度も口にしながら。
────そうこうしいるうちに二ヶ月ほど経ち、私の妊娠が発覚した。
「これからは三人家族になるのね」
幸せいっぱいで涙を零す私は、『きっと、アッシュも喜ぶわ』とはしゃぐ。
すると、町医者のおじいさんが今朝の新聞を引っ張り出してきた。
「そうだ、お前さんと同じ名前の皇妃殿下も────ちょうど妊娠したらしいぞ。ほら、『ご懐妊のため療養中』と書いてあるだろ」
「……えっ?」
動揺のあまり涙が引っ込み、私は小さく身を震わせた。
『そんな……まさか……』と狼狽えつつも新聞を読んでみると、そこには確かに私────ルーナ・ブラン・ルーチェの記事が。
……私の不在を隠すための方便?確かに皇妃の失踪なんてバレたら、厄介だものね。
でも、何でわざわざ妊娠?口実なら、他にもたくさんある筈でしょう?
それにこのタイミングって……。
何となく薄ら寒いものを覚え、私は表情を強ばらせた。
自分の中にある疑念を振り払うように頭を振り、さっさと町医者のところを去る。
とにかく、この不安から逃れたくて。
大丈夫……私はエルピス皇帝陛下と関係なんて、持っていない。
ワインを飲んだ時だって、酔わないよう細心の注意を払っていたし……何より、寝ずにアッシュのところへ行った。
知らぬ間に過ちを犯していた……という可能性はかなり低い筈。
でも、なんだろう……?凄く嫌な予感がする……。
震える手をギュッと握り締め、私は森の奥にある我が家へ駆け込んだ。
すると、夕食を作っていたアッシュが驚いたようにこちらを振り返る。
「どうしたんだ?何かあったのか?まさか、追っ手が……」
「い、いいえ……違うわ」
弱々しく首を横に振り、私は自身のお腹に手を当てる。
まだ見た目からは分からない妊娠を伝えるべきか否か悩んでいると、アッシュがハッと息を呑んだ。
「もしや────妊娠、したのか?」
私の様子から察しがついてしまったらしく、アッシュはまじまじとお腹を見つめる。
どこか期待するような眼差しを向けてくる彼に、私は
「え、ええ……そうなの」
と、首を縦に振った。
誤魔化すことなど、出来なくて。
第一、いつかはバレることだから。
「本当か!僕もついに父親になるんだな!」
珍しく声を弾ませ、アッシュは無邪気に笑った。
『ルーナとの子供が出来るなんて、夢のようだ!』と語る彼に、私はきごちなく笑う。
あの新聞のことさえなければ私も一緒に喜べたのに、と嘆きながら。
もし、アッシュとの子供じゃなかったらどうしよう……。
そんな漠然とした不安を抱えたまま、私は出産までの数ヶ月を過ごした。
もうすっかり大きくなったお腹を前に、私は少しだけ表情を和らげる。
やっぱり、自分の子は可愛くて。
この子はきっと、アッシュとの子供よね。
そうじゃなきゃ、こんなに愛おしく思えない筈だもの。
だから……大丈夫。
『何も心配することはない』と自分に言い聞かせ、私は出産へ臨んだ。
「ルーナ、もう少しだ……!頑張ってくれ!」
エルフとの子供ということもあり、アッシュ自ら助産師を務め、出産を手助けする。
『大きく息を吸って!』と指示する彼を前に、私は最後の一踏ん張りをした。
と同時に、赤子が完全に子宮から出て、産声を上げる。
「嗚呼……!ルーナ、ありがとう!元気な男の子だぞ!」
へその緒を切りながら少し涙ぐみ、アッシュは僅かに表情を和らげた。
『無事に産まれてきてくれて良かった』と喜ぶ中、彼は桶に溜めてあったぬるま湯で赤子の体を清める。
そして、急に固まった。
「あ、アッシュ……?」
どうしたのかと思い、声を掛けると────彼は赤子の頭を凝視したままこちらを振り返る。
と同時に、唇を噛み締めた。
「ルーナ────この金髪はなんだ?」




