精霊
『聞いていた話と違う』と戸惑い、私はルカやグランツ殿下へ視線を向ける。
が、彼らもこれは予想外だったようで『分からない』と首を横に振られるだけだった。
困惑した様子で精霊を眺める彼らを他所に、父は精霊を投げ捨てる。
「ベアトリスの腕に負担が掛かるから、抱っこはここまでだ」
地面に着地したピンク色のキツネを一瞥し、父は『疲れてないか?』と声を掛けてきた。
体調を気遣う彼に対し、私は苦笑を浮かべる。
「私なら、大丈夫ですわ」
「なら、いいが……無理はするな。それから────」
そこで一度言葉を切ると、父は上手にお座りする精霊を見下ろした。
「────さっさと契約した方がいい。今日中にあと三箇所回らないといけないからな。時間を掛けるのは、得策じゃない」
夕方までにはここを発たないといけないため、父は珍しく急かしてくる。
何としてでも、野外研修を一回で終わらせたいのだろう。
「契約の仕方は分かるか?」
「はい。確か名付けをして、それが精霊に受け入れられれば成立するんですよね?」
「ああ、そうだ。セイでもレイでも何でもいいから、名付けてみなさい」
精霊という単語から取ったであろう二つの名前に、私は苦笑を漏らす。
別に意味や響きは悪くないと思うが、ちょっと安直すぎる気がして。
『私の名前はお母様が付けてくれたのかしら?』なんて考えながら、精霊へ向き直った。
と同時に、膝を折る。
「えっと……もう分かっていると思いますが、私は貴方と契約したいんです。私の魔力は無属性で、魔法を使えないから……」
魔道具である程度、補えているものの……純粋な魔法と呼べる力はなかった。
でも、精霊と契約すれば普通の魔導師と遜色ない力を手にすることが出来る。
「精霊は契約者の魔力を借りて、自然を操れると聞きました。なので、その……力を貸してほしいんです。私が魔法を使えるように」
────そして、自分の身を守れるように。
とは言わずに、そっと精霊の前足を握った。
満月のような黄金の瞳を前に、私は一つ深呼吸する。
『ダメだったら、どうしよう』という不安を一旦押し込め、柔らかく微笑んだ。
「もし、私の願いを聞き届けていただけるならどうかこの名前をもらってください────バハル」
古代語で春を意味する言葉を与えると、精霊はキャンと吠える。
その瞬間、花の甘い香りがここら一帯を包み込み、とても心地よい感覚に見舞われた。
かと思えば、
「四季を司りし天の恵み、ベアトリス・レーツェル・バレンシュタイン様。春の管理者バハルが、ご挨拶申し上げます」
と、聞き覚えのない声が耳を掠めた。
ハッとして目を見開く私は、まじまじとキツネを見つめる。
「い、今バハルって……じゃあ、この声は……」
「はい、私めの声にございます」
優雅にお辞儀しニッコリ微笑むバハルに、私はもちろん……父やグランツ殿下も目を剥いた。
「契約したら精霊が人間の言葉を話せるのは知っていたが、まさかこんなに流暢に喋れるとは……」
「大抵はカタコトだって、聞いたんだけど……」
『個人差あるのかな?』と頭を捻るグランツ殿下に、バハルはチラリと視線だけ寄越す。
「私は千年以上生きた精霊なので、特別なのです」
「へぇー。そんなに長くここに居たんだ。他の誰かと契約する気はなかったの?」
僅かに身を屈め、グランツ殿下は『ずっと同じ場所に留まるのは退屈だろう?』と問うた。
というのも、精霊は基本生まれた場所から動けないから。
どういう理屈かは分からないのだが、生まれた場所から生成されたマナ以外吸収出来ないのだ。
精霊にとって、マナは命の源そのもの。ないと困る。
でも、人間と契約した場合は別で……契約者から魔力、もといマナを吸収出来るようになるため自由に動けた。
「私達季節の管理者は、四季を司りし天の恵みと出会うため生まれてきました。他の者と契約し、この地を離れるなど言語道断です」
少し眉間に皺を寄せながら、バハルは答える。
────と、ここでイージス卿が手を挙げた。
「あの!さっきから気になっていたんですけど、その『季節の管理者』とか『四季を司りし天の恵み』とかどういう意味なんですか!」
心底不思議そうに首を傾げるイージス卿に、バハルは一つ息を吐く。
まずはそこからか、とでも言うように。
「季節の管理者は分かりやすく言うと、精霊を束ねる者達のことです。人間達は精霊王と呼んでいるようですが」
『正式名称はこっちです』と語り、バハルはこちらを見つめる。
「それから、四季を司りし天の恵みは我々季節の管理者を従えることが出来る唯一の存在のことを指します」
「えっ……?」
「ベアトリス様のことですよ」
ポスッと私の靴に前足を置き、バハルは穏やかに微笑んだ。
「ずっとずっとお待ちしておりました、私はもちろん────他の三名も」
「他の……」
「はい。あと、夏・秋・冬の管理者が居ります。ただ、今は三名とも深い眠りに入っていまして……接触するのは難しいかもしれません。ただ、そう遠くない未来に会える筈ですよ」
『心配は要りません』と言い、バハルは膝に頭を擦り付けてきた。
「ですから、今は……今だけは私に独占させてください、ベアトリス様のことを────今度こそ、守ってみせますから」
今度こそ……?まるで、一度守れなかったみたいな言い方をするのね。
単なる言葉の綾かしら?
「ベアトリス様、これからどうぞよろしくお願いします」
「え、ええ、こちらこそ。バハルの契約者になれて、とても光栄です」
反射的に言葉を返すと、バハルはうんと目を細めた。
黄金の瞳をこれでもかというほど、輝かせながら。
「いえいえ、それはこちらの言葉です。あと、敬語はどうかおやめください。我々季節の管理者は四季を司りし天の恵みの手足であり、下僕であり、手段ですから。そのように畏まる必要はありません」
まるで自分のことを物のように扱い、バハルは『もっと気楽に接してください』と述べる。
こっちが申し訳なくなるほど謙るキツネに、私は眉尻を下げた。
「それはえっと……難しいかもしれません。私にとって、精霊はとても凄い存在で……一種の憧れですから」
「身に余るお言葉です。ですが、我々にとっても四季を司りし天の恵みは崇高な存在であるため、そのように畏まられると気後れしてしまい……」
困ったように笑うバハルに、私は『いや、でも……』と食い下がる。
その応酬が暫く続き、着地点を見極めていると────グランツ殿下が身を乗り出してきた。
「いっそのこと、二人とも畏まった態度をやめるというのはどうだい?」
「「えっ?」」
「互いに友達のように振る舞えばいいよ」
『どうだ、名案だろう?』とでも言うように、グランツ殿下は胸を反らす。
喧嘩両成敗のような展開に、私とバハルは顔を見合わせた。
「えっと……私はバハルさえ良ければ、それで……」
「正直、恐れ多いですが……ベアトリス様が敬語をやめて下さるなら、その……努力します」
「じゃあ、決まりだね。今この瞬間より、二人は友人だ。気楽に接したまえ」
『はい、これで解決』と笑い、グランツ殿下は身を起こした。
かと思えば、雲一つない青空を見上げる。
「さて、そろそろ引き上げようか。バハルの話によると、他の三名は眠っているみたいだし」
『行っても会えないだろう』と主張し、グランツ殿下は父の方を振り返った。
すると、父は少し迷うような動作を見せてからこう答える。
「いえ、せっかくの外出ですからもう少しここに居ましょう。辺りを散歩するだけでも、ベアトリスにとっては貴重な体験になると思います」




