居てはならない存在
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────父やサンクチュエール騎士団が屋敷を後にしてから、早一ヶ月。
タビアとの対面以降、これと言って大きな騒ぎや変化もなく、私は普通に過ごしていた。
強いて言うなら、グランツ殿下が家庭教師をお休みしていることくらい。
何でも、調べたいことがあるんだとか。
皇室主催のパーティーを終えてから随分と根を詰めている様子だけど、大丈夫かしら?
無理をしていないといいな。
手紙の返信も遅れるほど忙しいグランツ殿下を思い浮かべ、私はイージス卿に向かって矢を射る。
が、例の如く避けられてしまった。
『大分よくなってきましたよ!』と励ます彼を前に、私はまた武器型魔道具の弓を引く。
────と、ここで父の執務室からユリウスがひょっこり顔を出した。
「ベアトリスお嬢様、そろそろ休憩にしましょう。一生懸命練習に励むのはいいことですが、最近日差しも強くなってきましたし、こまめに体を休めなくては」
『体調を崩したら、大変です』と言い聞かせ、ユリウスは家の中へ入るよう促す。
すると、私の隣に立つルカがふと空を見上げた。
「そういやぁ、もうすぐ夏だもんな。熱中症には、気をつけねぇーと」
『ベアトリスの健康=世界平和だからな』と語り、ルカはユリウスの意見に同意した。
正直、まだ全然大丈夫だけど……無茶をして皆に迷惑を掛けたら困るから、素直に従おう。
練習相手のイージス卿だって、疲れているかもしれないし。
『まあ、相変わらず汗一つ掻いてないけど』と苦笑しつつ、私はイージス卿に休憩を言い渡す。
そして、隅っこに待機していたバハルを抱っこして玄関へ向かおうとした。
が、突然イージス卿に手を引かれる。
「この気配、まさか……」
半ば独り言のようにそう呟き、イージス卿は厳しい顔つきで周囲を見回した。
すると、ルカやバハルも何か異変を感じ取ったのか表情を硬くしている。
この場に緊迫した空気が流れる中────何かに日の光を遮られた。
反射的に顔を上げる私達は、その“何か”を見て青ざめる。
だって、それはここに居ない筈の……居てはならない筈の存在だったから。
「チッ……!今と言い、パーティーの時と言い……一体、何がどうなっているんだ!?他人ん家の敷地内に────魔物が現れるなんて!」
クッと眉間に皺を寄せながら、ルカは『明らかに異常だ!』と叫んだ。
と同時に、黒くて大きな化け物がこちらへ手を伸ばす。
「ベアトリスお嬢様、お下がりください」
いつもより数段低い声でそう言うと、イージス卿は魔物の腕を斬り落とした。
その瞬間、腕だったものは完全に液体化し、中庭を汚す。
「しょ、植物が……」
まるで生命力を失ったかのように枯れ果てる草花を見つめ、私は戦慄した。
これが魔物の力なのかと思うと、恐ろしくて。
デビュタントの時はお父様の神聖力や聖剣で跡形もなく消し去っていたから、何ともなかったけど……本来はこうなるんだ。
父が英雄と言われる所以を……魔物の恐ろしさを目の当たりにし、私は手で口元を覆った。
────と、ここで執務室の窓からユリウスが降ってくる。
屋敷の警備に当たっていた騎士達もこの場へ駆けつけ、それぞれ武器を構えた。
「ベアトリスお嬢様、ご無事ですか!?」
短剣と水晶を胸に抱え、ユリウスは急いでこちらへ駆け寄ってくる。
いつも、執務室に閉じこもっているとは思えないほど俊敏な動きで。
『昔、何か習っていたのかしら?』と思いつつ、私は彼の方へ向き直った。
「ええ、無事よ。ユリウス達は?」
「私共も無事です!それより、早く避難を……っ!」
僅かに表情を強ばらせ、ユリウスは少し乱暴に私のことを抱き上げた。
かと思えば、軽やかな身のこなしで数十メートルほど離れた場所に移動する。
それも、たった一回の跳躍で。
『両手に色々持っているのに凄い……』と素直に感心する中、別方向からまた二体魔物が姿を現した。
「クソッ……!完全に囲まれた!」
苛立たしげに前髪を掻き上げ、ルカは合計三体の魔物を睨みつける。
他の者達も険しい顔で、武器を構えていた。
「う〜ん……どうしましょうか」
イージス卿は悩ましげに眉を顰め、腐食した剣を投げ捨てる。
恐らく、先程魔物の腕を斬り落とした際にダメになってしまったのだろう。
予備の剣を他の騎士から貰いつつ、彼はスッと目を細めた。
「こいつら通常より強い上、タフなんですよね。正直、倒せるかどうか分かりません」
「いや、この際倒さなくてもいいのでとにかくベアトリスお嬢様の安全を最優先に考えてください」
『お嬢様に何かあれば、公爵様は……』と零し、ユリウスはゴクリと喉を鳴らした。
顔面蒼白になる彼を前に、イージス卿は剣を構える。
「それはもちろんです。でも、逃げ場がない以上やはり倒すしか……」
「いえ、時間を稼ぐだけで構いません────公爵様を呼び戻します」
「えっ?遠征先から、ですか?」
「はい。予定通りに各地を回っているのであれば、今はわりと近くに滞在している筈なので。公爵様の足なら、一時間くらいで駆けつけられるかと」
『他の騎士達はもっと掛かるでしょうが』と補足しつつ、ユリウスは水晶をこちらへ手渡した。
「ベアトリスお嬢様。申し訳ありませんが、公爵様への連絡はお任せします。私は騎士達と共に、魔物の対応へ当たりますので」
「わ、分かったわ」
手元にある水晶をじっと見つめ、私は表情を引き締める。
────と、ここでユリウス達と魔物達の戦いが本格化した。
『お嬢様を守れ!』『魔物を近づけさせるな!』と叫ぶ彼らを前に、私は水晶へ魔力を込める。
逸る気持ちを抑えながら。
『一気に大量の魔力を送ったら壊れる』と自分に言い聞かせ、自制する中────あちら側へ繋がった。
ホッと胸を撫で下ろす私の前で、水晶に映った銀髪碧眼の美丈夫はスッと目を細める。
『ベアトリス、また何か……魔物?』
また何かあったのか?と続ける筈であっただろう言葉を呑み込み、父は眉間に皺を寄せる。
口で説明するよりも早く事態を把握したのか、彼は聖剣に手を掛けた。
『直ぐにそちらへ向かう』
そう言うが早いか、父は通信を切る。
え、えっと……とりあえずお役目は果たせた、のよね?
結局一言も喋らずに終わってしまったため、私は『大丈夫かな?』と少し不安になった。
もう一度通信を掛けようか悩む私の前で、ルカは少しばかり焦った表情を浮かべる。
「これは……ちょっと不味いかもな。剣や鎧がどんどんダメになってやがる」




