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好きな子が嘘告されると知ったので、全力でブチ壊してみた

作者: ソーカンノ

 嘘告。

 いじめの一種。


 フィクションの、もっと言えばweb小説の界隈において、大きな人気を誇るシチュエーション。嘘告を発端として巻き起こる恋のから騒ぎは、人々の耳目を集めてやまない。


 授業中の退屈紛れに、考えてみたことがある。

 もしこのクラスで嘘告が起きるなら、適役は誰だろうか。


 嘘告はいつも天上人が起こす。やりそうな人物の目星ならついている。

 クラスカーストの最上位、赤星くんグループの誰かあたりになる。


 じゃあターゲッティングされるのは?

 そこまで考えを進めて、いったん思考を止める。


 嘘告は成功したら、たしかに面白いと思うかもしれない。クラスで浮き気味な少年少女が、思いもよらぬ相手からの愛の告白に胸を高鳴らせ、喜び勇んでOKしたところではいネタバラシ。あまりのショックに愕然と肩を落として、虚無感と絶望感に襲われるその姿は、さぞや滑稽なものだろう。


 でも待ってほしい。クラスの有名グループに所属する生徒が標的に告白するとして、仮にその場で断られたらどう思うだろうか。〇〇ごときが私の告白を断るなんて、とショックを受けるんじゃないだろうか。


 これは意外と根の深い問題な気がする。標的に高所から突き落とすダメージを与えるとして、そのために自分も飛び降りる必要があるなら、それは本末転倒というものだ。


 よって僕の結論だ。

 嘘告なんてものはそうそう起こらない。


 仮に起こるとすれば精神が未成熟な小学校中学年~中学校低学年のうちであり、情操が発達する高校生以降ではリスクの方が勝る。そのくらいの年齢になれば、他に嫌がらせの方法なんて数えきれないほど考えることができる。嘘告に固執する理由なんてない。


 嘘告の非実現性について考えを進めたところで、話を戻そう。


 このクラスで嘘告が起きるとすれば、標的にされるのはまず僕だ。


 理由は単純で、僕は知り合いが少ない。知り合いが少ないということは、なにか起こったときに頼る相手が少ないということだ。


 そして第二に、静かである。生来の引っ込み思案がどの程度のものかは、僕が図書委員かつ文芸部員として活動していることから明らかだろう。紙の本ではなくweb小説が専門だけど、その内向性にさしたる違いはない。つまるところ陰キャであり、モブであると言っていい。


 もうひとりの適役は、中原芽莉愛なかはらめりあさん。


 長い前髪でいつも眼元を隠している中原さんは、言葉を選ばないなら女の子版の僕だと言ってしまえる。図書委員かつ文芸部員というバックボーンも同じで、つまるところ僕とは同じ委員会同じ部活動の仲間だ。専門が紙の本の方であることを除けば、性格嗜好も似たり寄ったり。積極的に他人と関わろうとしないし、向こうから関わってきても事務的でそっけない。


 そして秘密なのだが、僕はそんな彼女に恋をしている。


 部活動で好きな本について語るとき、彼女はいつも笑顔になる。

 そのときほんのわずかに前髪が揺れて、僕は目撃したのだ。


 前髪の内側にある彼女のキレイな瞳を。


 注意深く観察していなければ見逃してしまう密やかな一面。幾度となくその光景を脳裏に思い描いているうち、僕は知らず恋の淵へと誘いこまれていた。


 その恋が、こんなにも簡単に消滅の危機に陥るとは夢にも思わずに――。



◇◇◇



 ――その日、僕こと日高誠人ひだかまことは唖然としていた。


 それはちょうど、前の席に座るこのクラス唯一の悪友である中島なかじまくんが、上下をプリントで挟んで高度に性的な表現が多用されているマンガ雑誌を僕に手渡してきたときのことだ。


 いつもなら器用にプリントのみを抜き去って雑誌を突っ返す場面だけど、このときの僕はそれどころじゃなかった。


「中原さん、ちょっといい?」

「ええと……なにかな」


 二列向こう側の机の席で、中原さんが男子生徒に話しかけられている。


 陽キャは基本的に声が大きい。だから顔を見ずともわかる。

 このクラスにおけるトップグループの中心人物、赤星悠介あかほしゆうすけくんだ。


「今日の放課後に屋上まできてほしいんだけど、都合つくかな」

「ごめんなさい、図書委員の仕事があるの」

「そっか。明日は俺も部活の遠征準備があるから、明後日はどう?」

「その日なら、たぶん大丈夫かな……」


 僕は自分の手元をおろそかにしながら、彼らの姿を注視した。


 彼ら、と言ったのは表記の間違いじゃない。中原さんの席の傍に立つ赤星くんの背後には、クラスメイトの机をいくつか占有して同じグループの面々が雁首を揃えている。


 赤星くんと同じサッカー部に所属する盟友、円城威雄羅えんじょういおらくん、同マネージャーの深山梓みやまあずささん、体操部期待のエースとして売り出し中の松来弓まつきゆみさんだ。


 いずれも有名人で、僕のような日陰者からすると天上人に当たる。これまで一度だって会話をしたことがないし、会話に混じりたいとも思わない。


 中原さんだって、きっと同じ気持ちのはずなのに……。


「じゃあ空けといてくれる?」

「うん、わかった」

「絶対に後悔なんてさせないから」

「うれしい……どうもありがとう」


 ……中原さん今、笑ったよな?


 らしくなく大仰な身振りで手を振って、中原さんは移動教室のために教室を後にした。


 残された赤星くんの首に後ろから腕を巻きつけて、円城くんが屈託のない笑みを浮かべる。


「へへっ! どうもありがと、だってさ! ユースケ、お前やっぱタラシの才能あんよな!」

「茶化すなっての。そういう文脈で言ってないだろ?」


 いなしつつ、まんざらでもない笑みを浮かべる赤星くん。

 その傍に、後ろの机から降りた深山さんが近寄ってきた。


「でも中原さん可哀想じゃない? どれだけひどい目に遭わされるのかまだ知らないんでしょ?」


 クールな意見を受けて赤星くんが口を開こうとしたそのとき、椅子から立ち上がった松来さんが元気全開で割り込んできた。


「いい薬になるって! むしろあーしらに感謝してほしいくらいだよ!」

「逃げ出したくなるくらいの赤っ恥を掻く練習ってか」

「そーそー、やっぱりユースケってばわかってるー!!」


 松来さんは両手を銃のかたちにして、ズドドドドと赤星くんに連射した。


「さすがサッカー部主将にして超ドS男って感じじゃん!」

「人を鬼畜みたいな言い方しないでくれよ」

「そんなこと言って、フィールド上の悠介はいつだって鬼神でしょ」

「違いねえな! いっつも美味しいとことりやがって! たまには俺様にアシストしろっての!」

「いおーらの足が遅いのが悪いだろ」

「オイ! その呼び方やめろって何度も……ヤッベ! 授業始まっちまう!」


 円城くんの一声で、赤星くんを取り巻く3人は脱兎の如く教室から駆け出して行った。


 足に自信があるのか、それとも別の余裕があったのか、それからしばらくの間赤星くんは中原さんの机の前に立っていた。そして――。


「……フ、フフフフ、フフ」


 真っ赤に裂けた口元を隠そうともせず、不気味に笑い続けたのだった。



◇◇◇



 赤星くんが中原さんに話しかけたその夜。

 僕は、家の便器とお友だちになっていた。


「……オロロロロロロロロロロロロロ」


 胃の中身なんて既にない。

 さっき食べた夕食は全部吐き終えた。


 それでも吐き気がやまないのは、日中に学校で見た中原さんの姿が忘れられないからだ。


「うれしいっ! どうもありがとっ♪」


 過言じゃなくクラス1のイケメンの赤星くんに話しかけられて、中原さんは笑っていた気がする。眼元は髪で隠れて見えなかったけど、声も心なしかはしゃいでいたような……。


「うぷっ!?」


 思い返すと、胃の底からまた苦い液体がせり上がってくる。人は胃になにも入れていなくとも吐くことができる。内臓から分泌されるよくわからん液体が、寿命と引き換えに無尽蔵に供給されるのだと、僕はついさっき知った。


「ちょっとお兄ちゃん! いつまでこもってるのよ!」


 トイレにこもり始めて20分。

 妹の望美のぞみが外から扉を叩き始めた。


「ごめん、もうちょっと……おええぇっ」


 いかん。吐き気が収まらん。

 その音を聞いたらしい望美が、らしくなく兄を心配してくる。


「なによ、体調悪いの? ノロ?」

「ち、ちがふ……」

「だよねお夕飯に牡蠣なかったし」

「もう少し吐いたら出るから……」

「あたしもう膀胱が我慢の限界なんですけど? ともかくいったん飲み込んで出てきて!」


 憐れな兄に、なんて無茶をおっしゃるのだ妹よ……。

 無理難題に異を唱えようとした矢先、母さんがやってきた。


「誠人、調子悪いの?」

「わかんない。さっきからずっと吐いてる」

「誠人のお肉だけ、消費期限1週間前のを使ったのが悪かったのかしら」


 な、なにしてくれてんだ母さん!

