外出
「ベアトリスと初めての外出……これは最高の思い出になるよう、準備しないといけないな」
────と、決心するや否や……父は急いで書斎へ戻った。
それも、窓から……。
『さっき、注意されていたのに』と苦笑する中、微かにユリウスの怒鳴り声……いや、懇願が耳を掠める。
えっと……とりあえず、山場は越えたと見ていいのよね?
『結局、撤回はなかったし……』と考えつつ、私は弓の練習に戻る。
────そして、グランツ殿下やイージス卿からアドバイスを貰い、少しずつ腕を上げていくこと二週間……野外研修を行う日が来た。
夜明けに合わせて身支度を済ませ、玄関前に集まった私は思ったより少ない面子に首を傾げる。
「グランツ殿下、護衛などはいらっしゃらないんですか?」
見送りのユリウスも含めて五人しか居ないため、私は『ちょっと不用心なんじゃ?』と考える。
だって、ここには皇族も居るのだから。
「あぁ、護衛とは現地集合する予定なんだよ」
「えっ?どうしてですか?」
『道中の警備は?』と困惑する私に、グランツ殿下は小さく肩を竦めた。
かと思えば、目の前にある馬車を指さす。
「あれは魔道具の一種で、空を飛べるんだ。だから、道中の警備はほとんど必要ない。というか、出来ない」
「確実に定員割れするからな。まあ、あの馬車には認識阻害の加工も施されているし、護衛なんか居なくても大丈夫だろ」
グランツ殿下の横に並ぶルカは、『地上よりずっと安全』と零す。
「何より、こっちには光の公爵様も居るんだ。問題ねぇーって」
『世界を滅ぼせる力の持ち主なんだぞ』と語るルカに、私は思わず納得してしまった。
確かにそれなら問題なさそうだ、と。
「ベアトリス、こっちへ来なさい」
馬車の前で待機する父は、こちらに手を差し伸べる。
どうやら、乗車を手伝ってくれるらしい。
「はい、お父様」
なんてことない動作が、優しさが、気遣いが嬉しくて……私はついつい笑みを漏らしてしまう。
以前までなら考えられなかった光景を前に、ゆっくりと歩を進めた。
浮き立つような気分になりながら父の手を取ると、そのまま抱き上げられる。
てっきりエスコートしてくれるものだと思っていたため、私は一瞬固まった。
『ん……?あれ?』と混乱する中、父は馬車へ乗り込み、座席へ腰を下ろす。
そうなると、必然的に私は父の膝の上へ座ることになる訳で……。
「公爵様……いえ、何でもありません。もう好きにしてください」
『公爵様なら死んでも落とさないでしょうし』と呟き、ユリウスは小さく頭を振った。
もう何もかも諦めた様子の彼を他所に、グランツ殿下とイージス卿が向かい側の座席へ腰掛ける。
一応、ルカも中に居るが……体質上、座れないので棒立ちだった。
「では、皆さんお気をつけて。くれぐれも、無理はしないようにしてくださいね」
『何かあれば、連絡を』と言い残し、ユリウスは馬車の扉を閉める。
と同時に、数歩後ろへ下がった。
「行ってらっしゃいませ」
そう言って頭を下げるユリウスに、私達は『行ってきます(行ってくる)』と返す。
────と、ここで父が天井から伸びる紐を腕に巻き付けた。
『なんだろう?』と疑問に思っていると、馬車は急に動き出す。
数十メートルほど普通に地面を走るソレは、徐々に浮き上がり、やがて空へ羽ばたいた。
「ほ、本当に空を飛んだ……」
別にグランツ殿下の言葉を疑っていた訳じゃないが、なんだか夢のようで……私は感嘆の息を漏らす。
と同時に、理解した。
恐らく、あの紐は魔力を供給するためのもので今まさに父が魔力を込めているのだろう、と。
こんなに大掛かりな魔道具を動かすには、かなりの魔力を消費する筈。
それなのに、顔色一つ変えないなんて。
『お父様の魔力量はどうなっているのかしら?』と思案する中、ふと朝日を目にする。
山の後ろから徐々に顔を出すソレを見つめ、私は瞠目した。
「綺麗……」
神秘的とも言える光景に、私はついつい見入ってしまう。
そのまましばらく放心していると、グランツ殿下とイージス卿の笑い声が耳を掠めた。
「ベアトリス嬢は本当に愛らしいね」
「いつも大人っぽいので、こういう反応は新鮮です!」
『微笑ましい』と言わんばかりの表情を浮かべる二人に、私は羞恥心を擽られた。
わ、私ったら子供っぽい対応を……中身は十八歳なのに。
頬が熱くなっていく感覚を覚えながら、私は身を縮める。
────と、ここで父に頭を撫でられた。
「楽しいか?ベアトリス」
「えっ?あっ、はい。凄く楽しいです」
「なら、いいんだ」
満足そうな顔でこちらを見つめ、父は窓の外へ視線を向ける。
「あの一番大きい山、見えるか?」
「はい」
少し奥の方にある自然豊かな山を見据え、私は『あそこだけ、明らかに他と違うのよね』と考える。
何が、と問われたら答えられないが……どうも、違和感を覚えるのだ。
親近感とでも言おうか……。
「あそこは『ニンフ山』と呼ばれていて、昔から精霊の目撃情報が絶えない場所だ」
「噂によると、自我を持つ精霊が四体も居るらしいよ。細かい場所はそれぞれ違うけど、確か……火の粉の舞う山頂、深淵の見える湖、枯葉のない大木、風の吹く洞窟だったかな?」
『どれも特徴的だから、行ってみれば分かる筈』と零し、グランツ殿下はニッコリ微笑んだ。
「いやぁ、楽しみだね。ベアトリス嬢の講義のためとは分かっているんだけど、まるで少年のようにワクワクしてしまうよ。私も精霊に会うのは、初めてだからさ」
「えっ?そうなんですか?」
「ああ。一応、何度か召喚魔法で接触を図ったことはあるんだけど……尽く不発でね」
────召喚魔法。
特定の人物を呼び出すもので、精霊も効果対象に含まれる。
ただし、呼び出された側には召喚を拒否する権利があるため、強制力はなかった。
まあ、無属性の私ではこの方法を試すことすら出来ないけどね。
もし、出来るならこんな回りくどい方法は取らない。
だって、召喚魔法の方がもっと早く確実に精霊との接触を図れるから。
たとえ、召喚を拒否されたとしても『あぁ、精霊師の素質はないんだな』って分かるし。
『こうやって、地道に精霊を探していくのは結構大変なのよね』と苦笑する中、グランツ殿下は嘆息する。
「今度こそ、会えるといいんだけど……精霊は基本目に見えないから、気づかずスルーしてしまいそうだ」
「あれ?でも、確か自我のある精霊は任意で姿を現せるんですよね?」
講義で習った内容を思い返す私に、父は小さく頷く。
「ああ、そうだ。ただ、あくまで任意だから気分によっては姿を現さずに終わるだろう」
『全ては精霊次第』と言い、父はおもむろに紐を引いた。
すると、馬車はゆっくり降下していく。
どうやら、目的地に着いたらしい。
『空から真っ直ぐ来たからか、随分と早かったな』と驚く中、馬車は無事着地した。
と同時に、父は紐を解く。
「降りるぞ」




