デビュタント
◇◆◇◆
────デビュタントに向けて準備を始めてから、早二ヶ月。
夏の訪れを感じさせる温かい日差しが降り注ぐ頃、ついにパーティー当日を迎えた。
「ベアトリス様、綺麗」
『ほぅ……』と感嘆の息を漏らし、バハルはうっとりとした様子でこちらを見つめる。
一目でお世辞じゃないと分かる賛辞に、私は頬を紅潮させた。
まだ誰かに褒められるのは、慣れてなくて……。
それにお父様の用意してくれたこのドレス、私にはちょっと派手だと思うし……。
輝いているとすら感じる金色のドレスを見下ろし、私は白のグローブを軽く引っ張る。
ちょっと皺が出来ていたから。
「ありがとう、バハル」
毛がつかないよう距離を取ってくれているキツネに微笑み、私は鏡へ向き直った。
すると、白のカチューシャやムーンストーンのイヤリングが目に入る。
父が色々悩んで決めてくれたものだからか、いつもの髪型でも凄く華やかに見えた。
『それでも、やっぱり派手すぎるような……?』と思案する中、部屋の扉をノックされる。
「ベアトリスそろそろ時間だが、準備は出来たか?」
お父様……!
姿が見えずとも声で分かる大好きな家族の来訪に、私はパッと表情を明るくした。
と同時に、扉へ駆け寄る。
「お待たせしました。いつでも出発出来ます」
扉を開けて廊下へ出ると、私は父の姿に少し驚く。
だって────私と同じく、金色をベースにした装いだったから。
恐らく、わざとお揃いにしたのだろう。
『衣装の準備を請け負ってくれたのは、そういうことか』と納得しながら、私は頬を緩めた。
「とても綺麗です、お父様」
「それはベアトリスの方だろう。今回の主役は我が娘で決まりだな」
『皇帝すら霞んで見えることだろう』と言い、父はこちらに手を差し伸べる。
「多少外野がうるさいかもしれないが、ベアトリスは自分のことだけ考えていればいい。話し掛けられたからと言って答えてやる必要も、ダンスに誘われたからと言って応じてやる必要もない。お前は私の一人娘であり、バレンシュタイン公爵家の次期当主なんだから。好きに振る舞いなさい」
『こういう時のための権力だ』と強気に言い放ち、父は少しだけ笑った。
何も心配する必要はないんだぞ、とでも言うように。
「はい、お父様」
笑顔で首を縦に振る私は、差し出された手に自身の手を重ねた。
そして父にエスコートされるまま馬車へ乗り込むと、皇城へ向かう。
初めての外出と違い、きちんと道路を通っていくためちょっと楽しかった。
前回は迎えに来てくれたジェラルドと話してばかりで、よく景色を見られなかったから。
『街って、こんな風になっているのね』と目を輝かせる中、馬車は高く聳え立つ城へ到着した。
前回も何度か来たことがあるけど、本当に大きいわね。
『壮観』の一言に尽きる建物を前に、私は馬車を降りる。
残念だが、バハルとはここで一旦お別れだ。
さすがに飲食物もあるパーティー会場へ、動物は連れて行けないから。
まあ、実際は精霊なんだが……。
「バハル、退屈だったら一足早く屋敷に帰ってもいいからね」
「ううん、大丈夫よ。待つのは、慣れているから」
「そこに軽食を置いてあるから、適当に食べておけ」
「精霊は食事しなくてもいいんだけど……まあ、ありがとう」
ベーグルサンドの入ったバスケットを一瞥し、バハルはちょっとつれない態度を取る。
でも、これは単なる照れ隠しで……本当は喜んでいる筈だ。
だって、バハルは人間の食べ物に凄い関心を持っているから。
この前だって、シェフの作ったケーキを『美味しい美味しい』と平らげていた。
『精霊って、案外食いしん坊なのかも』と思いつつ、私は小さく手を振る。
「それじゃあ、また後でね」
『お見送りありがとう』と言い残し、私は父と共に皇城の中へ入った。