 本当にそれが原因かもしれないだろ……!!


 しかし非難はできない。大声を出そうとすれば吐いてしまう。

 便器の前から動けずにいると、トントンと今度は母さんがノックしてきた。


「誠人、大丈夫?」

「大丈夫なら、こんなに長くトイレにはこもらないよ……」


 全身に及ぶ痛みと、耐えがたい寒気。

 それは心の不調が肉体に伝播したものだ。


 中原さんは、楽しそうに異性と会話するような娘じゃない。同じ図書委員になって、文芸部に誘ってくれるようになるまで、僕に対しても結構ドライだったのだ。それがたった一言二言イケメンに話しかけられただけで、こんな……。


「うぷっ!?」


 再び、吐き気がせり上がってくる。

 心と肉体が悲鳴を上げている。



 絶対に僕が……僕の方が先に好きだったのに……!!



 そんな青春時代特有の懊悩に身と心を傷つけられていると、それを毛ほども斟酌しない母さんが無神経なことを言ってくる。


「母さん、そろそろ食器洗いたいから誠人もお弁当箱だしてくれない?」

「い、今それどころじゃ……」

「じゃあ勝手に鞄開けるわよ。まったく、不精垂れしてないで先に出しときなさいってあれほど言ったのにね」


 行きましょ、と呆れた捨て台詞を残し、母は妹とともにその場を後にする。


 癪だけど、これで猶予時間ができた。あとは気分が戻るまでなにもないはずの胃の中身を吐き散らかせばいいだけだ。これで安心安全、と僕は人心地つこうとしたのだけど――。


「……ダメだ」


 思い出す。今僕の学生鞄の中には、中島くんに突っ返し損ねたコミック快●天がある。ホ●ンク●ス先生が繊細な筆致で生みだす、あられもない姿をした超美麗な美少女イラストの描かれた表紙を母と妹に見られてしまう……。


 もしそんなものが露見したら、死ぬしかなくなる!


 僕は胃の奥からせり上がった謎の液を必死で飲み込んで声を上げた。


「まっ、待って母さん!! 自分で出すから!!」


 大人気マンガのキャラは言いました。みんなは知らない呪霊の味。

 でも僕は今日、それを知ったかもしれません……。



◇◇◇



 翌日昼休み。


 中島くんと一緒にプリントを職員室まで届け終えた僕は、彼と別れてフラフラと図書室へと向かっていた。その途中、通りがかったクラスからなにやら人の声がした。


「えー? それホント?」

「ホントもホント。ここ最近のホットニュース」

「マジだったらすっごい残念なんだけど!」


 人気のない教室に居座る、女子たちの噂話。大声で、歯に衣着せぬ物言いになるのは、密談のために自分の教室から移動してきたからだろう。


 まあ、どの道モブの僕には縁のない話だ。

 そう思ってスルーを決め込もうとした瞬間だった。


「赤星くんに彼女できたって、それいつの話よ」

「猪俣さんが言うには1週間くらい前だって」

「あー、あのセンスプ女が言うからにはガセネタじゃないよね」

「ショックすぎなんだけど。の、脳が壊れる~!!」

「ミチコそれ童貞クンがよく言うヤツじゃん。凹まず次の男探しましょ」

「男なんて星の数ほどいるもんね。同じサッカー部なら円城くんとか……」


 そこから先の会話は頭に入ってこなかった。

 一体全体、なにが起こってるっていうんだ……。


 その日の災厄は、これでは終わらなかった。



◇◇◇



 放課後、そこを通りがかったのは偶然だった。


 理科棟1Fでサッカー部のブリーフィングが行われていたらしい。それも終わり、多くの部員は練習のためにグラウンドへと赴いていた。


 図書委員の仕事から解放され、ジュースを買いに自販機へ歩いていた僕は、第2理科室の奥から聞き知った声がするのを耳にした。


「……なぁユースケ、お前それ本気でやる気かよ?」

「ああ」


 独特の軽薄な口調から、声の主は円城くんだろうか。

 それにユースケって……赤星くんもいる?


 僕は自販機に入れかけた100円玉を財布に戻すと、第2理科室の外の壁に身を寄せて、耳をそばだてて中の様子を窺った。


「手順は今説明した通りだ。イオは梓と弓を連れて、先に屋上の給水塔の影に身を隠しておくこと」

「はいはい、そこで準備万端整えてろってことね」

「その通りだ」


 準備? なんの準備なんだ?

 僕は人目を気にしながらも、壁に自分の身を密着させた。


 すると音量を増した円城くんの笑い声が炸裂する。


「けひひっ! しっかしお前、ホントいい性格してやがんなあ!!」

「これが一番冴えたやり方だろ」

「ドS王子すぎんだろ! なあ、お前本当に中原に告白するつもりかよ!!」


 ――告白。


 僕の頭から血の気が引いていく。

 中原さんに告白って、だって赤星くんは……。


「彼女のいる男が告白するからこそ意味があるのさ」

「違いねえな!! ひゃっひゃっひゃ!!」


 僕は身バレのリスクを犯し、窓からそっと中の光景を見やった。

 円城くんがくの字に身体を折って、お腹を押さえて爆笑している。


「アタマおかしくなったらどう責任とんだよ、それ!!」

「そんな風にはならないよ……いや、なったところも興味あるかな」

「出たねドS王子の本音が! 泣いちゃうかもしんねーぞ!!」

「それはそれでやった甲斐があるってものじゃないか」

「おうおう、畳の上で死ねねえなあ! ギャッハハハハハハ!!」


 いっそ室内に殴り込もうとすら思った。

 もし僕に、あと少しだけでも勇気があれば……。


 だけど僕は臆病で、へたれで、円城くんの不快な笑い声から逃げるようにその場を後にするしかなかったのだった。



◇◇◇



 嘘告だ。

 もはや疑いを挟む余地はない。


 自室のベッドの上で寝返りを打つ。

 視線の先にはエロマンガ雑誌が山と積まれている。


 僕に元気がないことを心配した中島くんが貸して……いや、無理矢理に押しつけてきたものだ。


 当然そんなものを読む気にならない僕は、自分の考えに没入する。


 嘘告なんてあり得ないと思っていた。僕たちの高校は曲がりなりにも進学校で、偏差値だって悪くない。並以上の学力を持つ高校生たちが、まさかそんな幼稚な悪ふざけに手を染めるだなんて。


 けど、実際に起きている。

 明日の放課後、中原さんに告白する赤星くんには彼女がいる。


 股がけだとは思わない。もしそうならグループの人たちは排除する。

 人目を忍んで、バレないようこっそりと告白するはずだ。


 円城くんの言葉を信じるなら、告白の場にはグループの人たちも同席する。それも中原さんの視界から隠れてだ。さらに彼らには独自に準備することがあるらしい。おそらくは嘘告成功の際に中原さんをからかうために――。


 ごろんと寝返りを打つと、僕の脳裏に中原さんの顔が兆した。

 相変わらず眼元は前髪で隠れて、だけど上機嫌に笑っていて。



「ホントにうれしいよっ♪ どうもありがとねっ♪ 私悠介くんだーい好きっ!!」



 いや待って!? 言ってない!!

