ワガママ
◇◆◇◆
────時は少し遡り、イージス卿を見送ったあとのこと。
私達はサンクチュエール騎士団に被害状況の確認を任せ、一旦別館へ移動した。
ここは幸い、魔物の襲撃もなく無事だったため。
「それで、何がどうなってこうなったんだ?」
席に着くなり経緯の説明を求める父は、膝の上に載せた私をチラリと見る。
よしよしと頭を撫でながら。
『もう肩の力を抜いていいんだぞ』と示す彼の前で、向かい側の席に腰掛けるユリウスは眉尻を下げた。
「どうもこうもありませんよ。本当にいきなり、魔物が現れて……」
「屋敷に張った結界はどうした?」
「えっと、さっきチラッと確認してみたら上空の部分だけ少し緩められていました」
『詳しくは騎士団の調査待ちですね』と語るユリウスに、父はスッと目を細めた。
「つまりあの結界に何者かが手を加えた、と?」
「はい、恐らく……公爵様直々に展開した結界をいじるなんて、考えられませんけど」
『複雑すぎて、普通はどうすることも出来ないのに』と肩を落とし、ユリウスは項垂れる。
これでもかというほど深い溜め息を零す彼の前で、父は窓の外を眺めた。
「先日屋敷へ侵入したあのエルフが、手を加えた可能性はないのか?」
「あー……多分、侵入する際に結界をいじったとは思いますが、特に異変はありませんでしたよ。エルフ様の帰宅後すぐに状態を確認したので、間違いありません」
『帰る際に補修したんじゃないか』ということを指摘し、ユリウスは顎に手を当てた。
「ただ、もう一度……それこそ今日屋敷を訪れて、また結界を緩めていった可能性は拭い切れませんけどね、悲しいことに」
エルフとの諍いを避けたいユリウスは、『そうじゃないことを全力で祈ります』と述べた。
疲れ切った顔で遠くを見つめる彼を前に、父は視線を前に戻す。
「結界のことはとりあえず、分かった。それで、当時の状況は?魔物は何体、居たんだ?どうやって、討伐した?それから、何故精霊が増えている?」
「ちょ、ちょっと待ってください!一から、説明しますので!」
両手を前に突き出して制止しつつ、ユリウスは『質問が多いんですよ……!』と喚いた。
かと思えば、コホンッと一回咳払いして時系列順に事のあらましを説明していく。
それに比例して、父の表情はより硬く……険しくなってきた。
「……ベアトリスにまで戦わせたのか」
「は、はい……その、緊急事態で……あっ!でも、あくまで後方支援だけですよ!?前線は私と騎士達で担って……」
「そんなの当たり前だ。もし、ベアトリスを前線に出していたらお前達の首を切っていたところだ」
低く冷たい声で威嚇する父に対し、ユリウスは『それって、物理的に……?』と怯える。
可哀想なくらい震える彼の前で、私は慌てて父の手を引いた。
「違うんです、お父様。戦ったのは、私の意思で……皆の力になりたかったんです」
「ベアトリス……」
どこか複雑そうな心境を露わにし、父はそっと目を伏せる。
悩ましげに眉を顰めながら嘆息し、優しく私の手を握った。
「ベアトリスの気持ちは分かった。状況が状況なだけに、お前の参戦を責めることは出来ない。でも、これだけはよく覚えておいてくれ」
そう前置きしてから、父はコツンッと額同士を合わせた。
「私はベアトリスのことが心配なんだ。お前の身に何かあったらと思うと気が気じゃないし、お前の健康や幸せを邪魔するものは全て斬り捨てたくなる。親として大人として人間として間違っているのは重々承知だが、ベアトリスには試練も苦痛もない平穏な人生を送ってほしいと思っている」
成長する機会を奪いかねないことが気掛かりなのか、父はどこか申し訳なさそうにしていた。
『娘のことを思うなら、過保護は禁物なんだろうが……』と思い悩む彼に、私はうんと目を細める。
私のためにここまで考えてくれることが、ただ嬉しくて。
「心配を掛けて、ごめんなさい。それから、ありがとうございます。お父様のお気持ちを聞けて、良かったです」
私のことを大切に思ってくれているのは理解しているものの、やはり言葉にされるとその重みが違う。
もっと自分を大事にしよう、と思える。
『これが自信というものかしら?』と考えつつ、私はふわりと柔らかく微笑んだ。
「お父様のお言葉一つ一つを胸に刻み込んでおきます」
「ああ」
どこかホッとしたように目元を和らげ、父は前を向く。
『その言葉たちが、危険な行動へ出る時足枷になってくれることを祈ろう』と呟きながら。
「さて、事情も大体把握したし、今後のことを考えるか」