そこで案内役の侍従に招待状を見せ、会場へ連れて行ってもらう。
開きっぱなしの扉を前に、私は小さく深呼吸した。
『いよいよ、本番ね』と意気込む中、衛兵は大きく息を吸い込む。
「────リエート・ラスター・バレンシュタイン公爵閣下と、ベアトリス・レーツェル・バレンシュタイン公爵令嬢のご入場です!」
その言葉を合図に、私達は会場内へ足を踏み入れ、注目の的となった。
親子でデビュタントに参加するのは前代未聞だからか、皆面食らっている。
「ちょっと、あれっていいの?」
「ダメ……ではないと思うが、普通はやらないな」
「結婚が遠のくものね」
「パートナーを引き受けたり、お願いしたりして結ばれる縁もあるからな」
ヒソヒソと囁かれる言葉の数々に、私は少し萎縮してしまう。
一応、覚悟はしていたが……人に注目されるのは、やはり慣れない。
『早く違うものに興味が移らないかな……?』と考えていると、父が不意に顔を上げた。
「最近の小鳥は随分と囀るな。舌を切り落とされたいのか?」
「「「ひっ……!」」」
ビクッと大きく肩を揺らして、周囲の人々は口を噤んだ。
と同時に、下を向く。
父と視線を合わせないように。
「ここはいつから、野鳥を放し飼いするようになったんだか」
言葉の端々に嫌悪感を滲ませながら、父は一人一人順番に視線を向けていく。
────と、ここで視界の端に金髪を捉えた。
「────まあ、そう怒らないでくれ、友よ」
そう言って、父の肩を軽く叩いたのは────ルーチェ帝国のトップである、エルピス・ルーモ・ルーチェ皇帝陛下だった。
胸辺りまである金髪を揺らし、私達の前に躍り出た彼はアメジストの瞳をスッと細める。
その後ろには、グランツ殿下やジェラルドの姿もあった。
覚悟はしていたけど……やっぱり、ジェラルドを見ると緊張するわね。
でも、グランツ殿下がさりげなくジェラルドの姿を隠してくれているおかげか、思ったより恐怖はない。
あくまで『今のところは』の話だけど。
『話し掛けられたら、また違うんだろうな』と思案する中、父は面倒臭そうに眉を顰める。
「いつの間に入場していらしたんですか」
「ついさっきだよ。まあ、公爵の気迫に呑み込まれて皆気づいていないようだったが」
「……それは失礼しました」
「いやいや、構わないさ」
『はっはっはっはっ!』と軽快に笑い飛ばし、エルピス皇帝陛下はバシバシと父の背中を叩いた。
かと思えば、軽く挨拶して奥へ歩を進める。
そろそろ、パーティーの開始時刻が迫っているのだろう。
『前回同様、凄く豪快な人だな』と考えていると、エルピス皇帝陛下らが玉座に腰を下ろした。
その途端、辺りは一層静まり返る。
「皆の者、今日は余の主催するデビュタントパーティーへよく来てくれた。心より感謝すると共に、本日社交界デビューを果たす若人達に祝福の言葉を送る。本当におめでとう」
『これで君達も立派な紳士淑女だ』と語り、エルピス皇帝陛下は穏やかな笑みを浮かべた。
と同時に、隣の隣……グランツ殿下を挟んだ向こうに居るジェラルドを見つめる。
「既に知っている者も居るだろうが、我が息子のジェラルドも本日社交界デビューを果たす。まだまだ未熟なやつだが、余の愛する子供だ。是非仲良くしてやってくれ」
親としての愛情か、エルピス皇帝陛下はジェラルドに少しばかり配慮した。
きっと、グランツ殿下と違って後ろ盾のない……母親の居ないことを気にしているのだろう。
皇位継承権争いにおいて、皇子の母親────皇后や皇妃は重要になってくるから。
逆行前も含めて会ったことのないジェラルドの母について思い返す中、私は父から果実水の入ったグラスを受け取る。
と同時に、エルピス皇帝陛下が立ち上がった。
「それでは、若人達の門出を祝して────乾杯」