 最後のはまだ言ってないぞ僕の妄想……。


 メンタルが凹むと悪い想像が頭を巡る。僕の胃もまたゴロゴロと鳴って過剰反応している。結局のところ今日の夕食も吐いたのだが、もう一度吐きにいった方がいいかもしれない。


 部屋を出て階段を降り、僕はトイレに入ってオロロロロロし始めた。

 便器に縋って無様に嘔吐しながら、ずっと中原さんのことを思っていた。


 ……赤星くんのことが、好きなんだと思う。


 中原さんが、自然体で他の男子と話しているところを見たことがなかった。僕とだって、ある程度話せるようになるまでかなりの時間がかかったのだ。なのに彼とは最初から、あんなに楽しそうに。


 正直に言えば、仕方ないって気持ちが大きい。傍目から見て赤星くんはとてもカッコいいし、僕が敵っている部分なんて全然ないと思う。


 僕がもし中原さんの立場だったら、きっと告白を断らないだろう。


 けど、これは嘘告だ。

 相手をからかって、嘲笑う行為。


 顔を上げる。トイレの入り口に据え付けてある鏡には、自分のものとは思えないほど青白くなった顔が写っている。


 もうこれしかない――僕はスマホを手に取ると、映研所属でホラー映画とアダルトな映画の専門家である中島くんへと電話をかけることにした。



◇◇◇



 ――夜の学校は、寒い。


 日が落ちたからだけじゃない。放射冷却は夜中から朝方にかけて行われる。この時間帯の学校の空気を肌で感じる機会なんて、めったに存在しない。


 妹には話を通してある。事情を話すと、意外にも協力的だったのはいい意味での誤算だった。僕は明日、高熱を出して自宅で休むことになっている。


 現在時刻は夜中の2時半。草木も眠る丑三つ時。


 この時間ともなると屋上から一望できる周辺は真っ暗で、よくぞここまで辿り着いたものだと自分で自分を褒めてやりたくなる。施錠されてる正面玄関からでなく、校舎を走るあまといを登って無事にここまでこれたのは、ちょっとした奇跡というやつだった。


「給水塔は……あそこか」


 赤星くんグループが潜む該当箇所を、僕はチェックした。

 ここから様子を窺うとなると、告白は出入り口付近で行われるだろう。


 イメージトレーニングではないけれど、だいたいの位置関係は把握した。


 所定の時間まで潜む場所の候補もいくつか浮上する。赤星くんグループと、そして中原さんと赤星くんを一望できる場所。なおかつ、彼らから僕の姿が見えない場所を選べばいいわけだ。


 我が校の屋上には、小さな花壇がある。ブロックが積まれ、そこそこの高さを獲得している花壇の脇に、僕は自分の身を潜ませた。やや体勢は苦しいが、この際贅沢は言っていられない。


 決行まで時間がある。ここからは体力の温存に務めよう。

 意識的に眼を瞑ると、ほどなく甘やかな眠気が身体を包み込んでいった……。



◇◇◇



 気がつくと、日は高く昇っていた。


 慌てて腕時計を確認する。

 よかった。まだ放課後には少し早い。


 今は6時限目の終盤。ということは屋上でくつろいでも問題ない時間帯か。僕は花壇と鉢の間に滑り込ませていた身体を抜き出すと、大きく伸びをして身体の凝りをほぐした。


 状況確認を終えたので一息吐こう。持ってきたナップサックを開け、カロリーなメイトを取り出したところで、不意にガタっという音を聞いた。


 慌てて花壇に身を潜ませると、屋上出入り口から現れたのはなんと赤星くんグループの面々だった。


 円城くんが先行し、続いて深山さんと松来さんが姿を現す。

 なにやら、みんな自分の荷物を持っているようだ。


「弓、ちゃんと一式持ってきたよな」

「あったり前でしょ。忘れ物キングのイオくんとは違うもん」

「手持ち看板だし、今回は忘れようがないんじゃない?」


 深山さんの指摘を受け、わっはっはと豪快に笑う円城くん。


「一番大事な荷物は梓持ちだから安心だな!」

「でも、こんなの必要かしら? 今どきスマホで事足りると思うけど」

「必要必要! 被写体のこと、バッチリ撮ってくれよな!」


 怪訝そうな深山さんが手に持つものを見て、僕は息を呑んだ。デジタルカメラだ。嘘告の記録を残す、あるいはネットに配信するつもりだろうか。


 今すぐ出張って奪い取りたいけど、どうせ返り討ちだ。代わりに眼前の状況をつぶさに確認する。円城くんはプラカードのような手持ち看板、松来さんは大きな茶色の紙袋を両手で抱えている。


 中身の正体を知りたいと思ったところで、都合よく松来さんが中を探った。


「はいこれ。イオくんの三角帽子」

「サンキュー。やっぱこれがないと始まらねえや」

「梓ももう被っとく?」

「少し悪趣味じゃないかしら?」


 深山さんが難色を示すと、円城くんが大きな身体を揺らした。


「そんなことアルマジロだぜ~? 上手くいったら祝うのが普通だからな!」

「そーそー、フツーフツー」


 ノリノリの2人に押し切られ、深山さんも帽子を被った。パーティにでも出席するような出で立ちになったあと、スマホを出して確認する。


「時間にはまだ10分ほどあるけど、先に隠れておきましょうか」

「そうだな……弓! 今のうちに便所済ませとけよ!」

「そんなのとっくの昔に行ってきたに決まってるでしょ? 先生の急用で6限が自習になってホントよかったよねー」


 楽しそうに談笑しながら、給水塔の影へと隠れる3人。


 彼らの動きを監視しつつ、僕も自分の準備を果たそう。


 再びナップサックを開け、身バレ防止を兼用しているマスクと他の必要物資を取り出すと、自らの身体に必要な処置を施した。


 これまでの人生で最大級に重苦しい10分が流れ、やがて屋上の出入り口から赤星くんと中原さんが姿を見せた。想定通りそのまま出入り口付近に陣取り、2人は足を止めて相対する。


 しゃがんだ体勢で深山さんがカメラを回し始め、松来さんは紙袋から取り出したクラッカーを円城くんに手渡す。円城くんは手持ち看板を肩に抱え直していつでも飛び出せるようスタンバイし、興味津々といった具合に前方を注視している。


 嘘告ドッキリの準備を赤星くんグループの面々が終えたところで、2人に動きがあった。


「それで、ここに呼びだした用件ってなんなのかな?」

「うん……実は、とても大事な話があるんだ」


 並の男なら躊躇のひとつも見せる場面。

 しかし赤星くんは堂々と、真正面から中原さんを直視した。


「今から中原さんに聞いてほしい」

「それって2人きりのときじゃないとダメなの?」

「ダメだ」


 即断即決。赤星くんは一瞬たりと中原さんから視線を逸らさない。

 男の僕から見ても惚れ惚れするほどのカッコよさオーラが漂っている。


「ずっと我慢してきた。でももう限界なんだ。だからこの気持ちを、君に伝えさせてほしい」

「ま、まさか……」


 中原さんが気取った。赤星くんが次に口にする言葉を予期して、胸の前で手を結んで逃げるように一歩分後ろへと後退する。


 赤星くんは逃がさない。中原さんが退いた分の距離を一足で埋めると、右手を胸に当てて心からの想いを宣言しようとする。


「中原芽莉愛さん。俺は、君のことが――」

「ウボァ」


 げっぷのような音がした。


 下手人は中原さんじゃない。赤星くんでもない。

 円城くんでも、この場に潜んでいる他の誰でもない。


 それは突如として告白の場に現れたゾンビの口から漏れたものだ。


 半裸の上半身は腐乱が進んで緑色となり、ぼろきれを纏って生者の頃から考えられないほど瘦せこけた肉体は、今にもふたつに折れてしまいそうに見える。


「……は?」


 赤星くんが言葉を失っている。

 告白を寸前でやめ、意味不明といった感じでこちらを見ている。


 君のようなイケメンは、きっと知る由もないだろう。


 まる2日間嘔吐し続けた男子高校生は、体重が7キロも減るということを――!!


 ゾンビに扮した僕を見て茫然としたのは赤星くんだけじゃない。給水塔の影に隠れた赤星くんグループの面々もそれぞれの方法で驚きを表現している。


 そして今回の標的はこちらだ。場の注目を集めたことで第一条件をクリアした僕は、予定通りに背中を曲げてブリッジの体勢に移行した。


 両手足を起用に動かして前後逆に反転すると、給水塔の影にたむろしている彼らに向かって疾走する。



「あぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼ~!!」



 口から止めどなく血糊を吐きだしながらの、俗にいうエクソシスト走り。

 虚を突かれて茫然としていた彼らは、一瞬でパニックに陥った。



「「「わあああああああああああああああああああああああああっ!!」」」



 三者三様の方角へと、逃げる。平時なら褒められてしかるべき逃走法だろう。追跡者がひとりというか一体のゾンビでしかない以上、こうすれば彼らのうちの誰か1名しか追うことはできない。


 しかし明確な優先順位がある。運気も僕に味方している。ブリッジしたまま両手足を昆虫のように動かし、僕は深山さんへと狙いを定めた。


「ちょっと! なんでこっちにくるのよ!」


 ……フフフ頭の中でだけ答えてあげよう。


 第一に3人の中で、君が一番運動能力が低い。他の面々は体育会系だ。第二に君はデジタルカメラを持っている。未遂とはいえ嘘告の映像が撮られている。奪ってデータを消させてもらう。第三に君は屋上の出入り口に向かって逃げている。君と僕がそこから外に出れば、他の面々も追ってくるだろう。屋上には中原さんだけが残ることになる。