────という言葉の通り、父は何時間もユリウスと話し込み、あれこれ計画を立てた。
その間、私はバハルやベラーノとお話したりお昼寝したりして時間を潰す。
何か手伝おうにも、父に『休んでいなさい』と言われてしまったため。
完全に手持ち無沙汰なのだ。
『ルカは情報収集のため、騎士団のところに居るのよね』と思いつつ、私はベラーノの頭を撫でる。
「ところで、他の管理者の状態はどうなっているか分かる?」
「分からない……とにかく、ベアトリス様に会いたい一心で真っ直ぐここへ来たから」
申し訳なさそうに尻尾を垂らし、ベラーノは俯く。
『きちんと確認するべきだった』と反省するトラを前に、バハルはやれやれと頭を振った。
「相変わらずの横着っぷりね。これだから、夏の管理者は……」
「う、うるさい!大体、あそこで我が駆けつけなかったらどうするつもりだったんだ!戦闘に不向きな貴様では、手も足も出なかっただろう!」
「何ですって……!」
珍しく声を荒らげるバハルは、堪らずベラーノへ飛び掛かった。
すると、ベラーノも応戦してきて……揉み合いに。
まあ、二人とも本気じゃないみたいだから特に怪我などしていないが。
『それでも、止めた方がいいわよね?』と思い、私は仲裁に入る。
「二人とも、落ち着いて。他の管理者の様子はまた後日確認すればいいし、今日はバハルにもベラーノにもたくさん助けてもらったから。凄く感謝している」
『どちらかが悪いという訳ではない』と主張すると、二人はピタッと身動きを止めた。
チラリと互いに視線を交わして肩の力を抜き、おもむろに離れる。
「「まあ、ベアトリス様がそう言うなら……」」
褒められたからかどことなく嬉しそうな様子で、バハルとベラーノは喧嘩をやめた。
左右に揺れる尻尾を前に、私はホッと胸を撫で下ろす。
────そうこうしているうちに時間は過ぎていき、夜となった。
寝室として宛てがわれた部屋でシーツに包まる私は、じっと窓の外を眺める。
────と、ここで窓から見知った人影が現れた。
月明かりに透けるその人物は私と目が合うと、驚いたように瞬きを繰り返す。
「まだ起きていたのかよ」
『もうとっくに寝る時間は過ぎてんぞ』と言い、ルカは呆れたように肩を竦めた。
「公爵様に見つかったら、面倒だぞ。毎晩、寝かしつけにくるかも。それも、成人するまで……いや、そのあとも来る可能性大」
「さすがにお父様でもそこまでしないと思うけど……特に今は事後処理や魔物の討伐で忙しいもの」
『そんな暇ないわよ』と述べ、私はゆっくりと身を起こす。
と同時に、背筋を伸ばした。
「それに今日はルカと話がしたくて、起きていたの」
僅かに表情を強ばらせながらそう言うと、ルカはスッと目を細めた。
かと思えば、少しばかり表情を引き締める。
「まあ、用件は聞かなくても分かる────俺の正体や発言の真意を知りたいんだろ?」
相変わらず察しのいいルカに、私はコクリと頷いた。
「ええ、あのあとバタバタしていて聞きそびれちゃったけど、ルカさえ良ければ教えてほしい。私────貴方のことをもっとよく知りたいの。それで理解したい」
これまでたくさんお世話になったのに、私はルカのことをあまり知らない。
どのような生い立ちで、どのような経験を積み、どのような人生を歩んできたのか……その欠片すら把握していないのだ。
「正直、これは私のワガママ。だから、嫌なら断ってほしい」
『そしたら、もうこの話はしない』と告げ、私は真っ黒な瞳を見つめ返した。
確かな意志と覚悟を持って“知りたい”と願う私に、ルカはどこか呆れたような表情を浮かべる。
「そんな身構えるほど、大層なもんじゃねぇーよ。もっと気軽に聞け、気軽に」
『こっちが緊張するわ』と頭を振り、ルカは腰に手を当てた。
と同時に、少しばかり身を乗り出す。
「まあ、とりあえず話してやるよ。絵本の読み聞かせ感覚で、聞いとけ」
『そんで、寝ろ』と言いつつ、ルカは頭の後ろで腕を組んだ。
「とはいえ、どっから話すかなぁ……」
天井を眺めながら思い悩み、ルカは眉間にちょっと皺を寄せる。
「あのな、俺は本来この時間軸に居ない存在で……てか、まずこの世界にすら存在してないっつーか……」
ガシガシと頭を搔き、悶々とするルカは『どう説明すればいいんだ?』と頭を捻った。
かと思えば、チラリとこちらに視線を向ける。
「あー……この表現で伝わるか分かんねぇーけど、俺────俗に言う、異世界人なんだわ」




