父の説得
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────魔道具の扱い方について、学び始めてから早一ヶ月。
グランツ殿下やルカ、時々父の力も借りて私は着実に成長していた。
と言っても、練習したのはどちらかと言うと武器に関する分野だけど。
「ベアトリスお嬢様、肩の力は抜いてください!もっと、リラックスを!」
五十メートルほど離れた場所からこちらを見つめるイージス卿は、身振り手振りでコツを教える。
それに従い、私は弦をゆっくりと引いた。
弓矢はセットしていないので、普通のものに比べると大分軽い。
「そうそう!そんな感じです!では、弦から手を離してください!」
「え、ええ」
正直イージス卿目掛けて、弓を射るのは気が進まないが……これも練習なので、指示に従う。
すると、弦の動きに合わせて────半透明の矢が放たれる。
風の力を圧縮したソレは真っ直ぐ飛んでいき、イージス卿の剣によって切り裂かれた。
「大分、良くなってきましたね!次は動いている的に当てる練習と、連続で射る練習をしましょうか!」
『基礎はもうバッチリなので!』と力強く断言し、イージス卿は軽やかな足取りで走り出す。
時々フェイントなどを掛けながら。
い、いきなり難易度が上がり過ぎでは……?
『ちゃんと出来るかな?』と不安に思いつつも、隣に立つルカが何も言わないので一先ず弓を引いた。
動き回るイージス卿を目で追いながら、どんどん魔法の矢を放っていく。
案の定、一つも当たることはなかったが……いや、当たっても困るんだけども終始イージス卿に翻弄されっぱなしだった。
「私って、弓の才能ないのかしら?」
「いや、始めて数週間でこれだけ出来れば上等だろ。命中こそしてないけど、ちゃんと相手の動きを捉えているし」
毎回『あと一歩』というところで躱されている点を指摘し、ルカは呆れたように笑う。
お前は理想が高すぎるんだ、とでも言いたげな表情だ。
「それより、問題はあっちだろ。今日もめちゃくちゃ難航しているぜ」
そう言って、ルカは父の書斎を指さす。
釣られるままに視線を上げると、窓越しに父とグランツ殿下の姿が見えた。
何やら話し込んでいる様子の二人は、どことなく重苦しい雰囲気を放っている。
「公爵様がグランツの提案を尽く、却下している。あの分だと、精霊との接触はまだまだ先になりそうだぜ」
『マジでこっそりやることになるかもな』と言い、ルカは肩を竦めた。
「まあ、公爵様の過保護っぷりは今に始まったことじゃないし、気長に待つか。武器型魔道具の練習を提案した時だって、一週間くらい説得に時間が掛かったし」
私の手にある白い弓を一瞥し、ルカは『あと何週間掛かることやら』と嘆息した。
「仮に許可されたとしても、色々条件や制約はあるだろうな。武器型魔道具のときみたいに」
やれやれと頭を振るルカに対し、私は苦笑を浮かべる。
父に提示された約束事は確かに面倒かもしれないが、私にとっては愛情の裏返しだから。
武器の種類を弓に限定したのは、使用者への危険が比較的少ないから。
イージス卿を練習に参加させるよう、言ったのも危険を減らすためだろう。
また、練習場所を中庭に指定したのは書斎から近く、逐一様子を確認出来るのが理由。
いざという時は窓から飛び降りて、駆けつけるつもりみたい。
『書斎は四階なのに』と思案する中、不意に父がこちらを向いた。
かと思えば、窓を開けてこちらに手を伸ばす。
「きゃっ……!?」
父の魔法か体が宙に浮き、私は反射的に声を上げた。
すると、直ぐに下ろされる。
『あれ?』と首を傾げる私の前で、父は────四階から飛び降りた。それも、魔法を使わずに。
「お、お父様……!?」
怪我するんじゃないかと気が気じゃない私は、不安を募らせる。
