追いかけっこ《ジェラルド side》
◇◆◇◆
っ……!まさか、あのキツネが春の管理者だったなんて……!しかも、夏の管理者まで現れて……!
完全に予想外だ、こんなの!
「もしや、ベアトリス嬢は四季を司りし天の恵みなのか……!?」
父より教えられた精霊の知識を思い浮かべ、僕は悶々とする。
もし、そうならベアトリス嬢を手に入れるのはより困難となるため。
『過保護な公爵だけでも厄介なのに……!』と眉を顰めつつ、僕は風魔法で空を駆け抜けた。
とにかく早く離宮へ帰ろうと思って。
あまり遅くなると、幻影魔法で作り出した僕の偽物に気づかれるかもしれないため。
『さすがに何時間も庭を眺めるのは、違和感あるからね』と思いながら、ローブを押さえる。
顔を隠すフードは、特に。
まあ、ここは厚い雲の上のため誰にも見られていないと思うが。
『でも、念には念を入れておくべきだろう』と思案する中、
「────すみません。少しお話いいですか?」
と、背後から声を掛けられた。
反射的に後ろを振り向くと、そこにはオレンジ髪の少年が。
魔法も魔道具も使わずに真っ直ぐこちらへ飛んでくる彼に、僕は思わず目を剥いた。
頭おかしいのか、この男!と動揺しながら。
高度何メートルだと思っているんだ……!?大体、何故生身の体でその風圧に耐えられる!?
僕だって、移動中は前方に結界を張って空気抵抗を和らげているのに……!
『しかも、普通に喋っているし……!』と驚愕し、僕は更にスピードを上げる。
正体もバレていないことだし、このまま逃げ切ろうと思って。
『関わったっていいことはない』と決めつける中、彼は後方に向かって剣を振った。
すると、その反動で速度は跳ね上がり、あっさり僕の隣に並ぶ。
『はっ……?』と思わず声を漏らしそうになる僕の前で、彼は困ったような表情を浮かべた。
「あの、聞こえてますか?俺はバレンシュタイン公爵家の騎士であるイージス・ブリッツ・モントです。ちょっと貴方にお聞きしたいことがあって、声を掛けたんですが」
「……」
「う〜ん……この距離で話し掛けても無反応ということは、無視かな?なら、実力行使に出るしかないか」
独り言のようにそう呟くと、イージスはこちらへ手を伸ばした。
「すみません、ちょっと失礼します」
そう言うが早いか、彼は僕の首根っこを掴もうとする。
が、僕は咄嗟に方向転換してその手を避けた。
何の補助もなく飛んでいるなら、小回りは利かない筈……!
だから、ひたすら方向転換し続けて追撃を撒こう……!
『そしたら、そのうち諦めるだろう』と考え、僕は上下左右あらゆる方向に突き進む。
でも────
「俺、追いかけっこは得意ですよ!」
────イージスは剣を振った時の風圧を利用して、器用に方向転換していた。
さすがに動きは少し荒いものの、追跡する分には問題ないと思われる。
くっ……!ここは空中だから障害物もないし、フェイントだって効かない始末……!
こうなると、いよいよ後がなくなる……!
