野外研修
「降りるぞ」
山に続く森を見据え、父は『ここから歩きだ』と告げた。
────と、ここでイージス卿が率先して馬車を降りる。
周辺の様子を確認してからこちらに向き直り、『どうぞ』と促した。
それを合図に、父やグランツ殿下も地上へ降り立つ。
私は一体、いつまでお父様に抱っこされていればいいのかしら?
『ちゃんと歩けるんだけど……』と思案していると、護衛のサンクチュエール騎士団が駆け寄ってきた。
騎士の礼を取って挨拶する彼らは、いそいそと陣形を整える。
「公爵様のご命令通り、下調べはしっかり行いました。安全なルートも確保済みです」
「よくやった」
珍しく手放しで褒め称え、父はニンフ山を見上げる。
「何人か、馬車の警備に残して山へ入るぞ」
「「はっ」」
即座に応じる姿勢を見せたサンクチュエール騎士団に、父は小さく頷き歩き出す。
抱っこしたまま行く気なのか、その足取りに迷いはなかった。
「公爵様は相変わらず、過保護だな」
ゲンナリした様子で父を見つめ、ルカは『ったく、立派な親バカになりやがって』と零す。
すっかり呆れ返っている彼を他所に、私達一行は森の中へ入った。
「まずはここから一番近い大木の元へ行きましょう」
「ああ、案内は任せる」
「畏まりました」
そう言うが早いか、サンクチュエール騎士団の団長フィリップ・アーロン・ヒックス卿は先頭へ躍り出た。
『こちらです』と促す彼に、父達は黙ってついて行く。
すると、直ぐに────美しい緑を纏う大木が見えてきた。
す、凄く大きい……正直、ここまでとは思ってなかったわ。
屋敷より巨大な木を前に、私は目を白黒させる。
「ここに精霊が……」
「ああ、恐らくな」
大木の前で足を止め、父はゆっくり私を下ろす。
そして、地に足をつけた瞬間────大量の葉っぱが降ってきた。
それも、私目掛けて。
「うわっ……!?」
あっという間に葉っぱまみれになった私は、『何!?』と困惑する。
でも、おかげで精霊の存在を確信出来た。
だって、こんなことが出来るのは自然の管理者だけだから。
まだ姿は見えないけど、どこかに居る筈……!
キョロキョロと辺りを見回し、私は必死に目を凝らした。
が、急に腕を引っ張られる。
「ベアトリスお嬢様、お下がりください!」
「こんなのどう考えても、異常です!」
「絶対に私達の傍から、離れないでください!」
サンクチュエール騎士団の方々は葉っぱを攻撃と捉えたのか、思い切り身構える。
『早く撤退を……!』と焦る彼らの前で、父は私の頭に載った葉っぱを取り払った。
「大丈夫だ。あちらに敵意はない。恐らく、ちょっとしたイタズラのつもりなんだろう」
『放っておけ』と告げる父は、おもむろに後ろを振り返る。
「イージス」
「はい!」
「精霊はどこに居る?」
「分かりません!精霊に会ったことないので!」
清々しいほどの即答に、父は少し考え込むような動作を見せた。
かと思えば、葉っぱを一つ手に持った。
「じゃあ、質問を変える。この葉っぱに含まれる力を一番感じる場所は、どこだ?」
「あっ、それならあちらです!」
ここから見える一番太い枝を指さし、イージス卿は『アレが精霊ですか!』とワクワクする。
相変わらずの勘の良さを発揮する彼の前で、父は少し身を屈めた。
「ベアトリス、あそこに向かって話しかけてみなさい」
「えっ?でも……姿を見せないということは、あちらに対話する気ないのでは?」
「それはやってみないと、分からない」
『やる前から諦めてどうする』と主張する父に、グランツ殿下も同調した。
「第一、姿を見せない理由が『会話したくないから』とは限らないだろう?ただの人見知りかもしれないし」
「てか、本気で接触する気がないなら葉っぱを降らせて、気を引くような真似はしねぇーだろ」
『あれは完全にカマチョだ』と明言するルカに、私は少しだけ頬を緩める。
ルカ達がそう言うなら……頑張ってみようかな。
ギュッと胸元を握り締め、私はイージス卿の示した場所へ視線を向けた。
「ぁ……えっと、私はベアトリス・レーツェル・バレンシュタインと言います。今日は精霊に会いたくて、ここまで来ました。良ければ、その……姿を見せてくれませんか?」
『失礼のないように』と気をつけながら、話し掛けると────例の枝にピンク色のキツネが現れる。
小型犬サイズのソレはフサフサの尻尾を揺らして、枝から舞い降りた。
かと思えば、こちらまで歩いてくる。
「ほう。これが精霊か。思ったより、可愛らしい見た目だね」
「つーか、こんなにあっさり接触を許すなんて意外だな。公爵様を連れてきたからか?」
警戒心皆無の精霊を前に、ルカは『やっぱ、選ばれし者は違うな〜』と零す。
────と、ここで精霊が私の足に頭を擦り付けてきた。
まるで、好意を表すかのように。
「す、姿を見せてくれてありがとうございます。その……凄く嬉しいです」
足に当たるフワフワした感触に頬を緩めつつ、私は『ここから先、どうしよう?』と悩む。
いきなり契約の話を出していいものか、分からなくて……。
『雑談しようにも、話題が……』と困っていると、精霊が前足で私の膝を叩いた。
かと思えば、二本足で立ったままこちらを見上げる。
「これはどういう反応かしら……?」
「抱っこしてほしいんじゃないですか?多分」
横から顔を覗かせてきたイージス卿は、『ほら、抱っこしやすいよう前足を広げているし』と述べる。
だ、抱っこ……?私が?精霊を?
それって、失礼にならない?というか、何でこんなに好意的なの?
『お父様が居るにしても、これは……』と疑問に思いつつも、私は一先ず膝を折った。
すると、精霊は嬉々として抱きついてくる。
「い、イージス卿の言う通りだったわね」
ご機嫌で頬擦りしてくる精霊に、私は目を白黒させた。
『精霊って、案外甘えん坊なのかしら?』と考えながら精霊の体に手を添え、立ち上がる。
「凄い懐いているね。人馴れしているのかな?」
興味深いといった様子でこちらを見つめ、グランツ殿下は手を伸ばす。
恐らく、精霊の頭を撫でようとしたのだろう。
これだけ好意的なら大丈夫だ、と判断して。
でも────
「おっと、私は好かれていないようだ」
────険しい顔付きで精霊に威嚇され、グランツ殿下は慌てて手を引っ込めた。
『残念』と零す彼の横で、父は精霊をつまみ上げる。
その途端、精霊は低く唸るものの……グランツ殿下の時のように、牙を剥き出しにして怒ることはなかった。
ただ、好意的な態度とは程遠い。
あ、あら……?精霊はお父様を慕っていたんじゃないの?
だから、娘の私にも好意的に接してくれたんじゃ……?




