宙吊り
謎の角大熊襲撃から数日経ち、ある程度の離れた森を新たな縄張りにしようか、とのんきに考えていた。
そんな矢先のことである。
(やっぱり野生失格!)
俺は宙吊りになっていた。
一瞬天地がひっくり返ったので、何がなんだかわからなかったが、上を見ると、後ろ脚が細い木の枝についた縄にくくられている。
木のしなりを利用して縄にかかった動物を宙吊りにして捕まえる狩猟用の罠だ。
(まさかこんな形で人間の痕跡に出会うとは…)
前脚は僅かに地面に届かない。
イノシシなのかシカなのか何を捕るとための罠か知らないが絶妙な設計をしている。体をよじったり暴れてみても全く外れる気配がない。
仕方ないのでここは体力を温存したほうが良いだろう。
(ここは辛抱だ…)
2日目
(辛抱…)
3日目
(しん…ぼう…)
態勢がきついのもあるが何より3日も飲まず食わずというのが限界だった。
正直狼の体は十日食べなくても耐えられる力はあるのだが、水が飲めないのは辛すぎる。
忘れられているのでは?
当然その疑念が強くなってくる。
罠の主が回収するときに死んだふりしてすきをついて逃げるという魂胆は見直さないといけない。そもそもすきができるかというも怪しいところだ。
(どうする?)
体を動かしていないのと裏腹に、頭ではいろいろなことを考えていた。
くくられている足の感覚がもうない。壊死しているのかもしれない。
(いま全力で暴れれば足がもげて逃げられるかも…)
そんな物騒な思考に至りつつあった。
逃げられたとしても、餌が取れなくなるのでこの体もゲームセット。
それでも人間に捕まるよりはマシかもしれない。もし捕まって殺されるにしても生態系のサイクルから外れてしまうと寄生できなくてそれこそニューゲームできなくなってしまう。
もしかすると皮だけ取られて身のほうは捨てられてしまうかもしれない。
狼が死んでもキノコ本体が生きていれば大丈夫なのだろうか。
狼も食べる文化があれば調理されてしまうかもしれない。その場合は加熱に耐えられるのか。
(体力的にもここが勝負時だな)
残っていた力すべてを振り絞り体をゆすった。
しかし、無常にもくくられている木や縄が多少揺れる程度で、必死のあがきは徒労に終わった。
うまくできている。獲物が暴れても力が木のしなりや縄のたわみで逃げるようになっているようだ。
万事休す。
もうなるようにしかならないかと諦めかけていたとき、頭に覚えのある違和感があった。
そう、キノコが生えかけてきたのだ。
時期的にはキノコが生えるまでには、まだ早いのだが、体の死を察したのかはわからないが、狼の頭からはいつものあのキノコが生えていた。
問題は、この高さでうまくネズミが食べてくれるかどうかである。
縄を伝ってくれば採れないことも無いだろうが、どうにも不安が残る。
とはいえ、もうこの体に残された時間もわずかだ。運命を受け入れるしかない。
しかしその運命は、俺の予想とは全く異なる形で現れることになる。
朦朧とする中で、狼の鋭敏な耳は複数の足音を捉えていた。
罠の主がようやくやって来たのだ。