「あっち行って!」


 追走する僕に、深山さんがデジタルカメラを投げつけてきた。


 僕はそれを片手でキャッチすると、一時的に物理法則をキャンセリングし、ブリッジ体勢のまま両手で操作して映像データを消去した。


「ウソ!? なんで倒れないの!?」


 気合いです。

 地べたにデジタルカメラをそっと置き、追走を再開しようと試みる。


 その途中、横合いから大きな足音が近づいてくるのを聞いた。


「バケモンがっ!! 調子乗ってんじゃねーぞっ!!」


 パニック状態からメンタルを立て直した円城くんだ。頭を下にした体勢ゆえ、フィールドを自在に駆けるサッカー部レギュラーの健脚をまざまざと見せつけられる。


「このまま蹴り抜いてやらあっ!!」


 フリーで転がってきたサッカーボールをゴールに向けてシュートするかの如く、円城くんは高々と足を振り上げ、そして――。



◇◇◇



「……本当に、ここまでしなきゃダメなの?」


 夜の公園。

 僕は妹の望美と向き合っていた。


「やってくれ、必要なんだ」


 一陣の風が吹く。

 既にここに中島くんの姿はない。


 中島くんには、映研から必要な資材を都合してもらった。ゾンビマスクに、大量の血糊。世紀末救世主伝説風ぼろきれ。どれもホラー映画を撮る際に購入し、部室に放置されて埃を被っていたものだ。


 僕は大量のエロマンガが入った紙袋を中島くんに突っ返し、代わりにゾンビコスプレセット一式を受け取った。これが15分前の出来事。


 電話で兄に召喚され、計画のあらましを聞いた望美が躊躇を見せる。


「嘘告を台無しにして、好きな人を助けるって」

「ああ」

「それ本当に、お兄ちゃんがしないといけないことなの」


 嘔吐の理由も、望美には伝えてある。

 いつも兄を足で使う妹が気づかってくれている。


「中原さんの悲しむ顔を見たくない」

「でも、その女の人って嘘告してくる男の人が好きなんでしょ」

「うん」

「だったらわかるよね。振り向いてもらえないって」


 そう、僕に脈なんてない。だとしても――。


「自己満でも、僕が中原さんを守護まもらなきゃいけないんだ」

「お兄ちゃん。なんだか守るの発音が気持ち悪いよ……」


 そうかな? そうかも?


 それはそうといい加減頭に血が昇ってきたので話を切り上げたいんだが。


「ともかくやってくれ。遠慮なんていらないから」

「慰謝料の請求とかもナシだよ。治療費とかも」

「もちろんだ。約束通り今月の僕の小遣いもやる」

「約束だかんね……それじゃいくよ、そりゃあああっ!!」


 裂帛の気合いとともに、中学女子剣道部主将である妹の竹刀での一撃が、ブリッジの体勢でいる僕に炸裂した。


 右太腿の狙いが逸れ、バシッと右足小指に直撃する。


「ぎゃああああああああああああああああああ!!」

「あ、ごめーん。誤チェストにごわす」


 自分で自分をゲンコツし、てへぺろと謝る妹。もんどりうって痛がりたいのを我慢し、ブリッジしたまま生まれたての小鹿のようにプルプルと震える僕。


「どうする? もうやめる?」

「や、やめない……続けてくれ」


 これしきの痛みで音を上げていてはダメだ。相手は我が校サッカー部不動のレギュラー2人だぞ。ゾンビパニックを起こせばどうとなるものではない。絶対に反撃してくる……。


 サッカー部員の蹴りは凶器だ。

 その痛みに耐えられなければ、計画は中途で頓挫してしまう。


 それから2時間、僕は妹の繰り出す竹刀の雨を受け続けた。

 尋常じゃない痛苦を耐え抜いた僕は、スキル【痛覚耐性】を得た。

 

「すごい。本当に耐えきっちゃった」


 全身に青痣を作りながらもブリッジし続ける僕に、妹が感嘆の声を寄越す。


「お兄ちゃんって、ひょっとしてドM?」

「失礼だな、純愛だよ」


 僕はプリプリと怒った。


 半裸の状態から服を着て、約束通り財布から今月分のお小遣いを渡すと、妹は「まいど」と言って笑顔で受け取った。


「死地に赴くお兄ちゃんに、妹からのピチピチ老婆心を伝えます」

「若さアピールするなら無理に老婆心なんて使わなくても……で、なに?」

「『少年マンガの法則』だよ」


 なんだそれ。聞いたことないんだけど。


「少年マンガのお約束だと、窮地で過去回想が挟まったキャラは、それが終わると逆転できるの。だからお兄ちゃんも、危なくなったらこの修行のことを思い返してみてね」


 説明を終えると、望美は顔の横でサムズアップしてみせた。


「健闘を祈ってるよ、お兄ちゃん!!」


 わけのわからない理屈だけど、一応覚えておくとするか……。



◇◇◇



「あり得ねぇ……!?」


 円城くんの全力キックを受け、僕の身体は吹き飛んだ。


 だが、それだけだ。四本脚と化した両手両足で地面に着地すると、カサカサカサと再び走り始める。


 たしかに勝ち確演出だった。過去回想を終えた僕の身体は軽い。回想前の3割増しの速度で深山さんを追走できる。


 驚きのあまりぺたんと尻餅を突く円城くんを置き去りに、僕は深山さんに迫ってゆく。この分だと、彼女をこの屋上から追い払うのもあっという間だ。


「いやあっ!!」


 全力走の深山さんが悲鳴を上げる。


 『ファイナルガール』という理論がある。登場人物が次々と怪物に殺されてゆくホラー/スラッシャー映画において、性的アピールが少なく理知的な女性が高確率で最後まで生き残るというものだ。


 それを適用すれば、真っ先に狙われるべきはクールな深山さんではなくパリピな松来さんとなるだろう。だがこれはフィクションではなくリアル。僕は己の目的を遂行する。


 程なく深山さんの背中を捉える。二本足の全力走すら回想バフの僕の移動速度には及ばない。なす術もなく深山さんはフェンス際に追い詰められた。


 て、あれ……追い詰めちゃダメじゃん!?


「いや……こないでっ!!」


 かつて中島くんは言いました。


『怯えてる女の子ってさー、なんかエロくね?』


 僕の答えは、時と場合による。

 今この場においては困りまクリスティな心情が勝る。


 僕から逃げるよう後退し、深山さんの背中がフェンスをかしゃんと鳴らす。あっちあっち、とばかりにゾンビマスクの顎を振って本来逃げるべき道筋へ誘導するも、恐怖に囚われる深山さんに気づく様子はない。


 身体をガクブルと震えさせ、涙眼で叫んだ。


「助けてっ!! 悠介っ!!」


 ズザッと音を立てて、彼女の前に誰かが現れた。


「梓! 大丈夫か!!」

「悠介!!」


 ヒーローのように現れた赤星くんに、深山さんが安堵の声を出す。

 一拍遅れて、横合いから円城くんも合流した。


「逃げんぞユースケ!! アイツはやべえ!!」

「ダメだ」


 首を振った赤星くんが、円城くんを見る。


「あいつは梓を執拗に狙ってる。逃げても同じだ」

「じゃどーすんよ!? この俺様の蹴りが効かねーんだぞ!!」


 円城くんの一言に、赤星くんが息を呑んだ。


「ダブルシュートを、決めるしかない」


 決然と口にすると、円城くんが眼を丸く見開く。


「バカ、なに言って……あの技はまだ未完成だって」

「わかってる。けどこれじゃないとあいつを倒せない」

「失敗したらお前の足が砕けんだぞ! 大会はどーすんだよ!!」

「試合よりも梓の身の安全の方が大事だ」

「そうだけどよぉ」

「頼む」


 赤星くんの必死の懇願が、円城くんの心を動かした。


「わーったよ。失敗しても恨みっこナシだぜ」

「いおーらいつもありがとう」

「だっバカ!! それは言わねー約束だろ!!」

「だな」


 へへっと笑い合う2人。


 ……さっきから嫌な予感がしている。嫌な予感しかしない。


 これってアレじゃないだろうか。少年マンガとかでよくありがちな友情展開。危機に瀕したキャラクター同士の仲が一段と深まり、今まで一度も成功しなかった新規必殺技に成功する的なやつ。


 回想バフがかかっているはずの僕の身に緊張が走る。

 弱者の領域展開が強者の領域展開で上書きされていく感覚がある。


 逃げなきゃ、そう思って四肢を動かしたときにはもう遅かった。



「「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」」



 突進してくる2人の足が、意識の途切れる前に見た最後の光景となった。



◇◇◇



 気づくと、視界の先に青空がある。

 それが意味する事実は、僕の計画が失敗したということ……。


「……マタ、守レナカッタ……」


 滲む涙を拭うように両眼に腕を当てた、そのときだった。


「1度目はなに?」


 聞き知った声の到来に、僕は驚く。


「1度目は、なんなの」

「その声、中原さん? どうして……」


 仰向けの状態から身体を起こそうとして、頭の芯に痛みが走った。

 情けなくも力尽きて、再び頭を元の位置に戻す。


「無理しちゃダメだよ。日高くん、頭打ってるんだから」


 視界に中原さんの顔が現れ、はらりと前髪が揺れる。

 顔の現れた方向と、後頭部の柔らかな感触から、自分の状況を悟った。


 膝枕だ。それも横向きじゃない。

 全男子生徒が一度は夢想するという縦方向の膝枕。


 女の子座りした中原さんが、僕の頭を受け止めてくれている――!!


