第二皇子の来訪
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「第二皇子ジェラルド・ロッソ・ルーチェ殿下が、来訪されました」
じぇ、ジェラルドが……?
予想と全く違う報告に、私はゆらゆらと瞳を揺らした。
遠征隊の悲報じゃなかったのは幸いだが、前回自分を殺した人物の来訪は……どう頑張っても、喜べない。
「どうやらお忍びで城下町に向かおうしたところ、間違って公爵領行きの馬車へ乗ってしまったようで……城からの迎えを待つ間、ここに置いてほしいとのことです」
『恐らく、五時間程度の滞在になるかと』と述べるユリウスに、私は何も言えなかった。
ただただ震えて……下を向いているだけ。
貴族の模範解答としては、今すぐ招き入れておもてなしするべきなのに。
どうしても、屋敷へ……自分の領域へ入れたくなくて、口を噤んでしまった。
ど、どうしよう……?どうするべき?どうしたら、いいの?
たくさんの疑問や葛藤が脳裏に渦巻き、私は口元を押さえる。
今にも泣きそうになる私の前で、ルカは
「チッ……!どういうことだよ……!第二皇子はここに近づけさせないって、言っていただろうが……!」
と、苛立たしげに前髪を掻き上げた。
『話が違う!』と喚き立て、部屋の窓から正門を眺める。
と同時に、眉を顰めた。
どうやら、本当にここまでジェラルドが来ているらしい。
「ゆ、ユリウス……私……」
────行きたくない、と言っていいんだろうか。
公爵令嬢としての役目を放棄して、いいんだろうか。
子供みたいに駄々を捏ねて、いいんだろうか。
ギュッと胸元を握り締め、私は喉元まで出かかった言葉を呑み込む。
『やっぱり、ここは行くしか……』と思い悩んでいると────不意に手を握られた。
「ベアトリスお嬢様、ジェラルド殿下を────皇城まで送ってきてもいいですか?」
「えっ……?」
思わぬ言葉に目を剥き、私は反射的に顔を上げた。
すると、優しく笑うユリウスが目に入る。
「さすがに家主の居ぬ間に、他人を招き入れる訳にはいきませんからね」
「で、でも……相手は皇族でしょう……?」
「関係ありませんよ。だって、この屋敷の主は光の公爵様ですよ?誰も文句は言えません。というか言わせません、公爵様が」
暗に『皇族より上の存在だ』と言ってのけたユリウスは、エメラルドの瞳をうんと細めた。
「それに公爵様はお嬢様の居る場所へ、他人を寄せ付けたがりません。異性ともなれば、尚更」
『うっかり恋にでも落ちたら、血の雨が降る』と身震いし、ユリウスは強く手を握る。
自分は嘘を言っていない、と証明するみたいに。
「一体、何故公爵様が屋敷の門を固く閉じていると思います?一体、何故外部との接触を控えていると思います?一体、何故お嬢様を外へ出さないようにしていると思います?」
「わ、分からないわ……」
お父様の胸の内を聞くまでは、出来損ないの私を恥ずかしくて外に出せないのかと思っていたけど……今はそうじゃないと確信している。
だからこそ、お父様の考えを理解出来ない。
この生活に不満などなかったため、特に深く考えたことはなかったが、改めて言われてみると不思議だ。
『お父様の狙いは何なんだろう?』と首を傾げる私に、ユリウスはクスリと笑みを漏らす。
「全部────お嬢様を守るためですよ」
「!!」
「だから、ここは絶対に安全な場所じゃないといけないんです。不純物は受け入れられません」
『勝手に招き入れたら、それこそ怒られます』と肩を竦め、ユリウスは腰を折った。
下から見上げるようにしてこちらを見つめ、背筋を伸ばす。
「では、もう一度質問しますね────ジェラルド殿下を皇城まで送ってきても、よろしいですか?」
とても穏やかな声で問い掛け、ユリウスは『ただ頷くだけでいいんですよ』と囁く。
その優しさが……厚意が嬉しくて、私は胸がいっぱいになった。
い、いいのかな?本当に追い返して……でも、ユリウスの言う通り、お父様の許可なく勝手なことは出来ないし……。
「ここは素直に甘えておけよ。中身はどうあれ、お前はまだ子供なんだから。目いっぱいワガママを言っていいんだ」
ユリウスの隣に立って腕を組むルカは、『いいから、頷いておけ』と促す。
