後悔《リエート side》
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すっかり深い眠りに落ちてしまった愛娘を抱き上げ、私は彼女の自室へ向かう。
さすがにソファで寝かせるのは忍びなくて。
『ちゃんとしたベッドで寝かせなくては』と思いつつ、人の気配が全くない廊下を進んだ。
屋敷の者達は取り調べのため、ホールに集めている。
直に我が娘を虐げた者達が、判明することだろう。
「ベアトリスには、要らぬ苦労を掛けてしまったな……本来であれば、ここで楽しく過ごせる筈だったのに。愚か者共のせいで、こんな……」
泣きじゃくっていた娘の姿を思い出し、私は胸を痛める。
と同時に、大きく息を吐いた。
「でも、一番の愚か者は────そんな奴らに踊らされた、私だな」
自嘲気味に吐き捨て、私はベアトリスの寝顔を見つめた。
どうして、私はあのときベアトリスを遠ざける選択肢を取ったのだろう?
何故、『私のことを怖がっている』と決めつけたんだ……本人にそう言われた訳じゃないのに。
私を見て怯えるようになった五年前のベアトリスを思い出し、そっと眉尻を下げる。
最初は二歳になって自我や本能が芽生え始め、私のことを避けているのかと考えていた。
でも、真相は全く違って……使用人達から心ない言葉を投げ掛けられ、怯えていただけ────私に幻滅されないように。
「別に特別なことをしなくても、私はただベアトリスが幸せになってくれればそれでいいのに」
『立派な人間になってほしい』とか、『偉業を成し遂げてほしい』とか、そんなことは微塵も考えてなかった。
何よりも重要なのは、娘の生存と幸せ。
そのためなら、何を犠牲にしたっていい。
英雄にあるまじき思想を掲げ、私はスッと目を細めた。
安心し切って私に身を委ねてくる娘を眺め、『同じ轍は踏まない』と強く誓う。
「これからはもっと言葉やスキンシップを交わして、付け入る隙を与えないようにしなければ」
『手始めに食事を一緒に摂るようにするか』と考えながら、私は不意に足を止めた。
数年ぶりに見る白い扉を前に、私は風魔法を発動する。
そして、音を立てないよう慎重に扉を開けた。
と同時に、絶句する。
なぜなら月明かりに照らされた部屋は────到底、貴族令嬢の使うようなものじゃなかったから。
一見、普通の部屋に見えるが……公爵令嬢の部屋と考えると、実に質素だ。
それに掃除も隅々まで行き届いているとは、言い難い……よく見れば、埃が溜まっている。
棚の上や部屋の隅をじっくり観察し、私は『舐めた真似を……』と吐き捨てる。
未だ嘗て、これほど腹を立てたことはない。
必要最低限のものしかない室内を一瞥し、私は直ぐさま踵を返した。
娘にこんな部屋を使わせたくなくて……。
今日は一旦、客室に寝かせるか?いや、それだと他人扱いみたいで嫌だな。
せっかく誤解も解けて心を通わせられたのだから、『私達は家族なんだ』と言葉や態度で示したい。
「……私の寝室に連れていくか」
『あそこなら、客室より安全だし』と結論を出し、私は目的地を変更した。
どうせ、今日は徹夜になるだろうから一晩ベッドを貸しても問題ない。
『むしろ、ずっと居てほしいくらいだ』と思いつつ、私は寝室へ足を運んだ。
大人三人は寝れそうな大きなベッドへ娘を下ろし、そっとシーツを掛ける。
「ん……ぉと、さま……」
私の夢でも見ているのか、ベアトリスは可愛らしい寝言を零した。
心做しか、表情も柔らかい。
「……仕事は後回しでもいいか」
「────いや、全然良くないです」
聞き覚えのある声が鼓膜を揺らし、私はふと後ろを振り返る。
すると、そこには────私の右腕であり、公爵家の秘書官でもあるユリウス・ハンク・カーソンの姿があった。
呆れた様子でこちらを見つめる彼は、執務室へ繋がる扉に寄り掛かっている。
「どこぞの馬鹿達のおかげで超忙しいんですから、しっかり働いてください」
ヒラヒラと手に持った書類を揺らし、ユリウスは大きく息を吐く。
『また徹夜ですよ〜』と嘆く彼の前で、私は棚の上にあったペーパーナイフを手に取る。
「……分かった────が、その前に貴様の目をくり抜かせろ」
「えっ?」
『何で?』とでも言うように目を剥き、ユリウスは頬を引き攣らせる。
一歩・二歩と後退る彼を前に、私は前へ進んだ。
「ベアトリスの寝顔、見ただろ?」
「い、いやこれは不可抗力ですよ……!誰も公爵様の寝室に、お嬢様が居るなんて思いませんって!」
「だとしても、嫁入り前の娘に失礼だと思わないか?」
「あっ、結婚させる気はあったんですね」