『このスピードにも余裕でついてくるし……!』と眉を顰め、僕は仕方なく攻撃に転じる。
このままでは、埒が明かないため。
『空中戦なら、こっちに分がある筈』と思案しながら、僕は氷の矢を射た。それも、複数。
これで少しは怯んでくれるといいのだが……
「あっ、攻撃しましたね!では、こちらも反撃します!」
簡単そうに矢を叩き切り、イージスは剣の先端をこちらへ突き出した。
急所こそ外しているものの一切迷いのない動きに、僕は頬を引き攣らせる。
『人を傷つけることにここまで躊躇いがないとは』と少し驚きつつ、元々あった結界を拡大した。
おかげで、剣撃を防ぐことに成功したのだが……結界にヒビを入れられる。
たった一撃……たった一突きで、この威力。なんて化け物だ。
『公爵ほどじゃないが、こいつも充分規格外』と警戒し、僕は奥歯を噛み締めた。
と同時に、炎の玉や氷の槍を時間差で絶え間なく放っていく。
相手に反撃する隙を与えないために。
とはいえ、これはその場凌ぎにしかならない……きちんと逃げ切るには、別の手を考えないと。
長期戦になって困るのはこっちなので、必死に知恵を絞る。
が、奥の手を……最後まで隠しておきたかった切り札を使うことくらいしか思いつかず、眉を顰めた。
今回は収穫こそ得られなかったが、損害を受けることもない……と思っていたんだけど、どうやらそうも行かないようだ。
デビュタントの時と言い、今と言い……僕は損をしてばかりだな。
『どうして、こうも上手くいかないのか』と嘆きつつ、僕は左手をローブの裾に隠す。
万が一、相手に気づかれたら困るため。
『絶対、阻止してくるからね』と肩を竦め、僕は素早く準備を終えた。
と同時に、発動する────伝説級の魔導師しか扱えないと呼ばれる、転移魔法を。
出来れば、これは使いたくなかったんだけどね。
奥の手だからというのもあるが、それ以上にとても危険だから。
失敗したら変なところに飛ばされるどころか、手足をもがれたり時空の狭間に置いていかれたりする。
また、仮に成功したとしても大量の魔力を消費するため、正直燃費が悪かった。
『ただでさえ、今は複数の魔法を展開している状態なのに』と嘆息し、僕は魔力切れを憂う。
しばらくベッドに籠る日々を想像しながら、ジクジクと痛む手首に意識を集中させた。
さすがに皮膚へ直接魔法陣を描くのは、やり過ぎたかもしれないな。
でも、紙やペンは持ち合わせていなかったし……何より、敵の前で堂々と魔法陣を描くのは憚られる。
だからと言って、魔法陣なしで転移魔法を発動するのは無理があった。
いや、厳密に言えば可能なんだが、リスクは確実に跳ね上がる。
『何となく』の感覚だけで、谷底の上をジャンプするようなものだからね。
『危ないなんてものじゃない』と考えつつ、僕は浮遊魔法を解いた。
相手の意表を突き、転移までの時間を稼ぐため。
『あともうちょっと……』と思案する中、イージスはこちらへ一直線に向かってきた。
「申し訳ありませんが、死ぬのは事情聴取を受けてからにしてください」
僕がヤケを起こして自害しようとしているとでも思ったのか、イージスは何とか手を取ろうとする。
が、転移魔法の予兆である白い光に気づくと、直ぐさま剣を構えた。
「捕獲は後日に持ち越しですね。とりあえず、印だけ付けておきます」
そう言うが早いか、イージスは剣を投げつけてくる。
と同時に、僕は離宮の風呂場へ転移した。
「っ……!」
口端から零れそうになる悲鳴を押し殺し、僕は────横腹に突き刺さった剣を見下ろした。
『ギリギリ間に合わなかったか……』と辟易しつつ、片膝を突く。
念のため、結界を張っておくべきだったか……いや、残りの魔力を考えるとこれが最善だった。
最悪、幻影魔法で作り出した僕の偽物も消えてしまうかもしれないし。
隣室で庭を鑑賞しているであろう偽物を思い浮かべ、僕はよろよろと立ち上がる。
まだ辛うじて魔力は残っているが、風前の灯火同然。
早く偽物とバトンタッチしなくてはならない。
風呂場の清潔なタオルで患部を押さえ、剣を引き抜く僕は額に脂汗を浮かべた。
想像を絶するような痛みに耐えながら何とか止血し、服を着替える。
この剣はとりあえず、どこかに隠しておこう……公爵家の家紋が入っている以上、捨てることも出来ないから。
『全く……面倒なことばかりだ』と思いつつ、僕は血溜まりの後始末なども終えて風呂場を抜け出した。
そして、騎士の目を掻い潜りながらトイレに駆け込むと、偽物をこちらへ誘導する。
さすがにトイレの中までは騎士達も入ってこないため、無事入れ替わりを終えた。
何食わぬ顔でトイレから出てきた僕は、平然を装ってリビングに行く。
っ……!魔力切れに加えて、この傷……かなり辛いな。
出来ることなら今まで通り振る舞いたかったけど、しょうがない……寝室に行くか。
『昼寝とでも言えば、何とかなるだろう』と思い立ち、僕は行き先を変更した。
当然騎士達からは不審な目で見られるものの、構わずベッドへ横になる。
────その日、僕は痛みのあまり起き上がれず……苦し紛れの言い訳を並べて、ずっと寝室に籠った。