「あっ、あの中原さん、この状況は……!?」


 テンパって言うと、中原さんは少し恥ずかしげに答える。


「ごめんね。枕にできそうなものが見つからなくて」

「で、でもこんな、脚が痺れちゃったりするんじゃ……?」

「私は平気だから気にしないで。それともイヤだった?」


 好きな子に、ちょっと悲しげな感じでそんなこと言われて、肯定できる男子なんていない……。


 寝た体勢で軽く首を振って、全力で否定した。


「あ、そうだ。ノド乾いてないかな。ポカリがあるよ?」


 横を見ると、脱がされたゾンビマスクの隣で、地べたに置かれたポカリのペットボトルが汗を掻いている。


 買ってきて間もないらしく、キンキンに冷えて美味しそうだ。


「でも僕、まだ頭起こせそうにないし……」

「飲ませてあげよっか」

「え?」


 甘美な誘惑に思わず頷いてしまいそうになるも――。

 僕には、知らなければならない事実が山ほどあるはずだ。


「中原さん」


 毅然とした口調の意図を捉えたのか、中原さんは口の前に一本指を立てて静かにとジェスチャーした。


「訊きたいことがあるんだよね。でも、日高くんから先に教えて?」

「けど」

「君は理由もなくあんなことをしない人だって、知ってるつもりだから」


 放課後の数時間を、中原さんと過ごすようになって長い。僕が中原さんの人となりをるように、彼女もまた僕という人間のことをっている。


 正直、躊躇がなかったと言えば嘘になる。

 けど僕は、すべてを話した。


 それが彼女への、好きな人への誠意だと思ったから。


「……嘘告」

「うん」


 淡々と呟かれた言葉の先を知りたくなくて、僕は早口で続けた。


「そういえば、赤星くんや円城くんはどこへ行ったのかな」

「あの2人なら、警察署へ」

「え?」


 思った以上の大事になってしまっている。

 しかし自分のしでかした行為を冷静に鑑みれば、無理もない。


 ゾンビの扮装で恐怖を振りまいた僕は、なんの罪に問われるのだろうか。

 願わくば、せめて重くない罪だといいのだけれど……。


「これで前科者か……中原さん、今までどうもありがとう」


 2人で過ごした楽しい思い出が走馬灯のように胸中に甦った。

 しかし感謝された側の中原さんはきょとんとしている。


「私の話、まだ途中だよ?」

「そうなの?」

「うん……2人して警察署へ自首しに行こうとしたから、女子3人で必死に止めてたんだ」


 赤星くんと円城くんが自首?

 そりゃまた、いったいどうして?


「なんでも、サッカー部員にとって蹴りは凶器だからって。それを人に向けて行使した以上、自分たちは罪に問われるべきじゃないかって」


 中原さんの説明に、混乱する。

 それじゃあ2人とも、あまりに善人すぎないか……?


「い、今はどうしてるの?」

「なんとか思い留まってくれて、部活に戻ってるはず……あ、そうだ。せめてものお詫びにって、日高くんにいろいろ持ってきてくれてるんだ」


 そう言って中原さんが指差した先には、お菓子やらジュースやらが段ボール単位でいくつも山積みにされていた。


「買いに出る時間がなかったから、部室の買い置きだけどって。もし他にほしいものがあったら、あとで言ってくれれば買ってくるよって言ってたよ」


 至れり尽くせりな詫び品の数々を見て、脳裏に大きな疑問が生まれる。

 ここまでしてくれる人たちが、本当に嘘告なんてするだろうか……。


 いや、これも罠かもしれない。

 僕を抱き込んで、改めて中原さんに嘘告をしかけるのかも。


「日高くんが思ってるようなことは、きっともう起こらないから」


 中原さんの一言は、心の声に答えるかのようだった。


「だって私、嘘告されてたんじゃないもの」

「け、けど赤星くんにはもう彼女がいて……それに他のみんなだって、道具を持って隠れて潜んでたじゃないか!!」


 状況証拠ならば揃っている。三角帽子にクラッカー、ドッキリ成功の手持ち看板。そしてなによりも言い訳の利かないデジタルカメラ。


「深山さん以外の子たちも隠れてたのは知らなかったけど、日高くんが思うような意図で揃えられたものじゃないと思うよ。あれ見て」


 再度中原さんが指差したのは給水塔だ。

 そこに円城くんが担いでいた手持ち看板が立てかけられている。



『告白成功おめでとう!!』



 大きな文字でそう書かれているのが見えた。


「……どういう、こと?」


 嘘告成功ならわかる。告白が嘘だとネタバラシされれば、受けた側は深く傷つくことになる。


 でも告白成功とはどういう意味だろう。赤星くんに彼女がいる以上、中原さんは最高でも股がけ要員のはずだ。そんな相手を告白成功だなんて賑やかす意味がまったくもってわからない。


「私からも、話すね」


 疑問が最高潮に達して、中原さんが事情を説明してくれた。

 一聴して内容が飲み込めず、僕も疑問を口にする。


「どうして赤星くんだったの?」

「つい最近、告白に成功したって聞いたから」


 正答だけど、聞きたい答えから少しズレている。

 別表現で、もう一度問い直してみよう。


「協力者に赤星くんを選んだ理由は?」

「同じ階に住んでる顔馴染みだったからだけど……知らなかった?」


 知らないもなにも、初耳ですがな……。


「知り合いに協力をお願いしたってことなのかな?」

「どんな子なのかは知ってたから。昔遊んだりしたもの」


 気の置けない関係だから、あんなにフランクにしゃべってたのか……。

 これで教室内の2人に感じていた違和感が完全に払拭された。


 中原さんは知っていた。

 1週間前赤星くんに彼女ができたことを。


 そして、知っていたからこそ、悩みを相談したのだ。

 意中の人に、面と向かって告白するにはどうすればいいのかということを。


 今回の告白は、そのための練習だった。告白成功者である赤星くんが中原さん相手にまずはやってみせ、今度は中原さんが赤星くん相手にやってみる。上手くできるまでこれを繰り返し、撮影係である深山さんが撮った映像を観て細部を確認し、ブラッシュアップする。


「円城くんと松来さんがいたのはどうして?」

「赤星くんたちが準備してる段階で2人にもバレちゃって、私のこと祝ってくれるつもりでいたみたい。上手く告白できたら、ドッキリで喜ばせようって」


 なんだよ……それじゃあまるで……。

 みんな、とてもイイヤツみたいじゃないか!!


 だが待て。まだそうと決まったわけじゃない。

 赤星くんと円城くんの、第2理科室での不穏な会話を僕は聞いたはずだ。


 もはや中原さんに隠し立てする意味はない。

 掻い摘んで説明すると、さして驚いた風もなく答えが返ってきた。


「そんなこと話してたんだ……」

「うん、だから中原さんも簡単に信じちゃダメだよ。きっと2人でなにか悪だくみしてるんだ」


 盗み聴きだし根拠は弱い。けどもしもってことがある。

 僕は好きな女の子に泣いてほしくない一心でそんなことを言った。


「そうだね、今考えたら悪だくみだったかも」

「やっぱり」

「ああ、いや、そうじゃなくて……私と赤星くんで悪だくみしてたかもって意味」


 んん? どういうこと?


「赤星くんの彼女って、深山さんなの」

「え……でも深山さん、撮影係だったんじゃないの?」


 彼女に、他の女の子へと告白する自分の姿を撮らせるって、それなんだかひどくないか?


