バハルの後悔
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「────という訳で、世界の滅亡を後押ししていたのだけど……ある日、突然過去に戻ったの。最初は夢かと思ったわ。でも、大木に刻まれた傷の数を数えてみると、確かに十一年前で……」
困惑気味に逆行当初の状況を語り、バハルはペシペシと前足で目元を叩いた。
「とりあえず、ベアトリス様の居る世界を壊す訳にはいかないから、直ぐに気持ちを切り替えた。でも、私達全員まだ情緒不安定で……このままだと、無意識に暴走してしまう恐れがあった。だから、比較的落ち着いている私を除き、他の管理者は眠りについたの」
眠りについている理由は、心を整理するためだったのね。
精霊って、基本睡眠を取らなくてもいい生物だと聞いていたから甚だ疑問だったけど、納得したわ。
『人間で言う“寝て忘れよう”という感覚に近いのかな?』と思いつつ、私は居住まいを正した。
こんなに真面目な話をパジャマ姿で聞いてしまったことを後悔しながら、コホンッと一回咳払いする。
「バハル、話しづらいことを打ち明けてくれてありがとう。実を言うとね、私も前回の記憶を持っているの」
「ほ、本当……!?」
「ええ。他にも何人か居るわよ。名前までは言えないけど……」
『本人に確認を取ってからじゃないと』と述べる私に、バハルは一つ息を吐く。
「大丈夫よ、知っているから」
「えっ?」
「あの腹黒……じゃなくて、皇子でしょう?」
確信を持った様子でそう言い、バハルはゆらりと尻尾を振った。
「これは後で話そうと思っていたんだけど、昨日少し話したの。彼が私を迎えに来た時に。いい加減、色々ハッキリさせたくて……」
「えっと、それは……あの……」
「あぁ、安心して。喧嘩はしてないから」
『言い合いくらいはしたけど』と苦笑しつつ、バハルはピンッと背筋を伸ばした。
「最終的に『お互い、昔のことは水に流して力を合わせよう』ということで、和解したの」
「それなら、良かった……」
もし決裂していたらどちらにつけばいいのか分からなかったため、私は心底安堵する。
────と、ここでバハルが少し身を乗り出してきた。
「それでね……出来れば、ベアトリス様の話も聞きたいのだけど」
嫌なことを思い出させてしまうのが気に掛かるのか、バハルはかなり慎重に話を切り出す。
『無理はしなくていいから』と繰り返し、じっとこちらの顔色を窺った。
気遣わしげな視線を送ってくるバハルの前で、私はスッと目を細める。
「聞いていて気分のいい話じゃないけど、それでも良ければ」
そう前置きした上で、私はポツリポツリと過去のことを話した。
父とのすれ違い、己の過ち、ジェラルドとの因縁……そして、逆行した後の出来事も。
一度目の人生は悲しみで溢れていたけど、二度目の人生は幸せでいっぱいなんだよ、と伝えたくて。
まあ、さすがにルカの存在までは話せなかったが。
バハルの口ぶりからして、彼のことはまだ知らないようだから。
逆行前はもしかしたら会ったことがあるかもしれないけど、幽霊に近い姿で傍に居ることは多分知らないと思う。
『それなら、話すべきじゃないよね?』と思案する中、バハルはペシペシと尻尾をベッドに叩きつける。
「つまり、ジェラルドという者を殺せば万事解決なのね?」
「いや、そういう訳じゃ……」
「任せて。私はあまり戦闘向きの属性じゃないけど、必ず仇を討ってくるわ」
ポスンと自身の胸を叩き、バハルは目に見えない闘志を燃やす。
と同時に、ベッドから飛び降りた。
『善は急げ』と言わんばかりの行動力に、私は慌てて身を乗り出す。
「ま、待ってバハル……!私は別にジェラルドを殺したい訳じゃなくて……!」
今にも開いている窓から旅立ちそうなバハルを追い掛け、私もベッドから降りた。
平和的な解決を望む私に対し、バハルはコテンと首を傾げる。
「でも、不穏分子であることは変わらないでしょう?」
「それは……そうだけど、戦わずに済むならそれに越したことはないじゃない」
理想論であることは、分かっている。
でも、一度は愛した人を……まだ引き返せる地点に居る人を……幼い子供を殺して、平和を手に入れるのはなんだか違う気がした。
何より、自分の都合のために誰かを殺すのは……かつてのジェラルドと同じ。
あんな風にはなりたくない。
「前回はさておき、今回はまだ危害を加えられていないし……もう少し様子を見ても、いいと思うの」
