ある日常
俺はゴブリン生活にすっかり慣れていた。いや慣れすぎていた。
(あれ、今、何日経ったっけ?)
ゴブリンに寄生してから、最初の十日間は木に目印を着けて日数を数えていた。
しかし日がな一日獲物を探して森を歩いたり、川で魚を採ったりしているうちに、自分は本当は最初からゴブリンで人間だったのが気の所為だったのでは?という感覚が芽生え始め、すっかり記録を着けるのを忘れていたのだ。
そもそも寄生を繰り返す度に、いろいろな生き物の意識が入り込み。継ぎ足し継ぎ足しされるうちに人間だった時の意識は徐々に失われていたのかもしれない。
(嫌な秘伝のタレだな…)
ゴブリンになったのは初夏の頃だった気がするが、今は盛夏を過ぎ、季節が秋めいてきた。この世界の一年は恐らく元の世界の一年とさほど変わらない。つまりは既に一月以上が経過しているのだ。
しかし、まだキノコは生えてきていない。
一月以上立ってもキノコが生えてきて来ないのは今までに例がなかった。
ゴブリンは特別と言うことなのだろうか?
やはりこの【寄生キノコ】の生態を詳しく知るべきなのだろうが、集落の誰も知らないようなので、結局は経験則を積み重ねて行くほかないのだろう。
でも寄生先の心配をしなくて良いのならありがたい。ゴブリン生活は飯の劣悪さを除けばさほど辛くはない。
ちなみにこの体はすっかり成人しているのだが、寄生されたことによる影響なのか男性機能は失われてしまっている。
本来なら悲しむべきところだが、幸か不幸か女ゴブリンの夜の相手をしなくてすむのはありがたかった。
逆に一部の機能を失ったせいか、ドルの体は通常のゴブリンのよりも一周り以上大きくなっていた。(生殖機能を失った個体が大型化したり長命になる例は元の世界にもあったはずだ)
しかも体の大きさだけではなく、脚力や筋力も格段に他より上回っていた。
通常は罠を使ってやっと捕まえるようなイノシシも単独で、しかも石槍一つで狩ることができるまでになっていた。(おかげで、一人より数倍多くけなされる羽目になったのだが…)
だが良いことばかりでもない。
末弟のドイが病気で死んだ。秋になり気温が下がったからか、それとも別に病理があったのかわからないが、体の節々が動かなくなった。
ゴブリン社会は平等主義だが、回復困難になった者には異常に冷徹だった。
まず食料の分配から外され、世話もされなくなる。その判断をするのはリーダーで周囲はそれをすぐに受け入れた。
ドイの体は最後は骨と皮だけになり、死体はゴミ捨て場に廃棄された。
元は他人とはいえ複雑な気分だった。
しかし、悲しくはなかった。
次の日からは食料の探索にドロとの二人で行くことになる。ただそれだけのことだ。