「私と赤星くんは、共犯関係みたいなものだったのかな」

「え?」

「実は……」


 中原さんが語ってくれたところによると、赤星くんと深山さんが付き合い始めたのは噂通り先週のことだったそうだ。


 呼びだした赤星くんから告白し、深山さんが受け入れた。無事にカップル成立と相成ったのだが、赤星くんとってはそのときの深山さんの態度がちょっと許容できないものだったらしい。


「悠介ならいずれ言ってくれると思ってた。いいわ、私たち付き合いましょう」


 勇気を振り絞って告白した赤星くんに、深山さんは眉ひとつ動かさずにそう答えたそうだ。


 結果的に告白には成功した。でも赤星くんの胸にわだかまりが残る。もっと他になにかあるんじゃないのか。感動もへったくれもなく淡々と受け入れられて、散々悩んだ甲斐もなにもあったものじゃない。だから――。


「妬いてほしかったんだよ」


 中原さんは告げる。


「何度も私に告白したり、私から告白されるのを見たら、深山さんが嫉妬してくれるんじゃないかって赤星くんは思ったの。だから撮影係に彼女を指名したんだ」

「そうなんだ……」


 第2理科室での赤星くんと円城くんの会話も、そう言われればなんとなく辻褄が合う気がする。あれは告白を受ける中原さんじゃなく、それを見せられる深山さんについて語っていたのか……。


 考えを巡らせていると、くすっと中原さんが思い出し笑いをした。


「でも、結果的にこれでよかったのかも」

「……僕が台無しにしたのに?」


 半信半疑で言うと、コクコクと中原さんが頷く。


「だって今の赤星くんと深山さん、すっごくいい感じなんだよ? 日高くんの扮したゾンビから身を挺して守ってもらって、自分がどれだけ赤星くんが好きか再確認できたみたい」


 なんでも、屋上を去るときは腕を組んで出ていったとかどうとか……。


「あとね、円城くんと松来さんの仲も深まったかも。松来さん言ってたもの。『今度はデートのお誘い受けてみようかな』って。きっといの一番にゾンビに立ち向かった円城くんがカッコよかったんだろうね」


 よくわからないところで友だち以上恋人未満な連中の仲まで深まっている。


 まるで肝試しで、くっ付けたい2人じゃなくて驚かそうと潜んでいた仕掛け人の方が恋仲になったような理不尽さを感じる……。


 屋上に、爽やかな風が吹いた。

 頭が冷えて、僕は自分が考えるべき事実へ立ち戻る。


 告白の練習だったってことは、中原さんには好きな人がいるってことだ。

 そしてその想いをもう、胸中に留めてはおけなくなっている。


「――あっ」


 強い風が吹き、一瞬中原さんの前髪を舞いあげた。

 そして僕は、前々から思っていた実感の根拠を得る。


「中原さん、その眼……」

「あはは。バレちゃったね?」


 空よりなお蒼く透き通るスカイブルー。

 僕が中原さんの眼をキレイだと思った理由は、これだったのか。


「遠いご先祖様にね、海外の人がいたの。この眼は、世代を隔てて遺伝したものってことになるのかな。ずっとコンプレックスで、それで前髪で」

「隠してたのか」


 コクン、と頷きが返ってくる。


「私、少し肌が色白なくらいで、他のところはみんなと一緒でしょ。自分だけ青い眼してる違和感がすごかったんだ。だから思ってた。これはおかしなことだって」


 そんなことないよ、と一息に否定したかった。


 でも、中原さんの悩みは中原さんのものだ。

 たった今それを知った僕にその資格はない。


 だから僕は彼女の話を待ったし、彼女は僕に応えてくれた。


「でも、あるとき気づいた。これは嘘の自分だって。自分を偽ったまま、好きな人に気持ちを伝えるのはとても失礼なことだって」


 ああ、中原さんは、だから努力しようとしたのか。

 意中の相手に告白するために、コンプレックスを乗り越えようとした。


「相手の眼を見て気持ちを伝えないと、私自身の気持ちまで嘘になってしまうような気がして……だから赤星くんに頼んだの。私がちゃんと、眼を見て告白できるようになるまで、協力してほしいって」


 中原さんは、すべてを語ってくれた。すべての謎は解けた。

 だから僕も、僕自身が直面している問題に立ち返ることができた。


 それは最初からあったもの。

 眼の前にずっと置かれていた現実。


 中原さんには、好きな人がいる。

 その人に、告白したいと考えている。


 さっきから胸の裡で何度も繰り返されている自問がある。


 僕はこのままじっとして、ただ見ているだけでいいのか?


 結果は置くとして、僕がここまでしたのは誰のためだ。

 それは、僕自身のどれほどの大きさの気持ちに由来しているんだ。


 これが最初で最後のチャンスなのかもしれないんだぞ。

 止まれないなら、もう行くしかない――。


「あの」


 それは、声をかけた瞬間だった。

 屋上に、僕が目覚めてからもっとも強い風が吹いた。


 下方から上空へと向かう上昇気流が僕たちの周囲にも巻き起こり、長く伸ばした中原さんの前髪を大きく舞い上げようとする。


「――きゃっ!?」


 いつもの癖で中原さんが髪を抑えようとして、咄嗟に声を張っていた。


「待って! そのままで!」

「え?」

「そのままで、僕の話を聞いてほしいんだ」


 虚を突かれて、中原さんが膝の上の僕の顔を見た。

 今は前髪のガードがない。僕もまた青い瞳を見上げる。


 前髪を舞い上げる風が収まる前に、僕は急いで告げた。


「好きです。ずっと、好きでした」


 答えがどうであっても構わない。

 だって僕には、今しかないんだ。


「中原芽莉愛さん、どうか僕と付き合ってもらえませんか」


 風が止む。

 ふわりと浮いた前髪が、カーテンのように降りる。


 ポタポタと、頬に生温い液体が落下する。放課後の空はまだ青さを残している。だからそれが意味するところなんて容易に理解できた。


 そうか、泣くくらいに嫌だったのか。告白が失敗した虚しい気持ちとともに、中原さんに対するいたたまれなさと申し訳なさが胸を席巻する。


 ああもう、いっそこのままここから消えてしまいたい。ゾンビなだけに昇天してしまいたい。セルフターンアンデッドだ。そう思って眼を瞑ろうとした、そのときだった。


「違うの……これ、うれしくて……」


 え?


「だって、私が好きだったのも……告白、しようと思ってたのも……全部、日高くん、だったから……」


 僕?