『少なくとも、あちらに敵対する意思はなさそうだし』と語り、私はバハルを抱き上げた。
ついでに開けっ放しの窓を閉め、ベッドへ逆戻りする。
少しでも、外から遠ざけたくて。
「バハル、お願いよ。もう少しだけ……もう少しだけ、ジェラルドに猶予をあげて」
大切な人を失った悲しみも、また失うかもしれない不安もちゃんと理解している。
バハルの気持ちを思うと、『いいよ』と頷きたくなる自分も居た。
もし、逆の立場だったら……同じことを考えたかもしれないから。
「あのね、別にバハルの気持ちまで否定したい訳じゃないの。ジェラルドに向ける敵意も、私への愛情の裏返しかと思えば、その……嬉しいから。ただ、ちょっと目を瞑っていてほしいだけなの」
ベッドの端っこに腰を下ろし、私はバハルの頭を撫でた。
が、ピンク色のキツネは無反応。
いつもなら、嬉しそうに尻尾を振ったり目を細めたりしてくれるのに。
『余程、納得いかないのね』と肩を竦め、私はふと天井を見上げた。
「バハル、私は別にジェラルドのことを恨んでいないの。確かにもう二度と関わりたくない人物ではあるけど……でも────逆行前、私を支えてくれたのは彼だった」
「!!」
ハッとしたように顔を上げるバハルに、私は複雑な表情を見せた。
喜びとも憎しみとも取れない感情を抱きながら、ゆっくり自分の心を整理していく。
「ジェラルドの好意には裏があったけど、彼のおかげで救われていたのは紛れもない事実。たとえ、おままごとのような関係だったとしても……恋愛ごっこだったとしても、確かに幸せだった」
「……」
「不純な動機だったからと言って、彼のくれた温もりや幸せな時間を無下には出来ないわ」
父とのすれ違いも精霊との関係性も知らなかった私にとって、ジェラルドはまさに希望だった。
大恩人と言ってもいい。
『僕が居るよ』と口癖のように言っていたジェラルドを思い出し、私はそっと目を伏せた。
溢れ出してくる色んな感情に耐えていると、バハルがようやく口を開く。
「辛い結末を迎えたのに?」
「ええ、その過程は私にとって掛け替えのないものだったから」
自分でも驚くほどすんなりと出てきた言葉に、バハルはスッと目を細めた。
黄金に輝く瞳に葛藤を滲ませ、大きく息を吐く。
と同時に、背筋を伸ばした。
「分かったわ。ベアトリス様の意志を尊重する」
自分の感情を押し殺し、バハルは『貴方のために』と折れてくれた。
苦笑にも似た表情を浮かべるキツネに、私は頬を緩める。
「ありがとう、バハル」
「いいえ……元はと言えば、辛い思いをしているベアトリス様のところへ駆けつけられなかった自分のせいだから」
『そうすれば、あんな男に引っ掛かることもなかった』と言い、バハルは少しばかり視線を下げた。
「ベアトリス様を亡くしてから、ずっと後悔していたの……どうして、自分の方から会いに行かなかったのか?って」
「えっ?でも、それは精霊の特性上しょうがないんじゃ……?」
「そんなことはないわ。確かにマナを得られなければ死んでしまうけど、常時住処に居ないと死ぬという程じゃないの。短時間であれば、周辺を探すくらいは可能よ。だから────」
そこで一度言葉を切ると、バハルはニンフ山のある方向を見つめた。
「────他の管理者が目覚めて体制を整えたら、探しに行こうと思っていたの」
『まあ、それより早くベアトリス様が会いに来てくれたけど』と述べ、バハルはうんと目を細める。
どこまでも無邪気で優しい笑みに、私は目を剥いた。
『そうまでして、私に会いに……』と衝撃を受けて。
「リスクのある行為だけど、前回のように何も出来ず……何もせず、失うことだけは嫌だったから。たとえ、その途中で死んだとしても悔いはないわ」
「バハル……」
清々しいとすら感じる迷いのない物言いに、私はただただ戸惑う。
でも、決してバハルの気持ちを否定はしなかった。
色々悩んだ末に出した結論であることを理解しているため。
「そっか。じゃあ、私の方から会いに行かなくてもいつかは会えたのね」
この出会いは必然なんだと……運命なんだと思うと少し嬉しくなり、私は柔らかい笑みを浮かべた。
と同時に、バハルの頬を手の甲で撫でる。
「でも、貴方に無理をさせるのは嫌だから────やっぱり、あの日会いに行って正解だったわ」
ルカとグランツ殿下の提案から始まり、お父様の決定で行くことになったニンフ山。
何か一つでも間違っていたら会いに行けなかった事実を噛み締め、私は
「あの日、あの時、あの場所でバハルに出会えて良かった」
と、心の底から思った。