それが最後の一押しとなり、私は大きく首を縦に振った。
「ええ、是非そうして」
「畏まりました」
恭しく頭を垂れて頷き、ユリウスはそっと手を離して立ち上がる。
そして素早く踵を返すものの、何かを思い出したかのように足を止めた。
と同時に、顔だけこちらを振り返る。
「あっ、手を握ったことは公爵様に言わないでくださいね!首を切られちゃうので……もちろん、物理的に」
ブルリと震えて両腕を摩り、ユリウスは『絶対、秘密ですよ……!』と念を押す。
まるで小動物のような怯えように、私は目をぱちくり。
お父様はそんな事しないと思うけど……でも、ユリウスがそんなに怖がるなら言わないでおこう。
『別に報告しなきゃいけないことでもないし』と判断し、私は人差し指を唇に押し当てた。
「分かったわ。秘密にする」
「絶対厳守でお願いしますね……!私、まだあの世に逝きたくないので!」
「え、ええ」
あまりの気迫に驚きながらも頷くと、ユリウスはホッとしたように肩の力を抜く。
『首の皮一枚で繋がった……』と呟き、今度こそ部屋を出ていった。
パタンと閉まる扉を前に、私は苦笑を漏らす。
「一体、どうしてユリウスはあんなにお父様を怖がっているのかしら?凄く優しいのに」
「それはお嬢様限定ですよ!公爵様は基本、ドライなので!親切を働くことなんて、滅多にありません!」
『お嬢様が特別なんです!』と熱弁するイージス卿に、私は目を剥く。
自分が誰かの特別になれるなんて、思いもしなかったから。
逆行する前は……死ぬ前はジェラルドによく『君は特別だよ』と言われていたけど、そっか。
特別って、きっと言葉で表すものじゃなくて────態度に出ちゃうものなんだわ。
と、自覚した瞬間────ジェラルドの言葉がやけに薄っぺらく感じた。
『偽物の“特別”は所詮、こんなものか』と妙に達観する中、ルカが窓辺へ足を運ぶ。
「おい、ユリウスが第二皇子と揉めているぞ」
ルカは窓ガラス越しにどこかを……恐らく正門の方を指さし、小さく舌打ちする。
『大人しく、帰れよ』とボヤく彼の後ろで、私は席を立った。
自分のせいで揉めているのかと思うと、居ても立っても居られなくて……感情の赴くまま、窓辺に駆け寄る。
と同時に、背伸びした。
まだ身長が小さくて、外の景色をよく見れないから。
ほ、本当だ……なんか、押し問答している。
「どうして、ジェラルド……殿下は帰らないのかしら?」
後ろに控えるイージス卿を気にして一応敬称をつけると、私は小さく首を傾げる。
だって、帰るための手段は用意した。ユリウスのことだから、皇室への連絡だってしてある筈。
これ以上、居座る理由はないだろう。
正門前に停まっている公爵家の馬車を見やり、私は『何が不満なの?』と零す。
すると、ルカが一つ息を吐いた。
「ったく……鈍いな。帰らない理由なんて、一つしかないだろ────お前と接触するためだよ」
「!?」
私に接触するため……?じゃあ、ジェラルドはこんな小さい頃から皇位を狙っていたの……?
最終的に利用こそされたものの、最初は普通の関係だった、と……出会いは偶然だった、と思ってきた。
だって、帝都に居る筈の第二皇子が公爵領に現れるなんて、まず有り得ないから。
子供ともなれば、尚更。
『最初から、全部仕組まれたものだったの……?』と青ざめ、私は腰を抜かしそうになる。
それほど長く騙されていたのかと思うと、恐ろしくて。
一体、ジェラルドはどんな気持ちで好きでもない女の隣に居たのかしら……?
ジェラルド・ロッソ・ルーチェという人間が更に分からなくなり、私はそっと眉尻を下げた。
────と、ここでルカが魔法を使う。
「あーーー……なるほど。『馬車を手配してくれたベアトリス嬢にお礼を言いたい』って、駄々を捏ねているみたいだな」
風魔法で音や声を拾ったのか、ルカはユリウスとジェラルドの会話を軽く説明してくれた。
『こりゃあ、引き下がる気なしだな』と呆れる彼の前で、私はじっと正門を眺める。
遠くであまり見えないからか、それとも殺された時の姿より幼いからか、ジェラルドを見てもあまり動揺しなかった。
もちろん、恐怖や不安はまだあるが。
「……ユリウス、大丈夫かしら?」