 いやでもまさかそんな。


「ど、どこがよくて僕なんかを……!?」


 反射で言ってしまったが、完全に失言だ。

 これじゃあ中原さんの気持ちまで貶してることになる。


 幸か不幸か、本人にはそこまで気を回す余裕がなかったらしく、ぐしぐしと制服の袖で濡れた眼元を拭って涙声で言った。


「だって日高くん、私のオススメ読んでくれた……」

「オススメって、それ本のこと? 同じ部活動なんだし、そりゃ読むんじゃ?」


 中原さんは、ぶんっぶんっともげるほど首を振った。


「感想、聞かせてくれた……」

「読破したら話題に出すのは当然なんじゃ?」

「頼んだりしなくても、同じ作者の別の本も読んでくれた……」

「えっと、それはまあ」


 だって気になるよ。

 好きな子が好きな作者なんだから。


「全部、当然なんかじゃないっ!!」


 強く断言して、中原さんはすんっと鼻を啜り上げた。


「初めてだったのっ! 本好きな男の子と巡り会えたのも! オススメを読んでもらえたのも! 感想を語り合えたのも! だから私、とってもとってもうれしかったのっ!!」


 いつも静かな中原さんが、こんな大声を出すのを初めて聞いた。


 本人もそれに自覚的だったらしい。未だ溢れる涙を隠すように両手で顔を覆うと、困った風に言い添える。


「……ご、ごめん日高くん、私なんだかテンションおかしいや。お願いだからもう少しだけ、時間くれないかな」

「うん、待つよ」


 いつまでだって。


 たっぷり15分泣き続けて、中原さんは僕にOKだと頷いた。


「少しは落ち着いた?」

「うん、ありがとね。ずっと待っててくれて」


 その間ずっと膝枕してもらってたんだから、感謝は僕の言葉なんだけども。


「遅くなったし、今日はもう帰ろっか」

「あ、待って」


 膝枕から起き上がった僕を、中原さんが呼び止めた。

 座ったまま僕の正面に回り、両手を使ってぺろりと前髪を捲った。


「私からも……ちゃんと、言わせてほしいんだ」


 澄んだ青い瞳が泳ぐ。上目遣いで僕の顔を見る。

 僕もまた姿勢を正し、中原さんと相対して正座した。


「日高誠人くん。ずっと、ずーっと好きでした。どうか私と、付き合ってもらえませんか」


 練習無しの、本番一発勝負。

 だけどその青く澄んだキレイな瞳は、僕の眼を真っ直ぐに見つめていて。


 込み上げてくる万感の思いを胸に、僕はこう答えたんだ。


「告白してくれてどうもありがとう。僕も中原芽莉愛さんと同じ気持ちでいます。だから、これからもよろしくお願いします」

「うん……よろしくね」


 おずおずと伸ばされた中原さんの手をやさしく握る。

 こうして、僕たちは晴れて恋人の関係となった。



 ――週明け、前髪を短くして登校した中原さんを見て、とんでもない美少女がいると校内が大騒ぎになるのだが、それはまた別のお話ということで。



◇◇◇



 正面玄関の下駄箱前で待っていると、背後から背中を叩かれた。


「よっす誠人、待たせたな」


 僕の悪友こと中島くんだ。

 今日はまた随分と機嫌がよさそうな感じである。


「なにかいいことあったの?」

「ん? そりゃあな。冤罪も無事に晴れたことだし」


 かんらかんらと笑う中島くんだが、割とシャレにならない事態だったと思うんだけど……。


「いやー、危うく大学に入る前に院に入っちまうとこだったぜ!!」

「だれうま。てか笑いごとじゃないよ……綾瀬あやせさんが推理してくれなきゃどうなってたか」


 そうなのである。

 つい数日前、中島くんには体操服泥棒の嫌疑がかけられた。


 クラスメイトで探偵志望の綾瀬さんが、校外から出入りしていた野良犬の犯行だと看破しなければ、今頃中島くんはポリスメンのご厄介になっていたかもしれないのだ。


「これに懲りたら、日頃の行いから考え直してみたら?」

「オイオイ誠人までそんなこと言うのかよ。俺悲しくて泣いちゃうんだけど」

「どうせ嘘泣きでしょ。まったく……」


 これじゃ綾瀬さんも浮かばれないな……。


 僕は密かに相談を受けているひとつの恋について、まだまだ前途は多難であるとの結論を出した。


「それよか、お前こそ元気になったみたいじゃん」

「お蔭様で。ごはんを食べても吐かなくなったよ」


 あれから体重が3キロ戻って、映画マニシストにノーメイクで出られる状態からどうにか脱することができた。


「やっぱノロだったんじゃね? いや……俺の貸した快●天が効いたか」


 やっぱエロは世界を救うよなー、とうんうん頷く中島くん。

 そんな彼を気づかれないようジト眼で見て、僕は呆れて言った。


「もう押し付けないでよ。アレ、見つかったらえらいことになるんだから」

「ひょっとして妹ちゃんとかママンに見つかっちまった?」

「ギリ回避。けど本気で危なかった。家にいられなくなるとこだったよ……」


 靴を履き替えて外に出ると、中島くんが走って追い越してきた。


「あれ、今日はどこにも寄らないの?」

「たりめーだろ。学生の本分は勉強。家には早く帰らなきゃな」

「本音は?」

「今F●N●Aでオトナな動画が10円セールやってる。あ、そうだ。お前も好きなセクシーちゃんがいたら教えろよ。こっちで確保しといてやるからさ」


 ニシシ、と笑う中島くんであるのだが、親のPC使っといてこの豪胆さとか普通ありえないと思うんだが……バレたら即死ってレベルじゃないぞ……。


 エロ談議に花を咲かせる中島くんを適当にいなしながら、僕たちは並んで帰り道を往く。


 立て板に水の中島くんの弁舌の合間に、僕はタイミングを探していた。彼はシャバにいられるギリギリの女体好きだけど、大事な友だちだ。今日こそは、僕の身に起きた大きな変化について打ち明けないといけない。


 ひとしきり推しのセクシー女優について語り終えて、空白ができる。

 ここだな、と僕は話題を振ることにした。


「ねえ中島く」「最近の中原さんってなんかよくね?」


 被った。

 ていうか……今、なんて?


 絶句していると、中島くんが僕を見て笑う。


「悪いな誠人。俺、先に春がきちまうかもしんね」

「え?」


 どういう意味だ、それ?


「最近さぁ、授業中に中原さんとよく眼が合うんだよなー。それだけじゃなくて、俺に向かって手を振ったり、微笑みかけてくれたり……いやー、モテる男ってつらいよなあ!!」


 あの、それ全部後ろの席の僕にやってくれてるんだけど……。


 いけない。

 あらぬ誤解を受けている。


 大事になる前に払拭せねばと口を開こうとすると、中島くんが掌で口を塞いできた。


「……もが?」

「みなまで言うな。先を越されて焦る気持ちはわかる」


 いや、そうじゃなくて……。

 僕がなにも言えないまま、中島くんはキリッとカッコイイ眼元を作った。


「けどな、男にゃ行かねばならぬ時がある。据え膳食わぬはって諺あんだろ。こうもあからさまに好意を見せつけられて、こっちも悪い気してねえのに行かないのは恥ってなもんだ。それに彼女ができても、お前との友情は変わらねえ。女体について俺と対等に語り合えんのは、誠人を除いて他にいねえからよ」


 ややもすると感動的な友情エピソードっぽいことを口にするが、僕からエロについて語った覚えなんて一度もないぞ……?


 誤解を解こうと口の前の掌を掴むも、中島くんはしつこかった。

 強固に口を押さえつけたまま、キザったらしく首を振る。


「それによ、前髪上げて美少女化した中原さん、最近俺が推してる子に似てるって気づいちゃったんだよなー。ほら、誠人もよく知ってるだろ。クォーターで売ってる新淡路エカテリーナちゃん」


 今中原さんとセクシー女優を横に並べたな!?


 殴る……殴るぞ……!!


 僕が人を殺しそうな眼をしたのを見てとったのだろう。

 中島くんの掌の拘束が緩み、僕はそれを引っぺがした。


 もう知らん。

 僕はそこそこ怒りを滲ませて言った。


「それで、どうする気?」

「青春の貴重な時間を浪費するつもりはない……行くでしょ、告白」


 変なところで男らしいというかなんというか。


「やめといた方がいいんじゃない。誤解だったらどうすんのさ」

「ないね。ありゃ俺のことを心から愛してる眼だ。命を懸けたっていい」


 その命、今徒花みたいに散りかけてるんだけど。


「本当に行くんだね」

「男に二言はねえよ」

「忠告はしたよ」


 そして週末。

 僕たちはとあるカラオケボックスにいた。


 右手にマイク、左手にマラカス、胸にはウクレレ、頭にはメキシコの陽気なおじさんがよく被ってるソンブレロ帽を被り、中島くんのライブリサイタルinカラオケボックスが開催されていた。


「うぅ……くぅ……」


 アニソン熱唱の合間に、眼に腕を当てて漢泣きする中島くん。

 無料のドリンクバーで作った謎ジュースを、ぐいっと一気飲みする。


「やっぱ……つれぇわ」

「ねぇ中島くん、このカラオケってワリカンだったよね。そろそろ僕に変わってくんないかな」


 この時点で薄々想像つくだろうけど、中島くんの告白は玉砕した。今お付き合いしている人がいるから、というもっともな理由で中原さんにすげなく断られてしまったのだ。


 残念でもないし当然の結果であった。


「誠人に俺の気持ちはわかんねーよ……」

「マイク貸してくんない。僕も歌いたいんだけど」

「『わっかんねーよっ!!』」


 うるさいからマイクに向けて叫ばないでくんないかな。


「くうぅ……絶対に、絶対に俺の方が先に好きだったのに……!!」


 いや僕だよ(真顔)


 と言ってしまいたかったのだが、言ったら言ったでメンド臭いことになりそうだったので、僕はいったん離席することにした。


「ワリカンだって言ったのに、これじゃ僕の丸損じゃないか……」


 ブツクサ文句を垂れつつドリンクバーでコーラを入れていると、頭の中に兆すことがある。


「あ、そうだ。綾瀬さん」


 まったくもってどこがいいのかわからないが、クラスメイトの綾瀬さんは中島くんのことがえらくお気に入りなのだ。傷心状態の今は彼女にとってチャンスタイムになるかもしれない。


 スマホを取り出し、電話をかけてみる。


「もしもし、綾瀬さん。僕日高です」

「ふむ……どうしたのかな?」

「今中島くんと一緒にカラオケボックスにいるんだけど、よければこない?」

「「あいわかった」」


 ……え? なんで声が二重に?