が、それは杞憂だったようで……父は華麗に着地した。
きちんと体を鍛えていたからか、怪我もない。
『よ、良かった……』と胸を撫で下ろす中、今度はグランツ殿下が降りてきた。
と言っても、父のような方法ではないが。
ちゃんと風魔法を使って衝撃を減らし、安全に地上へ降り立った。
「公爵、ユリウスから伝言だよ。『窓じゃなくて、玄関から外へ出てください』だって。もちろん、ベアトリス嬢を宙に浮かせて窓から招き入れるのも禁止」
「……後半の内容は胸に留めておく、とお伝えください」
「いや、直接言いなよ。私は伝書鳩か何かかい?」
「ユリウスはなんだかんだ口うるさいので、あまり話したくないんです」
「それを聞いたら、ユリウスは大泣きしそうだ」
苦笑にも似た表情を浮かべ、グランツ殿下は『もう少し優しくしてあげなよ』と述べる。
が、父は何も答えなかった。
「そんなことより、ベアトリス」
「は、はい」
「少し話がある。練習を一度中断してもらっても、いいか?」
「もちろんです」
ちょうど集中力が切れかかっていたこともあり、私は父の申し出を受け入れる。
と同時に、オレンジ髪の青年へ視線を向けた。
「イージス卿、少し休憩にしましょう」
「了解です!」
ビシッと敬礼して応じるイージス卿は、即座に剣を仕舞う。
そして、こちらへ駆け寄ってきた。
あれだけ動き回っていたのに、汗一つ掻いてない。
イージス卿にとって、アレは運動にすら入っていないのね。
爽やかの一言に尽きるイージス卿の様子に、私は目を剥く。
『その場から一切動いていない私の方が疲れている……』と情けなく思う中、父が身を屈めてきた。
まるで、目線を合わせるかのように。
「ベアトリス」
「はい」
「精霊に会いたいか?」
どことなく既視感を覚える質問に、私はなんだか嬉しくなった。
お父様はいつも、私の意思を確認してくれる。
武器型魔道具の使用を許可する時だって、私に『どうしたい?』と尋ねてくれた。
それで、私が『練習してみたいです』と答えたら条件付きで許してくれたの。
今でも鮮明に覚えている記憶を手繰り寄せ、私はじっと青い瞳を見つめ返す。
「お父様、私は精霊に会ってみたいです」
逆行前、世界を滅亡させるためとはいえ、お父様に力を貸してくれた存在だから。
たとえ、縁を繋ぐことは出来ずとも一目見てみたかった。
「そうか……分かった。精霊に会うことを……野外研修を許可しよう」
渋々といった様子で首を縦に振り、父は妥協する姿勢を見せた。
思わず表情を明るくする私に対し、彼はスッと目を細める。
「ただし────私も同行する。これが条件だ」
案の定とでも言うべきか、父はこちらにも折れるよう求めてきた。
『ここまで譲歩したんだから』と訴えかけてくる彼の前で、私はチラリとグランツ殿下に目を向ける。
すると、苦笑しながら肩を竦める彼の姿が目に入った。
どうやら、父の同行を認める形で話がついているらしい。
『これ以上の交渉は無理そうだった』と口の動きだけで伝えてくる彼に、私は小さく頷いた。
「分かりました。お父様も一緒の方が心強いので、助かります」
条件を受け入れる姿勢を見せると、父は僅かに目元を和らげる。
「そうだろう。私はこの世の誰よりも強いからな」
「はい。それにお父様とお出掛けするのは、初めてなので……」
「!!」
ハッとしたように目を見開く父は、こちらを凝視した。
何やら衝撃を受けている様子の彼に、私はパチパチと瞬きを繰り返す。
「あっ、ちゃんと分かってますよ。あくまでこれは講義の一環で、お遊びじゃないって」
『ちゃんと勉強に集中する』と主張し、私は父の顔色を窺った。
まさか、外出許可を撤回するんじゃないかと内心ヒヤヒヤしていると、父が何やら独り言を呟く。
「ベアトリスと初めての外出……これは最高の思い出になるよう、準備しないといけないな」