『嫁入り前』という言葉に反応し、ユリウスはまじまじとこちらを見つめる。
エメラルドを彷彿とさせる緑の瞳は、キョトンとしていた。
「……娘が結婚だと?」
「すみません。何でもありません。忘れてください」
『失言でした』と謝罪し、ユリウスは何度も頭を下げる。
その際、短く切り揃えられた緑髪がサラリと揺れた。
「と、とりあえず執務室に行きませんか?ここだと、お嬢様を起こしてしまうかもしれませんし……」
『せっかく熟睡しているのに可哀想〜』と述べ、ユリウスは半ば逃げるように隣室へ引っ込む。
そのあとを追い掛けるように、私も寝室を後にした。
『後でベアトリスの様子を見に行こう』と考えながら扉を閉め、椅子に腰掛ける。
執務机の上に並べられた書類の山を一瞥し、前に立つユリウスを見つめた。
「それで、実はどこまで腐っていた?」
バレンシュタイン公爵家を果実に置き換え、私は家庭教師に同調していた奴らの存在を問い掛けた。
すると、ユリウスは直ぐさま表情を引き締め、手に持った書類をこちらに見せる。
「騎士団の方は無事でしたが、使用人はほぼダメになっていましたね。お嬢様を害していない者も一定数居ましたが、全員この事態は把握していたようです」
「つまり知っていて無視してきた、と?」
「はい」
間髪容れずに頷いたユリウスに、私はハッと乾いた笑みを零す。
守るべき存在を放置して、過ごしてきた奴らに言いようのない怒りと落胆を覚えて……。
守る……とまで行かずとも、こっそり私に教えてくれれば対処出来たのに。
結果論に過ぎないとしても、どうしても考えてしまい……クシャリと顔を歪めた。
『一番の原因は私の怠慢と勇気のなさだというのに』と自責しつつ、天井を仰ぎ見る。
「はぁ……先導していたのは?」
「主に古株の者達です。奥様を甚く尊敬するあまり、お嬢様を逆恨みしていたらしく……」
「妻の想いを踏みにじっておいて尊敬、か……実に都合のいい言葉だな」
『そう言えば、許されると思っているのか?』と零し、私は強く手を握り締めた。
屈辱でしかない現状を憂う中、ユリウスは言葉を続ける。
「それで、他の……全く関係のない者達についてですが、彼らの動機は主に二種類ですね。トラブルに巻き込まれたくなかった派と────」
「────ベアトリスに割り当てた予算を使い込んでいた派、だろ」
先に答えを言うと、ユリウスは驚いたように息を呑んだ。
「ご存知でしたか」
「ああ。なんせ、ベアトリスの部屋には────玩具一つなかったからな」
報告に上がっていたクマのぬいぐるみや絵本の類いは一切なく……全体的にがらんとしていた。
『まるで宿のような……生活感のない部屋だった』と語る私に、ユリウスは眉尻を下げる。
「遊び盛りの子供から、何もかも取り上げていたんですね……」
『さぞお辛かったでしょう』と零し、ユリウスは寝室へ繋がる扉を見つめた。
きっと、ベアトリスのことを哀れんでいるのだろう。
「……それで、処理はどうなさいますか?」
ふとこちらに視線を戻したユリウスは、神妙な面持ちで問い掛けてきた。
わざわざ、聞かずとも分かっているだろうに。
「腐った部分は全部斬り捨てろ」
「畏まりました。では、使用人は総入れ替えということで」
普段なら仕事を増やす度グチグチ文句を言うユリウスも、今回ばかりは腹を立てているようで……あっさり面倒事を引き受ける。
『処罰の詳細はまた後日、話し合いましょう』と述べる彼に、私は小さく頷いた。
と同時に、あることを思い出す。
「そういえば────結局、家庭教師の髪を切り落としたのは誰だったんだ?魔法による攻撃を受けただの、なんだのと騒いでいたが」
「さあ?一応調べてはいるのですが、特に進展はないんですよね」
『自ら散髪したのでは?』と冗談交じりに言い、ユリウスは小さく肩を竦めた。
どうやら、完全にお手上げ状態らしい。
バレンシュタイン公爵家の周辺には、強力な結界を張っている。
よって、外部から魔法攻撃を行うのは不可能……。
内部の犯行と見るのが妥当だが、ベアトリスではなく家庭教師を狙ったのが引っ掛かる。
もしや、何者かがベアトリスを守ろうとしたのか?それで、あんな騒ぎを?
だとしたら、辻褄は合うが……些か強引すぎないか?
いや、守ってくれたのは有り難いが。
『あの騒ぎのおかげで、誤解も解けたことだし』と考え、私は一つ息を吐く。
「とりあえず、魔法の件は保留でいい。使用人達の取り調べを優先しろ」
「畏まりました」
恭しく頭を垂れて応じるユリウスに、私は『頼んだぞ』と言い、溜まった仕事を片付ける。
────ベアトリスと過ごす時間を確保するために。