 チョイチョイ、と肩をつつかれた気がして振り返ると、背後に綾瀬さんがいた。


「ヒィ!? な、なんでここに綾瀬さんがいるの!?」

「こちらに気を回してくれたこと、感謝するよ」

「ひょっとしてずっと尾行してた……!?」

「恋とは戦争なのだよ」


 綾瀬さんの言い分はまったく答えになっていないけれど、言わんとするところはわかった。


 つまりふだんから、割とイリーガルなことをしている……。


「コーラで頼むよ。そろそろカラオケに戻ろう」


 あとからきたにも関わらず、綾瀬さんは僕のことを足で使ってジュースを入れさせてきた。この辺探偵属性が板に着いてる感じだ。


 トレードマークになっている後ろ毛が膝裏まで届く姫カットを靡かせ、いつの間に手に持ったやら、タンバリンをしゃんしゃん鳴らしてこちらを見る。


「204号室だろ? さっさと行こう」

「う……うん」


 当然のように部屋番号まで把握。

 僕は怖気に震えながら綾瀬さんの背を追った。


 それから5時間。中島くんと綾瀬さんは片時もマイクを放さず、結局僕は1曲も歌うことなくカラオケボックスをあとにした。


「中島くん、大丈夫かい?」


 よれよれに潰れた中島くんに両方から肩を貸して、僕たちは日の落ちた街を歩いていた。


 歩道橋のところで、反対側で支える綾瀬さんが足を止める。


「日高くん、どうもありがとう。ここからはボクひとりで中島くんを送っていくよ」


 綾瀬さん、ボクっ娘だったんだ……。


 そういえば髪型の姫カットといい、なんだろう、最後に出てくるキャラには濃い目の味付けが必要なのだろうか……。


 詮のない考えを振り払って、僕は言った。


「でも、綾瀬さんの家って反対方向だし」

「中島くんを放ってはおけないよ」

「それなら、僕が家まで送ってい……」


 キラリ、と暗闇に綾瀬さんの瞳が輝く。

 時に眼は口よりも饒舌に語る。その眼がこう言っている。


 ボクの邪魔をしたらどうなるか、わかってるよね?(暗黒微笑)


 ……ごめん中島くん。


 僕は心の中で友だちに謝った。


「それじゃあ、お言葉に甘えようかな」

「……んぁ? まこと?」

「中島くんはこっちだよ。さあ、行こうか!」


 ウフフ、ウフフフフという不穏な笑い声を棚引かせながら、2人は帰り道とは真逆の夜の街方面へと消えていったのだった……。


 そして翌日。

 登校してきた僕に、綾瀬さんが声をかけてきた。


「日高くん、昨日はどうもありがとう」


 半日ぶりに見た綾瀬さんは、お肌がとてもツヤツヤしていた。

 反射的に中島くんの姿を探すと、こっちはゲッソリと頬がコケている。


 いったいなにがあったのか、怖くて訊けたもんじゃない……。


「ああ、ええと?」

「屋上へ行こうか」


 言い淀むと勝手に話が進む。

 どうも僕に拒否権はないらしい。すごすごと綾瀬さんの後を追った。


 屋上のフェンスに背を預けて、綾瀬さんから話を切りだす。


「きっかけは嘘告と、ひとつの誤解からだったね」


 コクリと頷く。

 綾瀬さんはきっとすべてお見通しだ。


「職業柄、嫌な偶然ならよく眼にする。あらぬ誤解が人の間に憎しみを募らせ、凄惨な事件を引き起こす。でも日高くん、今回キミとキミの周りで起きた一連の出来事は、それとは逆の、しあわせの連鎖ようなものだった」


 あらためて指摘を受けて、僕もそう思う。


 中原さんが赤星くんから嘘告されると知って、僕は行動を起こした。それは誤解をきっかけにした当て外れなものだったけれど、結果として何人かの人たちにとって、大きなプラスとして作用したんだ。


 赤星くんと深山さん、円城くんと松来さん、そして僕と中原さんの仲も大きく進展することになった――。


「いけずじゃないか。ボクと中島くんはカウントしてくれないのかい」

「え、でも……綾瀬さん、中島くんに一服盛ってたでしょ?」


 中島くんのコップに白い粉を混入させたの、バッチリ目撃しちゃったんだけど。


「胃腸薬だよ。プラセボだ。それに僕と中島くんはちゃんと恋仲になったよ。言質だって録音してる」


 最後の一文が引っかかりまくりなんだけど、まあそういうことにしようか……。


 これで4カップル成立だ。

 誰も損を引いたり、不幸になったりしていない。


 腕を組んで、猫のような微笑みで綾瀬さんが続ける。


「嘘告とは、言わば恋のから騒ぎだな。言葉にしないと心が伝わらないという人体の密室性が、そこにドラマ性を帯びさせる。好きなのに嘘告と偽ったり、嘘告自体が嘘だったり、それも嘘で本当は本命だったりする」


 嘘告はweb小説で人気のシチュエーション。

 そこには様々なギミックを織り交ぜることができる。


「些細なイタズラだけど、イタズラだけで終わらない。それにはハッピーエンドもビターエンドも、バッドエンドだって存在する」


 綾瀬さんの言う通りだ。


 人の縁は合縁奇縁。

 ほんの小さなきっかけで千変万化する。


 今回僕たちは、嘘告騒動を通じて良い札を引くことができたけれど、この広い青空の下では、今日も様々な嘘告模様が描かれているのだろう。


 願わくば、彼らの遭遇するそれがしあわせなものでありますように。

 そんな祈りにも近しい想いとともに、僕は静かに眼を閉じたのだった――。






















「……おい待て、勝手に話を締めようとするんじゃない」


 気持ちよく浸っていたのを中断し、眼を開ける。

 綾瀬さんが、ご機嫌スラッシュな感じで腕を組んでいた。


「え? でも僕、今いい感じにまとめてたと思うんだけど……」

「却下だ。てかまだボクの話は終わってないぞ」


 そうなの?


「このままだと、中島くんとキミたちカップルが気まずいままだろう」

「……あ」


 指摘されて気づいた。昨日の宴は中原さんにフラれた中島くんを慰めるためのものだ。中原さんの彼氏が僕であると知られたら、僕たちの友情にヒビが入ってしまうかもしれない。


「己の立場に気がついたようだね」

「うん……たしかに困ったことになってる」


 僕の口からどう説明したものか……そう悩んでいると。


「そこでボクに妙案がある。今度の週末にWデートしないかい?」

「Wデート?」


 それってつまり、僕と中原さん、中島くんと綾瀬さんの2カップル合同でデートするってことだよな……。


「そうだ。ボクという第三者の眼があれば中島くんも冷静になれるし、当事者だって揃っている。弁解にはちょうどいいシチュエーションとなるだろう」


 つまるところwin-winの関係だと綾瀬さんは断言してくれているのだが。


「それ、仲介役を綾瀬さんがやってくれるってことだよね?」

「そのくらいの労は負うさ。キミはボクたちのキューピッドだからね」


 気恥ずかしい比喩表現も、綾瀬さんが口にすると堂に入って聞こえるから不思議なもんだ。


「まずは映画館で1本観てから、王道の遊園地デート。そこから先は各々行きたいタイプの休憩所にしけこむとしようか」

「あのぅ、僕たちは高校生らしい健全なお付き合いを志向してるので……」


 高校在学中にパパになったりママになったりしそうな交際はちょっと……。

 弱腰な僕をつまらなさそうに見てから、綾瀬さんは気を取り直す。


「ともかくだ。せっかくここまできたんだし、ボクとしては完全無欠のハッピーエンドを迎えたいんだよ。協力してくれないかい?」



 ――完全無欠のハッピーエンド、か。



 嘘告をブチ壊して中原さんを助けようとしていたところから、随分と遠い場所まできてしまったような気がする。


 けど、こういうのは悪くない。

 誰かが不幸になるより、誰もがしあわせになれる物語が僕は好きだ。


 ましてや、それが自分ごとなら、言うことなんてなにもない。


「うん、僕の方からもお願いします」

「それじゃ決まりだ。週末を楽しみにしてるよ」


 綾瀬さんだけじゃなく、僕にも楽しみができた。

 ひょっとしたら今までの人生で一番大きな楽しみかもしれない。


 そうして僕は、自分ごととして思い直す。

 願わくば、このしあわせな時間がいつまでも続きますように――。

本作のMVP:中島くん


最後までお読みくださりありがとうございました

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[良い点] みんないい人! まさに完全無欠のハッピーエンド! ヽ(〃´∀`〃)ノ
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